アイスランドの作曲家と言って
数人の名前を挙げられる人は
クラシックフリークでもかなりの通だろう。
実にアイスランドのクラシックの歴史は
まだまだ短く
国歌を書いたことでも知られる
Sveinbjörn Sveinbjörnssonが生まれたのが
1847年で
古く最も成功したJón Leifsが生まれたのが
1899年であることを考えると
せいぜい1900年位からの歴史でしか無いと
言って差し支えないだろう。
音楽の歴史ははじめドイツからの流入で
Sveinbjörn Sveinbjörnssonはライプツィヒで
Carl Reineckeについて学び、
Jón Leifsも同じくライプツィヒで
Ferruccio Busoniについていた。
ときは下り、現代ではどうだろうか。
本来は順を追って書いていくべきだろうが、
紙面の都合もあるので
アイスランドの今に着目してみよう。
「今」のアイスランド人作曲家で
最も注目を集める女性作曲家に
Anna Þorvaldsdóttirがいる。
1977年アイスランドの首都レイキャビクに生まれ
アイスランド芸術大学を経て渡米
カリフォルニア大学サンディエゴ校で
Rand Steigerと梁雷(Lei Liang)に学んだ。
彼女は2011年に
Nordic Council Music Prize
を受賞したことを皮切りに
ニューヨークフィルの委嘱など
一気に知られることになった。
彼女の音楽から特に印象的なものを
一つ聴いてみようと思う。
Aeriality(空虚)と名付けられた
オーケストラのための作品であり、
長く暗いドローンの上に
様々な方法で獲得された倍音やノイズが立ち上がる。
重く、暗く、乾いた作風で
クラスターなども出現しているが、
その中に調的な誘導が隠されていたり、
はっとするような旋法の出現が
コントラストとなり光り輝く。
スコアを眺めてみると、
持続の上に折り重なるテクスチャー
そして細かい音で倍音を揺らす音形
そして不思議な音列が重なり合っている。
変化に乏しいと思われる展開だが、
実に緻密に編み込まれ
飽きることのない構成を作り出しており
作曲者の実力が伺い知れる。
またドローンに注目してみても
はじめのG音が
最後にはC音へ変わっており、
曲全体に緩やかな調性誘導が敷かれていることが
ここでもわかるのである。
しかしこの暗く乾いた質感は一体なんだろう。
あまりこのフィーリングを聴いたことがない。
もしかするとアイスランドの国や文化が
背景にあるのだろうか。
ここでもうひとりの女性作曲家を見てみたい。
Bára Gísladóttirである。
実に1989年生まれの新鋭作曲家であり、
アイスランド芸術大学で
Hróðmar Ingi Sigurbjörnssonに学び、
ミラン音楽院で
Gabriele Mancaに
更にデンマーク大学のマスタークラスで
Niels Rosing-Schowと
巨匠Hans Abrahamsenに学んでいる。
彼女はコントラバス奏者としても活動しており、
そのことは彼女の作風に大きく影響している。
ひとまずここでも彼女の曲を一つ聴いてみよう。
「VAPE」と題されたオーケストラ作品で
蒸気が噴き出すようなノイズに
不穏で重い音響が特徴に聞こえる。
Þorvaldsdóttirに比べると衝動的ではあるが
乾いた質感に類似性を感じてならない。
スコアを見てみると
意外にもテクスチャーは濃く書かれ
特に「吹き込むだけのノイズ」を要求され続ける
金管楽器群の書き方がユニークである。
このモノトーンのノイズが
打楽器のランダムなリズムのテクスチャとともに
全体に厚みを出し、
そこに倍音を揺らぐフルートを中心とする
木管楽器を立ち上げている。
GísladóttirはÞorvaldsdóttirに比べて
明らかに無調傾向が強く、
その音響操作はむしろ最近的なプログラム演算を
用いた処理がされているものと思われる。
しかしこの曲は我々にアイスランドの作曲家の作風形成に
「蒸気」的なものが関わっていることを示してくれた。
考えてみればアイスランドは火山国である。
その地熱を使った環境エネルギーは
世界でも有数のクリーンエネルギー大国と言われ、
極寒の北国に有って充実した暖房設備に
つながっているのだという。
なるほど環境要因が彼女たちの作風の背景にある。
そう仮説立ててみるなら
この乾いた音が雪に閉ざされた北国のものであること
反響を抑える雪の上では
音の聞こえ方が極めてドライになることの現れだろうし、
暗さについても、夜が長い、
極夜の国であることを示しているのだろう。
こういったものを「原初体験」として
彼女たちの作風が本人たちも知らないところで形成され、
それが先端的な技法と出会うことで
世界でも今まで聞いたことのない音楽を作り出し、
それがいま評価されてきていると言えないだろうか。
そこで我にい立ち返った時、
我々の「音の原初体験」とは何なのだろうか。
彼女たちの音楽は
模倣や技術に偏りがちな今の音楽に
素朴な言葉で「原初」を囁いているように感じられる。
その純粋な音に
我々は学ぶべきところが多いのではないだろうか。