名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

ヤバい変拍子の世界

▽この記事をもとにした動画▽

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今日は変拍子の話をしましょう。

「あーハイハイ、5/4拍子とかね?」

と思ったそこのあなた、僕も少し前まではその程度の認識でした。

しかし、世の中にはもっとはるかにヤバい拍子の曲が存在します。

この記事では、混沌とした変拍子の世界へ足を踏み入れてみることにします。

 

注※ 本記事での拍子の解釈は筆者(冨田)の私見です!異論はコメントまで。

 

 

1. 拍変化型

まずは、もっとも一般的な変拍子からいってみましょう。

いやまあ変拍子じたい一般的ではないんですが……。

 

〈Take Five(5/4拍子)〉

Dave Brubeck Qualtet の有名な曲です。

ジャズのスタンダードナンバーで、変拍子ジャズと言えばコレですよね。

Swingしながら3拍+2拍のリズムで繰り返される5拍子が心地いいです。

 

〈All You Need Is Love(7/4拍子)〉

有名な「ビートルズ」の曲にもなんと変拍子が。

この曲はAメロが部分的に4拍+3拍の7拍子で書かれています。

サビでは普通の4拍子になってしまいますが、その分Aメロの変拍子が際立っています。

 

〈キッズ・ノーリターン(11/4拍子)〉

日本のポップスでももちろん変拍子はあります。

相対性理論」のこの曲は、前半部分がずっと6拍+5拍の11拍子です。

疾走感ある変拍子でかなりカッコイイです。

 

2. サブメーター変化型

さて、ここまで紹介してきた変拍子は、拍の数がおかしなことになっているタイプの変拍子でした。

つまり図にするとこういうことです。

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本来は4になっているはずのところが5になっており、変な拍子。

しかし、世の中にはこうじゃないタイプの変拍子もあるのです。

 

上の図、16分音符までリズムを細分化するとこう書けます。

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16分音符×4(=4分音符×1)で1拍なので、当然このようになるわけです。

しかし、もし1拍の長さが16分音符×4じゃなかったらどうでしょう……?

例えば16分音符×5で1拍だった場合、こうなります。

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これは、上も下も拍は4拍子で同じです。

しかし、下は1拍の長さが16分音符×5となっており、変拍子になっています。

このように、拍数は普通だけど1拍の長さがおかしいタイプの変拍子を「サブメーター変化型」と呼ぶことにします。*1

 

〈Jequitibá(20/16拍子)〉

ブラジル生まれの Antonio Loureiro のこの曲、伴奏が全体的に1拍=16分音符×5の4拍子で刻まれています。

結果的に、5×4=20ということで20/16拍子になっているわけです。

ドチャクソかっこいいですね。

 

〈RUN(7/8拍子)〉

石若駿によるこの曲は、冒頭部分が7/8拍子で書かれています。

これをよく聞いてみると、2+2+3というリズムになっていることが分かるでしょう。

つまり、最初の2拍は1拍=8分音符×2、最後の1拍は1拍=8分音符×3となっていて、全体としては3拍子のリズムを持っていることになるのです。

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結果的に3拍子

 

〈冷たい情熱(13/8拍子)〉

中塚武はカッチョいいジャズ歌謡を書く人ですが、この曲はかなり不思議な拍子です。

分析してみると、2+2+2+2+2+3というリズムになっており、全体としては6拍子系のリズムになっています。

最後の拍だけリズムが少し伸びているんですね。

 

〈静かな雨の夜に(4.5/4拍子)〉

この曲は、合唱曲で有名な松下耕の作品です。

全体的には4/4拍子ですが、冒頭の

「いつまでも こうして座っていたい」

の部分だけ4.5/4拍子が使われています。

これは実際の楽譜にそう書いてあります。

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実際の楽譜

たいへん珍しい小数拍子の例ですね。
リズムは1+1+1+1.5というようになっており、4拍子のリズムでありながら最後の拍だけ長さが伸びたのだと分かります。

 

 

3. さらなるヤバい拍子

さて、世の中にはもっとヤバい拍子の曲も存在します。

まずはその筆頭格である Tigran Hamasyan の曲を紹介しましょう。

 

〈Levitation 21(21/16拍子)〉

アルメニア出身のピアニストである彼は、変態的な拍子の曲を量産する歪んだ性癖の持ち主です(誉め言葉)。

この曲は全体を通して21/16拍子になっているのですが、その拍の分け方が曲の場所や楽器によって全然違っているのです。

例えば、冒頭部分ではピアノがゆったりとした7拍子(1拍=16分音符×6)のリズムでメロディを弾いていますが、9小節目から入ってくるドラムは4+4+4+4+5という全く別のリズムを刻んでいます。

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さらに、03:44あたりからのリズムは最悪で、ピアノは4+4+4+4+5ベースギターは6+5+5+5ドラムのハイハットは7+7+7+7+7+7キックとスネアは6+6+6+6+6+6+6というリズムを刻んでいます。

こんなに凶悪なポリリズムは見たことがありません。

まさか全パートに全く違うリズムをやらせるとは……。

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この曲のリズムについては、この動画が参考になります。

https://www.youtube.com/watch?v=Z47PKin6rbM&ab_channel=HanZhao

 

〈不通〉

空間現代が手掛けたこの曲は、カッコいいラップの乗った曲になっています。

しかし、リズムが意味分からな過ぎて僕には分析不能でした。

冒頭部分は13/16拍子を中心に進んでいくのですが、途中からは意味不明です……。

でもめちゃくちゃかっこいい。

 

〈NO one To kNOW one〉

Andy Akiho が作曲したこの曲、ポップスと現代音楽の中間みたいで曲自体もバキバキにかっこいいですが、今回問題なのは拍子です。

頻繁に拍子が変わるうえ、1つ1つの拍子が難解なのでリズムをとるのは相当難しいです。

でも、ちゃんと拍感のあるリズムなので乗れてしまうのがニクいですね。

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楽譜の一部

 

〈バトンタッチのうた〉

三善晃の合唱曲には、ひんぱんに変拍子が用いられます。

詩の韻律を生かすため、拍子の方を詩に合わせるのです。

その結果、この曲は冒頭部分でかなり壮絶な拍子になっています。

さらに、01:14あたりからはメロディパートとそれ以外のパートで違う拍子になり、拍頭がずれるばかりか、小数拍子も当然のように出てきて完全なカオスになります。

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拍の頭が合わない

 

さいごに

蛇足ですが、最後に僕の曲を紹介させてください。

先日リリースされた名作同のアルバム「YOURS HOURS」に収録された僕の曲ですが、じつは結構ヤバい変拍子を実用しています。

 

〈Diversity of 16 Tragedies(16/16拍子)〉

この曲は、16/16拍子(≒4/4拍子)というごく普通の拍子なのですが、拍の長さを5+6+5と割ることで、16/16拍子を3拍子系のリズムとして扱っています。

伴奏のピアノを聞くとリズムが分かりやすいですね。

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途中からはポリリズムも加わり、さらに複雑なことに……。

 

〈23 Year-Old Hassliebe(23/16拍子)〉

この曲は、全体を通して23/16拍子という複雑怪奇な拍子です。

Aメロのリズムは4+5+4+3+3+4、Bメロのリズムは5+3+3+5+3+4と5+3+4+5+3+3の繰り返しで構成され、同じ23拍子でも飽きがこないようにしてあります。

 

…………と、なんかもう数字を見すぎて目がチカチカしてきました。

結局、変拍子の魅力はなんといっても聞いてカッコいいということですよね。

みんなもカッコいい(そして変態な)変拍子の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょう。

*1:「サブメーター」という言葉は、変拍子お兄さん様の考案です。詳しくはこちらを参照。拍子デザインの世界へ!リズムの音楽理論①|変態音楽理論アカデミー YutopiaParty|note

『YOURS HOURS』なんすい作の曲の解説

名作同3rdDTMアルバム『YOURS HOURS』が配信されました。嬉しいです。

そういう系の各種サービスで聴くことが出来ます。皆さんぜひ聴いて下さい。

 

今回は曲数が結構多くて、24曲収録されています。

私も、このうち4曲を担当させて頂きました。

今回の記事ではその4曲についての解説を書こうと思います。

 

 

 

7. イマージナル雨宿り

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みんな曲名をかっこいい英語にしていたので、私は逆張りで変な日本語タイトルを付けようと思い、『イマージナル雨宿り』と付けました。ちょっと芸名みたいですね。

なお、後の3曲は全部英語タイトルを付けました。基本的に屈するのが早いので。

 

この曲は、現代社会においてやたらに礼賛されている「多様性」という概念は、果たして本当に良いものなのか?というコンセプトで作りました。

 

また、コンセプトを支える上で《虹》を1つの重要なキーワードとして使いました。曲中の色々な所に《虹》に関連した要素を散りばめてあります。

特に曲の一番最後には、Terry Rileyの代表作『A Rainbow in Curved Air』冒頭を露骨に引用してみました。

 

《虹》はさまざまな概念のシンボルになり得ます。これを利用して、それぞれが《虹》を象徴として持つもの同士のある「対立構造」を引き起こすことが出来ます。

その前者は、LGBTQのレインボーフラッグなどにに代表される『多様性』の象徴として。

そして後者は、『神世と俗世の架け橋/境界』として。

 

古代、《虹》はあの世とこの世、神世と俗世の交わる境界とされました。それは古代社会を支える「排除の文化装置」…第三者を排除することにより共同体自体を維持するという営みと深く関わる場所です。

すなわち、これにより現代社会のトレンド「多様性」と古代社会の「排除の文化装置」という対立構造が生まれました。

 

多様性を認めていくという思想や社会の動きには、あらゆる境界を取り去り全てを等質に扱う『均質化』が伴わざるを得ません。

現代の社会は、あらゆる文化がアイデンティティを喪失していく中で束の間の理想郷を見ている、そういうその場しのぎな状態にあると思います。

 

今この状態を『Imaginal-雨宿り』と呼んでみたとして、いつか雨がやみ、空に虹が掛かった時、果たしてその虹は多様性のシンボルとなるのか、あるいはMarginalな営みをはらんだ古代への回帰となるのでしょうか。

 

 

 

余談として、この曲で「名作同で淫夢音MADを出す」という予てからの願望をついに叶えることが出来ました。感激です。

 

 

 

10. Erin's Quails

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この曲は、『イマージナル雨宿り』で提示した対立構造を引き継いで、「排除の文化装置」を捨てて「商品化」してしまった現代の文化、というコンセプトで作られています。

 

差別的な風習は廃止して、性別人種問わずみんなが不快にならないようにして…

そうして、文化を維持するための障壁を全部取っ払った後に残ったものって、もはや文化とは呼べない、均質化された社会で消費される娯楽商品でしかないんじゃないでしょうか。

 

この曲は、全体的にアイルランド音楽のリールを意識して作られていますが、通常の超空間に対して「反転」された和声が使われています。

これによって、現代の文化的商品に対する違和感を象徴的に表現しています。

 

また「1」「0」の2進法を利用したアルゴリズムによって曲の構造を決定したり、8bitの音源を使ったりして、《デジタル》性を持たせました。

これは舞台が現代であることを明示するためでもありつつ、さらに24曲目の伏線的な要素としての「現代日本」のモチーフという意味もあります。

 

 

 

19. Floating Cafeteria

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この曲は、私が19歳の時に作ったDTM曲のセルフオマージュです。

19平均律の中に独自の方法で調構造を定めて作曲しました。

 

先の2曲における「現代⇔古代」の対立構造から、それよりもっともっと短い歴史の、もっともっと個人的な、「今の私⇔19歳の私」とそこから見える/見えていた世界が曲の舞台になっています。

 

コロナ禍は私たちの社会を大きく変化させましたが、それで無くてもきっと、普段日々を過ごしているぶんには変り映えしないように見えても、本当は世界はどんどん形を変えていっているんだと思います。

 

気が向いてふと昔を振り返ると、かつての日常が非日常に、非日常が日常になっていることに気付いて、時の流れを痛々しく実感することになります。

そうして、昔と今がにじみ合い、かつての日常がふわふわと浮かんで漂ってくるみたいな、言葉に出来ない浮遊感に襲われます。

たぶん、今の日常も同じようにどんどん形を変えていくんだと気付いて、足を付ける現実の地面が無くなった浮遊感でもあると思います。

 

そういう浮遊感をそのまま音楽にしてみました。

 

あと、たくさんがなんとこの曲のMVを作って下さいました。

 

youtu.be

 

めっちゃお洒落で解釈一致な映像なのでこちらも是非ご視聴下さい。たくさんありがとう。

 

 

 

24.Pray for 24th Artists

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アルバム自体の最後の曲でもあります。

 

今年の夏、とある超大規模体動かし国際大会が東京などで行われたんですが、それに関わるセレモニーを巡って色々な事案が起こりました。

この曲は、そのあたりの出来事を受けてのものになっています。

 

先で見たように、現代の「多様性」礼賛の動きは世界の「均質化」を招き、世界中の文化の「商品化」を招いています。

そして、こうした流れの中で苦しい立場に置かれてしまうのは、表現者・芸術家たちも例外ではありません。

 

表現がどんどん規制されていき、重みを失った文化商品が社会に浸透した現代に、私たちアーティストはどうあるべきなんでしょうか。

芸術は現代社会の中でどのようにあり続けられるのでしょうか。

 

先の3曲から引き継いだキーワードたち、そして「現代の日本」「古代の日本」のモチーフを曲の中に散りばめ、4曲を通した大きな命題に懊悩しながら現代を漂泊する自分自身を表現しています。

そして、曲のベースとしてずっと登場しているカノンは、否応なく移り変わっていく日常の表現であるとともに、今を生きる全てのアーティストのための《祈り》のテーマでもあります。

 

後半からは、レクイエム、そして《祈り》のモチーフとして、吉松隆の『地球にて』を引用しています。

そうして無窮の祈りとして先の命題は集約され、最後は全部現代社会の波に飲まれて曲が終わります。

 

 

 

解説は以上です

解説は以上です。

 

『YOURS HOURS』は、「ミニマル&Lo-Fi」がテーマになっています。

 

ミニマル・ミュージック、起源を辿れば決して「最小限の音楽」の意味では無いのですが、それでもやはり、有名な作品においてしばしば見られ、影響を受けた音楽ジャンルの多くに受け継がれた技法として「小さな断片の反復」は重要な特徴だと思います。

実はこれは一方で、古代の民族音楽や儀式の音楽などにも見られるもので、すなわち「小さな断片の反復」を通して現代と古代が結び付く、ということがミニマル・ミュージック自体において言えると思います。

 

さらに今度は、Steve Reichの初期のミニマル・ミュージック「自然的・必然的にゆっくりと進展する音楽」という側面を見てみれば、ミニマル・ミュージック現実世界が移り変わっていくさま、時間の流れを音楽で表す最良の方法の1つとも言えるでしょう。

 

こうした特徴を持つミニマル・ミュージックを下地として、「現代⇔古代」の対立や移り変わっていく日常をコンセプトとして盛り込めたのは、結構面白いことかもしれません。と思いました。

 

 

今回の記事ではなんすいの曲を解説しましたが、他の方の作品もどれもめちゃくちゃ良い曲ばっかりです。

私はKosukeさんの『9 guitar loop song』、機洋さんの『追海』、榊山先生の『Hetero』、トイドラさんの『17th Night of the Horizon』とかが特に好きです。

 

同じような曲ばかりになりそうなテーマで、みんなそれぞれ個性が出ていて色んな曲が集まっているのが本当にすごいです。是非、色々聴いてみて下さい。

YOURS HOURS 配信開始記念!アルバムについて語る

「YOURS HOURS」いよいよ配信開始されました。めでたい!

皆さん是非是非聴いてくださいね。

youtube.com

YOURS HOURS

YOURS HOURS

  • 名大作曲同好会
  • J-Pop
  • ¥2444

music.apple.com

 

折角なのでこのアルバムの中で、自分が作ったものについて適当に語っていきたいと思います。曲については特設サイトの方にコメントがあるので曲以外で。

 

ジャケットについて

僕が描きます!(碇シンジ)と言ったは良いが、アイデアを図面に起こすとクソダサいことが発覚して困りました。人類補完しちゃう〜。

 

そういう時は美術館に行きましょう。

ちょうどモンドリアン展が豊田市美術館でやってたので行きました。モンドリアンが所属していたデ・ステイルというグループになんかいい感じの雰囲気を感じていたのです。

という感じで書きました。

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デ・ステイルの人々の作品はミニマル・アートかと言われると、その萌芽みたいな立ち位置なのでちょい微妙ですが、所謂ミニマル・アートを平面で表現するのは無理なのでこれがベストな選択肢だった気がします。

 

ちなみに画面を構成する24個の正方形は収録曲≒1日を1時間単位で分けたセグメントを、使用した8つの色はそれを作った8人の作曲者を表します。更に正方形を画面均等に配置することで、24時間いつでもどこでも聴いてほしいという願いを込めたつもりです。聴いてください。

 

キャッチコピーについて

特設サイトには謎のキャッチコピーを載せました。

"Lo-Fi × Minimal"
8人の作曲家の、8人の作曲家による、
万人の為のデスクトップ・ミュージック
既成概念を突き崩し、拡張して利用する
破壊と創造の「音楽」の証明(2時間41分20秒)

これはコーネリアスのリミックスアルバム「PM」の表面に貼ってあるシールの裏側に書いてある

ニートニート・若人(平均年齢24歳) 若人の、若人による、若人の為のニートなリスナーズ・ディライト/枠組みを突き崩し、分断して利用する解体と再編の「人間」の証明(51分25秒)。

という言葉のオマージュです。引っ張ってきた意味は特にないですが、このあまりにニッチすぎるネタに誰か突っ込んでくれたら面白いなと思ってしまったのと、洒落が効いててキャッチコピー的に面白かったので。ちなみに誰も突っ込んでくれませんでした。

 

MVについて

アルバムのテーマがLo-Fi x Minimalなので、これら両方の雰囲気を出すことに注力しました。Lofiぽさを出したくて、伊藤高志の実験映画とか90-00年代の邦画っぽい映像の質感を目指しました。


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映像編集はヘタクソ(撮影も三脚がないので手ブレしまくっている)ですが、今回はテーマも相まってそのチープな感じがLo-Fi感として機能している気がします。してなかったら申し訳ない限りです。

タイトルは游ゴシックLightでアルバム・ジャケットと統一。

あと名作同のYouTubeチャンネルにもっと色んな人の曲あるといいよな、と思ったのであまり曲が載ってなさそうな人をピックアップしてはMVを作りました。色んな人が色んな曲を作っている団体だと認知されたいので。.....長いと作るの大変なので短い曲の中からですが。他の曲も作りたかったけどね、長いので。

 

after parting


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一発撮り。一発撮りってリニアに風景が移り変わるという点でミニマルっぽくないですか?

この曲は元々レイハラカミ没後10年追悼作品として作ったので、この企画とは別にMVを作る気でいましたが、ついでなので一緒に作って公開してしまいました。

たまに映り込むオレンジ色のモヤモヤは私のスマホ。そう、電車の窓にスマホを押し付けて動画を撮っていたので、痴漢に間違われて連行されかねないとヒヤヒヤしながら撮ってました。

 

18 song


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格好良さに関してアルバム随一だったので問答無用でMV作りました。いや〜マジで格好良くないですか?

洒落た音楽なので洒落た映像を合わせようと思った結果、虫が集る常夜灯が選ばれました。虫が集る常夜灯はお洒落。今後オシャレアイコンとしてJKの間で絶対流行ります。

それはそれとして曲中のグリッチがカッコ良かったので、これを映像と同期させました。割といい感じになった気がします。

 

 

Floating Cafeteria


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なんすい曲いいな〜YouTubeにもっとあったらいいのにな〜と常々思っていたので作りました。特にこの曲は個人的にアルバムで一番好きなので。愛。

 

この曲は題名の通り浮遊感たっぷりなので、なんとかして浮遊感を映像で出そうとしました。結果、多重露光的な世界観に到達しました(適当に映像を透過して重ねたら良い感じになった)。伊藤高志っぽさが一際強くてお気に入りの映像です。

めちゃ適当に作ったみたいな書き方をしているのですが、実際は特設サイトの曲紹介を参考にしたストーリーが一応あります。

あとこれはクソどうでもいい話ですが、このMV用の映像を撮影してたときに学生証を落として泣きながら探しました(ありました)。

 

いかがでしたか?

実はこんな感じで色々作っていました。

ということで「YOURS HOURS」是非聴いてくださいな!

スティーブ・ライヒはミニマルなのか

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Clapping Music

 我が名作同も逡巡と試行錯誤の中、このコロナ禍での音楽活動を模索、実行している。在野から世界へという我々の野望は、ただのありふれたキャッチコピーや政治家の公約とは違い、人生と魂をかけた決意と言っても良いものなのだ。こんなことくらいで打ち破れるなら、はじめから音楽などしなければよいだけである。

 そしてその模索化結実し、これまでで最長時間、最大内容を誇るLo-fi Minimalアルバム「YOURS HOURS」が完成した。

 

名作同Web

nu-composers.main.jp

 

アルバム特設ページ

yours-hours.studio.site

 

みなさん各配信サービスで配信開始されましたら聴いてみて下さい。

 

今日はそれに関係して、ちょっと物騒なタイトルを掲げてみた。

 スティーブ・ライヒという名を聞いてミニマルミュージックの教祖的存在であることを疑う人は殆どいないだろう。現に日本で活動している知り合いのミニマル・ポップのバンドのメンバーも、ライヒに褒められたことを誇りに思っている。
 そして現在のミニマルシーンで活躍するアーティストをライヒ自身も擁護していることを見れば、更に疑う余地はなくなるというものだ。

 

ではなぜそこに疑問を呈するのか。

 

 まずミニマル・ミュージック草創期を見てみるといわゆるNY三羽烏と言われた存在がある。

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Steve Reich

一人目はもちろんスティーブ・ライヒである。

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Philip Glass

二人目はフィリップ・グラスであるが、グラスはすぐにこの運動から離脱し、自分はミニマルミュージックは書いていないと言うまでになっている。

 

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Terry Riley

三人目はテリー・ライリーであるが、彼はインド古謡に目覚め詠唱による即興性の強いジャンルへ傾倒していった。

 

三羽烏は一様にミニマルの祖とみなされている。

スティーブ・ライヒの初期のフェイズシフトの発見
フィリップ・グラスの反復の音楽
・テリー・ライリーの集団即興的音楽

 

 これらはその後、別々の道に進み別々の支持者によってそれぞれ進化していった。そしてそれらの底辺には確かに「単純性」という共通点とアンチ西洋的な哲学があるのは事実である。

 

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minimalist

 しかし「Minimal」という英単語の意味はそもそも何なんだろうか。辞書によれば「最小(限度)の; 極小の,極微の」といった意味を持つ語であるという。
 この観点から想像される一般的な像は、音楽に親しむものと少し違っていて、昨今流行りの断捨離ブームなどと密接な「ミニマリスト」の方である。

 生活から不必要なものを取り除き、最小限のシンプルな生活を目指すというライフスタイルを指している。

 私はどうもこの生活における「ミニマル」と音楽における「ミニマル」が全く同一の語で説明されることに違和感を感じるのである。


 そこで音楽の方を掘り下げていってみることにする。するとこのNY三羽烏以外の「真のミニマル」と言われる音楽家の系譜に立ち当たることになったのだ。

 

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Morton Feldman

 皆さんはモートン・フェルドマンという作曲家を知っているだろうか。1926年にNYに生まれ1987年に没したアメリカの作曲家である。

・第一期はセリエールな現代音楽を書き

・第二期でジョン・ケージと影響しあい、図形楽譜による抽象化に踏み切る。

・第三期では反復が多くなり曲が抽象表現主義的で長大になってくる。

・第四期ではさらに楽曲が長大になり、さらに殆ど強奏のない静謐な反復に終止するようになる。

・第五期ではやや長大さと反復は減るもののこの時期の試みは成功には結びつかなかったとされる。

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フェルドマンの楽譜の一例

 この第四期の作風は一つのマイルストーン的な意味を持っている。長大で反復が多く、静謐な音楽はまさに音楽の単純化そのものと言えるだろう。

 一つ彼の典型的第四期作品である「弦楽四重奏曲第二番」(1983)を聴いてみよう。5時間半ほどの長大な作品である。

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 このフェルドマンの姿勢はジョン・ケージの晩年に強く影響として現れてくる。晩年のケージは「ナンバーピース」と称して「One」などの番号をタイトルにしただけの非常に単純な音楽を多く書いた。それはただの音の持続を基調とするもので、その後そこに即興性を取り入れたエクスペンタリズムの音楽というものにつながってゆくことになる。

 

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ナンバーピースの例

 この時代のケージの作品「Four」(1989)である。

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 この二人の試みの最果てに「究極のミニマリスト」と呼ばれた作曲家がいる。

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La Monte Young

 それがラ・モンテ・ヤングである。
 いわゆるアナーキスト、昔風に言うならヒッピーであり、フルクサス運動やハプニングイベントなどにも参画し、ヨーコ・オノの詩をそのままテキストスコアとした作品群はよく知られている。そしてそれらの作品は、どれも複雑性どころか一切の音楽的枠組みを超えて、必要であるものさえ捨て去ってしまった音楽になる。

代表的なものを一つ紹介しよう。

彼が1960年に書いた「Composition 1960 #7」という曲がそれだ。

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Composition 1960 #7

そしてこれを演奏した音源もあって、なんと3時間近くこの音が鳴らされている。

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 ご覧のように和音が一つ書かれ、長くならせと指示されているだけの曲である。
果たしてこれが曲なのだろうか。
 これに先んじて1952年にジョン・ケージは無音の世界というか、すべての音が音楽の要素たりうるとして音を無秩序に解き放つ作品「4分33秒」を書いている。私はこれらは違う着想から始まったものではあるが、似たような哲学を内在させていると思えてならない。ジョン・ケージ鈴木大拙について禅の思想を学んだことと、アナーキストのそれは何故かにてくる側面がある。そしてこれこそがいま現在、生活をシンプルにしたいという人々の「ミニマル」に最も近い概念ではないだろうか。

 

では話をスティーブ・ライヒに戻そう。

 

 ライヒはテープを重ね合わせて、それを少しずつずらすフェイズ・シフトを発見したことから、ミニマル・ミュージックの祖と呼ばれているが、その手法自体はすでにミュージック・コンクレートでも見られるものでもあった。そういう意味ではシェッフェール的な西洋性を内在しているとしても良いかもしれない。
 またズレというのは音楽の縦方向のものではなく、実際には横方向に線として関わってくる概念であり、必然的に対位法的と言える方法ですらある。
まずこの頃のライヒの代表的な音楽を聴いてみよう。

1966年作曲「Come Out」である。

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確かに初期のフェイズシフトがテープによるズレによって聴かれる。

 

ライヒはこの現象を生の楽器でもやって見るようになる。
ガーナ音楽の研究をヒントに誕生した1971年の作品「Druming」である。

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 この2作品をラ・モンテ・ヤングの作品と比べてどう感じるだろうか?

 ライヒはその後このフェイズ・シフトを機械的楽譜に割り付ける「擬似的フェイズ・シフト」へと進化させてゆく。そして様々な手法を加えて独自の音楽を作り、世間一般に「ミニマル・ミュージック」の理論化、体系化が行われたと認識されている。
例えば、加算フェーズ、カウンターポイント、延長、旋律抽出等といったテクニックがそれだ。そしてそれらを駆使した作品として「18人の音楽家のための音楽」を1974-1976年に書いている。

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 私達はこの音楽をミニマル・ミュージックの大傑作としている。しかしここに使われている手法は以下のように考えられるのではないだろうか。擬似的フェーズシフト、カウンターポイントはそのまま対位法の応用だ。加算フェーズ、減算フェーズは階梯導入的であるし、厳格対位法の声部導入にもにている。延長などはオルゲルプンクトと言っても良いかもしれない。旋律抽出などは変奏の一種だろう。

 こうしてみると随分と成長的で伝統的な音楽のように見えてくる。そこにはパルスを伴う反復が多いというだけの違いしか見いだせないと言っても良い。ではこれらは複雑性なのではないだろうか。こういった西洋の手法の果にミュジック・セリエルが生まれ、その反動としてのジョン・ケージやラ・モンテ・ヤングの登場だったのではないのか。それが「新しい複雑性」と「新しい単純性」という対立軸をもってそれぞれ発展し、新しい複雑性を種とするグループが権威側についたことで、一部からはミニマルは否定された手法だとまで言う人がいる。


しかしそれは大きな誤解だったのではないのか。

 

 スティーブ・ライヒユダヤアメリカ人である。実は最新の彼の作風はユダヤ回帰なのである。その点に触れて論じる日本人音楽家や評論家の少なさは呆れる思いがする。ルーツに回帰したライヒの音楽は政治的な色合いを濃くし、さらに民族性も強くなっている。また初期の手法を映像とともに再取り込みした方法で、メディアアートに進化していてそれはもはやミニマルでもなんでも無い、現代アートの一つになっていると言えるのではないだろうか。そして書かれた一大プロジェクト「The Cave」(1993)は最早ミニマルとは全く別次元の音楽ではないだろうか。

www.youtube.com

 

 そう、スティーブ・ライヒミニマリストなどではないのだ。

 彼は純粋にユダヤアメリカ人として現代の都市賛美、文明賛美から始まり、自らのルーツへと回帰していったアーティストであり、それをミニマルと呼ぶことに違和感を感じた一人が、最も最初に離反するフィリップ・グラスだったのではないだろうか。

 現在はこれらの歴史は混沌として、4つの流れそれぞれをルーツとするものすべてをミニマルとしてしまっていて、その細分化に対しての研究はされていない。ミニマルの手法がより自由に使われ、ポップカルチャーとの融合などもあって、ポスト・ミニマルというジャンル形成につながっただけである。そのことで、ライヒの真実は見えに悪くなり、誤った受容のまま歴史に刻まれてしまったように私は思えるのである。

 

 さて私達名作同のミニマルアルバムは果たしてミニマル・ミュージックたり得るのか。はたまたポスト・ミニマルなのか。
いやそれとも…。

童謡「てるてる坊主」の謎

どうも皆様お久しぶり。

トイドラ会長こと冨田です。

昨日、名大作曲同好会は4thアルバムの配信を告知しました。

名大作曲同好会4th Album「YOURS HOURS」特設サイト

今までのアルバムに比べて内容・量ともに破格の出来です。

これは本当に必聴ですよ。

 

……というわけで、企画が忙しく久しぶりのブログとなってしまった会長ですが、本題に入っていきましょう。

今日のテーマは童謡「てるてる坊主」

梅雨・てるてる坊主と窓のイラスト | フリー素材 イラストミント

この童謡に隠された謎について迫っていきます。

あ、と言っても別によくあるホラー的なやつじゃないですよ。

あくまで音楽的な意味での謎ですので。

 

〈もくじ〉

 

 

「てるてる坊主」の調は?

さて、まずは「てるてる坊主」を聞いてみましょう。

とても日本的な曲調に感じますね。

メロディ部分を楽譜にしてみると、こんな感じです。

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さて、それでは質問です。

この曲の調は何ですか

 

「え……ロ短調でしょ?」

 

と考えた人は優秀です。

たしかに、#が2個ついたこの楽譜を見れば、ロ短調だというのは納得がいきます。

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しかし……。

ナントカ長調とかナントカ短調という調では、普通「ナントカ」の部分の音が中心的な役割を果たしています。

この場合は「ロ」なので、すなわちシの音が中心になっているはずです。

本当になっていますか??

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楽譜の2&3段目のフレーズを見てみると、ちゃんとシで始まりシで終わっていますよね。

なので、この部分のフレーズはちゃんとロ短調になっているとい言えます。

ところが……

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楽譜の1段目のフレーズには、これは当てはまりません

この部分だけ、シではなくが中心となっているのです。

 

「……それって、ただ転調しただけでしょ?」

 

と思ったアナタ、しかし事態はそう単純ではないのです。

楽譜の1段目の調を考えてみると、どうやら長調短調では説明がつかないもよう。

結論から言うと、ここの調はハ音(ド)から始まる陽旋法になっているのです。

 

「陽旋法」というのは、日本古来の民族音楽で用いられていた調で、西洋音楽には存在しない概念です。

詳しくは、過去のブログで解説したことがありますね。

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……というわけで、「てるてる坊主」は前半と後半で調が違うどころか、前半は日本的後半は西洋的な音楽のつくりになっていることが分かりました。

これは相当異質なことです。

例えるなら、ちょんまげ頭の人がスーツを着ているようなものでしょうか。

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なぜこんなことになってしまったのでしょう。

 

「てるてる坊主」の歴史

ここで、「てるてる坊主」の歴史を探ってみましょう。

実はこの歌、そんなに昔からある歌ではありません。

大正10年にあたる1921年、『少女の友』にて発表されたのが初出であり、今からたった100年前にできた歌のようです。

作曲者は、他にも多くの童謡や流行歌を残したことで知られる、中山晋平

masayuki@音楽youtube on Twitter: "#中山晋平… "

 

同じころに日本で流行っていた歌として、「浜辺の歌」や「ゴンドラの歌」、「カチューシャの歌」、「朧月夜」、「東京節」、「ペチカ」などがあったようです。

いずれも西洋風の音楽で、この頃はすでに西洋音楽が広く受容されていたことが分かります。

 

過渡期、1920年

しかし同時に、この頃は新民謡という動きもみられた時期です。

新民謡とは……

しん‐みんよう ‥ミンエウ 【新民謡】

〔名〕 古来民謡に対して大正年間一九一二‐二六)以後に、新しく作詞作曲された地方唄。野口雨情作詞中山晉平作曲の「須坂小唄」を初め、「ちゃっきり節」「龍峡小唄」「八戸(はちのへ)小唄」「三階節」などの類。 (出典:精選版 日本国語大辞典

新民謡

新民謡(しんみんよう)とは、大正期後半(1920年頃)から昭和期にかけて、地方自治体や地方の企業などの依頼によって、その土地の人が気軽に唄ったり踊ったりできて愛郷心を高めるため、またその地区の特徴・観光地・名産品などを全国にPRする目的で制作された歌曲。(出典:フリー百科事典『ウィキペディア』 )

というわけで、まとめると

 

「本当に歴史ある民謡じゃないけど、それっぽい雰囲気で新しく作ったご当地ソング

 

ということですね。

そして、「てるてる坊主」の作曲者である中山晋平も、数多くの新民謡を残しています

幾つか聞いてみましょう。

おお……

なんか、どれも非常に田舎っぽく、盆踊りで流れてそうですね。

実際、よくよく聞いてみても、これらの曲は西洋的ではなく、ちゃんと日本民謡のつくりになっています。

先ほど話した陽旋法というヤツです。

 

ただ、ウィキペディアによると、

ただし内容的には上記のように民謡を限りなく模倣しているが、音楽的には必ずしも全てが民謡的であるとは限らない。…(中略)…行進曲調など洋楽を元にした流行歌と変わらないものも存在した。洋楽調であるものは「民謡」の定義からは外れているとも言えるが、制作目的が冒頭の定義に沿えば「新民謡」として扱われた。

とのことで、厳密に民謡調でないものもあったようです。

これらのことから想像すると、この1920年代あたりの時代は音楽的に相当カオスだったのではないでしょうか。

西洋と日本の音楽がごっちゃくたになって、どちらも受容されていた時代なワケです。

 

「てるてる坊主」は日本音楽史示準化石

ここまでで、「てるてる坊主」がいかにスゴイ歌か、分かっていただけたのではないでしょうか。

西洋音楽日本民謡がかくもあからさまに、それでいて自然に融合してしまった、音楽史のキメラが「てるてる坊主」なのです。

しかも、それが起こりえた時代は恐らく1920年代ごろの一時期だけです。

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というわけで、最後に改めて「てるてる坊主」を聞いてみましょう。

できるだけ当時のレコードっぽい音源を探してきましたので、じっくりと味わってみてください。

トルコ5人組についてーエルキン、サイグンそしてアクセス

こんにちはgです。今回も前回に引き続きトルコ5人組の話をしていきたいと思います。

 

前回はトルコ5人組という概念とそのうちの2人のレイとアルナルについてお話ししました。今回は残りの3人についてです。

前回についてはこちらからどうぞ

nu-composers.hateblo.jp

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ウィルヴィ・ジェマル・エルキン(Ulvi Cemal Erwin)

1906年―1972年

 幼少期からピアノを始め19歳で政府派遣奨学生としてパリへ渡り、そこで音楽の専門知識を学んだのちにトルコへ帰国し音楽教育者として活動した。1936年のアンカラ国立音楽院の設立に伴いピアノ科教授として迎え入れられた。1949年には同音楽院の院長を務めたこともある。

 後年は教育者として活躍していたこともあり、作曲家として作品を残したのはおもに20代後半から30代前半にあたる1930年代から40年代のものが多い。エルキンの作曲技法はトルコ民謡の原形をそのままに西洋的な和声付けを施すものであると分析されている。トルコ第二世代の作曲家からは「容易に受け入れられる、そして心に残るトルコ旋律を探し出し、これらに心地よい和声を施した作曲家」と評価されている。

 

 代表曲としてトラキア地方の民謡の旋律をそのまま用いた「チョチェキチェ」などが挙げられる。2,2,2,3から構成されるいわゆる「アクサク・リズム」と呼ばれる9拍子が使われている。

・Ulvi Cemal Erkin - Köçekçe (Olten Filarmoni - 18.04.2018) (1943年作曲)

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・Ulvi Cemal Erkin - Beş Damla (1931年作曲)

 

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また、特筆すべき特徴として生涯を通した作曲数が5人組の中で最も少ない35曲ほど(未完成含む)であり、楽譜の所在がハッキリしていることなどが挙げられる。

 

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アフメト・アドナン・サイグン(Ahmet Adnan Saygun)

1907年―1991年

イズミルで生まれたサイグンは、多くの校歌を作曲したことで有名なイスマイル・ズュヒテュに西洋音楽の個人指導を受け、独学で和声法や対位法などの技術を体得し1928年に政府奨学生としてパリに渡りスコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに作曲を学んだ。1931年に帰国しアンカラ音楽師範学校で教師として働くが、1936年にアンカラを離れてイスタンブル市立音楽院へ移る。また、この年に行われたバルトークによるトルコの民謡収集調査に同行した。1937年には自ら黒海地方に赴き民謡の収集を行った。

また、この時期にサイグンは音楽学者マハムート・ラーグプによって提唱された「ペンタトニズム理論」に傾倒するようになる。「ペンタトニズム理論」とは「ペンタトニック(五音音階)が存在する場所には全てトルコ民族の影響が存在する」という今でこそ否定された理論だがトルコ共和国民族主義イデオロギーと共鳴し一部で熱狂的な注目を集めた理論である。トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマルもこの理論に興味を示しており、1934年に2度にわたってサイグンを呼び寄せ「ペンタトニック」について説明を求めたとされている。

1939年にアンカラへ戻り共和人民党(GHP)の音楽担当顧問を務め、GHPによる教育施設「人民の家」で活躍した。1955年にはアンカラ民族学調査研究所の設立に携わり、1964年から1972年のアンカラ国立音楽院にて作曲を教えた。晩年に至るまで音楽民族学研究者として活動し、トルコの伝統的な旋法(マカーム)とペルシアやギリシア旋法との比較研究を行った。また、トルコ初のオペラ『オズゾイ』の作曲を行った。

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ウィキペディアでの画像、先ほどの印象とはうってかわって優しそうに見える

作曲傾向としては様々な学説が存在し、ユルマズ・アイドゥンの分析ではフランス印象主義の影響を受けながらトルコの伝統リズムや旋法を用いた一期、オラトリオなどの西洋的音楽形式を採用しながらトルコ的色彩を持つ二期、マカームを抽象化し独自の理論を追及した三期に分けて論じられている。しかし、サイグン自身はこうした年代に沿った分類方法に対しては否定的な見解を示している。

なお、豆知識としてサイグンは五人組の中で唯一自分の作品に作品番号を付けている。

 

・サックスとダラブッカの為のデイヴェルティメント

Divertimento Op.1 (for large orchestra with saxophone and darbuka)

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・オペラ Özsoy 第一番

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A.Adnan Saygun ~ Yunus Emre Oratoryosu / Alto Arya ~ F. Say, piyano - S. Demircioğlu, mezzosoprano

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・10のトルコ民謡

Ahmed Adnan Saygun - 10 Halk Türküsü ( 10 Turkish Folk Songs )

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ネジル・キャーズム・アクセス(Necil Kazim Akses)

1908年―1999年

幼少期からヴァイオリンの教育を受け高校時代にイスタンブル市立音楽院にてレシト・レイから和声の授業を受ける。1926年にウィーンへ渡りヨーゼフ・マルクスに作曲を学び1932年からさらに2年間プラハで学んだ後1933年にトルコへ戻ったアクセスは音楽師範学校で教鞭を取りながら当時ドイツから招聘されていたパウルヒンデミットと共にアンカラ国立音楽院の成立に大きく関与した。

アクセスの音楽も大きく三期に分類して分析されており特徴的な点として二期後半から三期にかけてマカームに加えてセリー音楽や、無調の音楽を押し出すようになっていく点が挙げられる。アクセスは91歳の生涯を通して69曲の作品を残したが楽譜の所在が明らかになっているのは半分程度にとどまっている。トルコ五人組の中で最も前衛的な作曲家であったと言える。

 

・チフテテッリ

Hasan Ferid Alnar - Üç Oyun Havası - Çiftetelli (2)(1934年作曲)

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・ミニアチュール

"Miniatures" by Necil Kazim Akses

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交響詩「平和のための戦争」(アタテュルク追憶の交響詩

Necil Kazim Akses - War for Peace, Symphonic Poem(1981年作曲)

youtu.be

 

 

トルコ五人組については以上である。

トルコ共和国民族主義に影響を与えながらもそれぞれ特有の特徴をもった素晴らしい作曲家であった。

なおこの記事については

濱崎友絵 『トルコにおける「国民音楽」の成立について』早稲田大学出版部 2013年

などの書籍を参考にしました。ご意見ご感想などあればぜひコメントしてください。

怪異と音楽

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某有名幽霊の方

 夏も分かりやすいほどにあっさりと過ぎ、秋の只中、一気に涼しくなり、忌まわしきコロナもちょっと小康状態。皆様、ご健康にお変わりはありませんか?
 なんだか夏があまりにも一気に過ぎていってしまったので、私はちょっとだけ懐かしくなってきました。そして夏にやり残したことを考えていたら、日本の夏の定番「怪談」を思い出したというのが今回の記事の動機なのです。

 

 音楽と怪異の関係には3つが存在するように思います。

 

・怪異のために書かれた音楽(劇伴やホラーBGなど)
・直接怪異とは関係ないが曲調や、その曲にまつわる伝説から怪異と捉えられたりする音楽
・その曲自体が怪異を起こす例

 

 もっともポピュラーなのがはじめの「怪異のために書かれた音楽」でしょう。ホラー映画の音楽や、怪談を題材とした音楽がこれに当たりますから当然ですね。

 

この例をいくつか見てみましょう。

 

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オペラ座の怪人


オペラ座の怪人
 カール・マリア・フォン・ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」の公演を下敷きにガストン・ルルーが書いた小説が原作で、これまで幾度となく様々な国やチームにより映像化されてきた有名な作品です。
 その中でもアンドリュー・ロイド・ウェバーが書いたミュージカルは極めて有名であり、現在このタイトルを聴けばこの音楽が思い出される程になっています。
この劇中曲で組曲が作られているが、その一部を聞いてみましょう。

 

www.youtube.com

 

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アンドリュー・ロイド・ウェバー

 この曲を書いたのは1948年イギリス生まれの作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバーである。数々のミュージカルを大ヒットさせた巨匠であり、日本でも何度もブームを巻き起こしているのでよくご存じの方も多い作曲家ではないだろうか。
 この短三和音が半音でうごめくオルガンのメロディーは誰でも知っている有名メロディの一つだろう。ちなみにこのミュージカルで抜擢したサラ・ブライトマンと結婚したが、その後離婚し、その出会いと別れをもまた別のミュージカルに仕立てたのは、彼が生粋のミュージカル作家と言われる所以とも言えるだろう。

 

 

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耳なし芳一


小泉八雲の怪談によるバラード」
 小泉八雲といえば皆が知る怪談作家であり、アイルランド人とギリシャ人の両親のもとに生まれたラフカディオ・ハーンのことである。日本国籍を取得し、日本人と結婚し、日本文化を調査しながら英語教師としても働いた小泉八雲が書いた怪談に、フィンランドの作曲家ペール・ヘンリク・ノルドグレンが触発されて曲を書いたものだ。
9曲の組曲の形式をとっており、小泉八雲と言えばこれ!と言われる代表作「耳なし芳一」も含まれている。まずこれを聞いてみよう。

 

www.youtube.com

 

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ペール・ヘンリク・ノルドグレン

 実はこの曲を書いたノルドグレン自体が日本に非常に縁がある作曲家なのである。

 1944年にフィンランドのオーランド諸島に産まれ、ヘルシンキで学んだあと1970年に来日、東京藝術大学で長谷川良夫門下として日本の伝統音楽を学び影響受けたのである。そしてそのまま日本人の妻と結婚後、フィンランドに戻って活躍し、2008年に亡くなった。
 北欧ピアノ音楽の権威で現在左手のピアニストとしてしられる舘野泉氏に紹介されたことでこの機会な曲も有名になったという、なんだか外国の作曲家とは思えない親近感があるように思う。

 

 

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Macrocosmos


「マクロコスモス」
 アメリカの作曲家ジョージ・クラムによって書かれたピアノの組曲で、4巻からなる大作シリーズで、彼の代表作の一つでもある。ピアノの内部奏法だけでなく、奏者の声や歌、叫び声まで駆使し、独特の世界観をつくり出している。
 特に第1巻には「ゴンドラ乗りの幽霊」という直截なタイトルの楽章があり、ベルリオーズの「死者のための大ミサ曲」の引用を用いながら極めて不気味展開する。

 

www.youtube.com

 

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ジョージ・クラム

 ジョージ・クラムは1929年にアメリカのチャールストンに生まれた作曲家で、アメリカ現代の「三大C」(クラム、カウエル、ケージ)の一人とも言われる作曲家である。
 初期は明確にバルトークの影響の強い作風であったが、徐々に作風をホラーなものに変えてゆく。作曲法はメシアン的な数理操作を伴い、また数秘術を駆使するなど数的な操作に重点が置かれているが、描き出される世界や音はまさにあの世そのものである。
ベトナム戦争について書かれた弦楽四重奏曲「ブラック・エンジェルズ」は彼の代表作としてよく知られている。
 彼の作風がホラー的であるのは、キリスト教文化圏的に見たときに神と対を成す悪魔という概念からみて、それほど奇異なことではないのだが、その描き出し方の見事さは国を超えて背筋を寒くさせるに十分である。

 

 

 さてここまで見たら次の「直接怪異とは関係ないが曲調や、その曲にまつわる伝説から怪異と捉えられたりする音楽」を見てみよう。

 そんな曲あるのだろうか?と思われる方も多いが結構あるのが面白い。
 まず超代表的な例を一つ。

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死神さん?

「レクイエム」
 モーツアルトの絶筆作品として知られる、レクイエムであるがこの曲はモーツアルトが死神から依頼されて書き始め、その途中でモーツアルト自身が絶命したという伝説とともに語り継がれ、それが所以で曰くある曲と言われるようになった。
 またその話を映画にして、その黒幕に当時の重鎮作曲家サリエリを設定したことから、その俗説が広く信じられることになったのだが、全て作り話である。ひとまず聴いてみよう。私の趣味でカール・ベームの指揮する音源を選んだ。

 

www.youtube.com

 

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ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト

 ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトについて今更語ることは全く無いと思うが、1756年にオーストリアに生まれた伝説的作曲家である。夭折の天才としても知られ1791年に35歳にして亡くなってしまう。あらゆるジャンルで素晴らしい功績を誇り、この作曲家を知らない人はいないと言える偉人の一人である。
 様々な研究で、その素顔は「音楽の神」と呼ばれるような彼のイメージとはかけ離れたところも多々ある、いわゆる奇人でもあったようだがその音楽には確かに人間を越えた何かが宿っていると考えても良い神々しさがある。

 

 

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エクソシスト


「弦楽のための幻想曲」
 ドイツの作曲家ハンス・ウェルナー・ヘンツェが「テルレスの青春」という映画のために書いた曲の第4楽章が、ホラー映画の代表作「エクソシスト」のエンディングに使われイメージが定着した。
 エクソシストという映画は、作品中に多くの現代音楽を用いており、先程のジョージ・クラムの作品や、ペンデレツキの作品、そしてテーマ曲もマイク・オールドフィールドというイギリスのミュージシャンの「テューブラーベルズ」という曲だったりする。そしてこの映画の内容から、これらの引用曲にはすべてエクソシストの曲というイメージが定着してしまったのだ。

 

www.youtube.com

 

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ハンス・ウェルナー・ヘンツェ

 ハンス・ウェルナー・ヘンツェは1926年にドイツに生まれ作曲家で、少年の頃より楽才を示し、早くから活躍した天才である。同性愛者であること、極左思想など時代を先取りする激しさを持っているが、作風は正当な後期ロマン派の延長にある現代音楽であり、刺激的で過激なものではない。またそういった思想についても段々軟化することで中道回帰していったことと、作風が先鋭化しなかったことは関係があるとする研究もある。2012年にドレスデンにて亡くなっている。

 

 

 

 さてそうなると最後が気にかかる。「その曲自体が怪異を起こす例」である。そんな恐ろしいものがあるのだろうか。

 まあこれはスピリチュアルな話なので信じるも信じぬも自由だと思われるが、少なくとも私は一つ存在は知っている。

 

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イタコ

 

「合唱のためのコンポジション第11番」
 日本の作曲家、間宮芳生がライフワークとして書き続けたシリーズの第十一番である。間宮は民謡研究を深めに深めたことで、名もなき民謡の作者の息遣いや生活が感じられるレベルにまで没入し、世界中の民謡の精神的なつながりにまで言及、広いい意味で宗教儀礼民間信仰の類も民謡の一種だというところまで至る。そして17番まで書かれているこのシリーズでは、様々な観点からこの民謡性が分析され用いられている。
 ところがこの第11番は出版はされているものの、音源のリリースはない。実は東京混声合唱団の初演時のライブ録音音源が関係者に配られたが、一般的な音源はリリースされていないのだ。


 なぜだろうか。
 そこにはまことしやかにこんなことが囁かれている。

 

「この曲を演奏すると、良からぬことが起きる…」

 

 なにを言うんだと思われる方もいると思うが、実はこの曲題材がちょっとやばいのである。テーマは農村における間引きと言われる子殺しであり、全四楽章それぞれのサブタイトルは以下の通りである。

1.アエーヤー(口よせ)
2.名まえもつかずつゆのいのち
3.まんじ(卍)
4.はなつみ

…なるほどと思われただろうか。
 間引きをテーマに、この世からあの世への呼びかけ、あの世からこの世への呼びかけを描いており、作曲者はイタコの口寄せを参考にしたという。

 本来であれば音源をお聞かせしたいが、上の事情で音源は存在しないも同然なのでそれはかなわない。お知り合いに東京混声合唱団の関係者がいたらテープを貸してもらえるかもしれないが、その後何が起きても私は一切関知しないので…。

 

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間宮芳生

 間宮芳生は言わずとしれた我が国の巨匠であり、日本伝統音楽の研究にはじまり、世界の民謡研究にまでその幅広げる一方、Jazzのイディオムを楽曲に取り入れるなど極めて独自のスタイル確立した作曲家である。1929年生まれで90歳越えてなお現役という長寿作曲家でもある。
 北海道の旭川に生まれ、青森で育ったという生い立ちと、この民族音楽研究はもともと宿命付けられていたのかもしれない。東京音楽学校で池内友次郎に師事するが、それまでは一切独学であったそうだ。その後、日本民族主義と左翼思想をともにする仲間、外山雄三、林光とともに「山羊の会」を結成したことでも知られる。オーケストラ作品、室内楽吹奏楽、合唱、歌曲とその作品に隙きはなく、あらゆる編成の音楽を書きこなす天才である。

 

 


 さて如何だったでしょう。
 過ぎた夏を惜しみつつ、寒くなってきた今日このごろをもっと冷ややかなものに出来たでしょうか。たまには違った視点で音楽を見つめてみるのも面白いですね。
 音楽と怪異、実は音楽演奏される現場であるコンサートホールなどにも、結構多くの怪異が言い伝えられていたりするんですよ。もしそういったものが見えちゃう方、コンサート会場でも注意しないといけないかもしれませんね。

 

 

それではまた…。