名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

HIROSHIMA - FUKUSHIMA

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原爆投下

 8/6は広島に原子爆弾が投下された日である。続いて8/9には長崎にも原爆が投下された。日本人なら誰もが知る痛ましい歴史の1ページである。
 そしてこのことが日本を唯一の被爆国とならしめ、平和憲法とともに右に左に様々に語られ、利用されている。

 はじめに断っておきたいのだが、私は音楽に政治色が入ることが嫌いでならない。音楽は文化であり、表現であり、行動であるのは間違いないが、一方で娯楽でもあるものだ。そんなところに大層な題目で政治が入り込んできたら、楽しんで聴けようはずもないし、私は聞きたくもないと思っているからだ。もちろん、政治と無縁では語れない名曲が山のようにあることも承知している。
 ショスタコーヴィチフレンニコフ、モソロフやカバレフスキーもそうだし、退廃音楽の烙印を押された名曲たちだって政治とは切っても来れない。それでも、私は自分のポリシーとして政治的な曲を書こうとは思わない。無論、言葉や行動で政治活動はする。しかしそれとこれとは分けておきたいものなのだ。
 政治を楽曲の命題にするということは、はっきり言って安直であり、そうしておけば偉そうに大上段の芸術ぶった顔ができる。そういった側面がある以上、反吐が出るような気持ちにさせられる。

 

 そこで今回はあえてHIROSHIMAにまつわる曲を色々聴いてみようかと思っている。

 

 ヒロシマとクラシックというとまっさきに思いつく作品は、先に亡くなったペンデレツキの書いた「広島の犠牲者に捧げる哀歌」であろう。

 

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ペンデレツキ

 第二次ポーランド楽派を代表する作曲家、クシシュトフ・ペンデレツキが弦楽オーケストラのために書いた楽曲で、不定量記譜を用い、秒数制御された合図によってトーン・クラスターや特殊奏法によるノイズが展開する。
 前衛音楽の代表と認識されている曲だが、実のところこの作品も詳しく見てみると、伝統主義者である作曲者の考えが生かされており、大きな三部形式ソナタ形式のような図式で書かれていることが分かる。
 鳴らされる音こそ厳しいが、その根底には西洋人としての伝統を重んじる諸法が徹底されているのは興味深い。
 この曲はヒロシマの原爆の惨状を描いたとも言われるが、実際はじめからこのタイトルだったわけではない。そういった意味で、楽曲とタイトルは直接の結び付きがあるものではないのだが、西洋から見たヒロシマの惨状を描いた名作として不動の位置をキープしている。

 

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 では、本邦の作曲家たちはどの様な音楽を書いたのだろうか。

 まずこの命題で最も多く取り上げられるのは、細川俊夫の書いたヒロシマレクイエム」であろう。

 

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細川俊夫

 細川俊夫は1955年に広島に生まれたのち、国立音楽大学に進学も、中退、入野義朗のすすめでヨーロッパに渡り尹伊桑、ブライアン・ファーニホウに師事、そして重鎮クラウス・フーバーに教えを受け国際的に名声を獲得していった。
 日本では武満徹との親交が厚く、彼の音楽を深く理解した一人とも言われている。また後進の指導にも熱心で、ヨーロッパの新しい音楽を日本に紹介し、秋吉台世代と呼ばれる世代を牽引した作曲家である。
 現在でも世界中で活躍するが、その言説は極めて左翼的であり、それは彼自信が広島生まれであることと無関係であるはずがないと思われる。「ヒロシマレクイエム」として1989年に書かれたオーケストラ曲は新たに改定されヒロシマ・声なき声」と改題されている。夜の音楽から始まり梵鐘の声に至る5楽章構成の作品で、細川らしいゆったりとした時空間の流れに、水墨画調にたなびくサウンドが支配している。そしてその中にナレーションが加えられることで、ヒロシマの悲劇をドキュメンタリータッチと言ってもいい方法で描ききっている。日本人の生んだ反戦作品の代表と言われる作品である。

 

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 一般の人たちが触れる作品としては、合唱作品に有名な曲がある。
 黒沢吉徳が栄谷温子の詩に付けた楽曲で「消えた八月」というものがある。

 

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黒澤吉徳

 黒澤吉徳は1945年東京生まれ、芸大で学び多くの合唱曲、とりわけ児童向け作品を多く書いている作曲家である。作風は保守的で、激しいモダニズムを押し出すことはないが、ナチュラルに歌詞の内容を表現するストレートな作風は多くの合唱愛好家に愛されている。

 「消えた八月」は原爆で石像になり、影になった僕ときみを主題とした音楽であり、特に美しかった夏の風景を描いた中間部と、原爆によって台無しにされてしまった夏の対比が凄まじく、胸突き刺さる合唱の名作だ。
 なるほどそういう意味ではコロナ禍で消えてしまった、楽しい夏休みとも被ることで、時代を超えた感覚を共有できるような気もするのである。

 

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 合唱曲を上げたのでもう少し合唱におけるヒロシマを見てみよう。
 平成16年のNコン高等学校の部課題曲として大江健三郎の詩に信長貴富が曲をつけた「『新しい人』に」という曲もよく演奏されているようである。

 

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信長貴富

 信長貴富は今最も人気のある合唱作曲の一人である。1971年兵庫県の生まれであるが、ヒロシマとは縁が深いことはあまり知られていない。彼の両親はふたりとも広島の出身であり、母親は被爆者である。
 信長は変わった経歴の作曲家としても知られていて、世田谷区の職員として働いており、その間に趣味として合唱を楽しみ、曲も書いていた。この楽曲がコンクールに相次いで入賞するなどし、役人の仕事を辞して作曲家に転じた。
 ポップスの語彙を用いて自在な作品を書く作曲家で、その作風には自分が愛好していた、三善晃や鈴木輝昭の影響が強く感じられる。

 「『新しい人』に」は護憲反戦派の旧先鋒であるところの作家大江健三郎が、NHKの委嘱で書いた非常に珍しい詩に付けられている。信じることができた私が、ある日信じると言えなくなったという内容で語られ、戦争による分断と、原爆によりガスになってしまった自分が生まれる四十年前の子供を主題に書かれている。
 時折Popな和音が絶妙な効果を上げながら、深刻なシーンはピアノによる4分音符の音形に乗せられ、ある種軍靴の音を想像させる方法で書かれていると言ってもいいだろう。非常に効果的な書法は見事であるが、私はなんとなく違和感を禁じえない。
その違和感はあとに語ることにしよう。

 

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 合唱曲とヒロシマといえば、欠かすことのできない曲がある。
 原民喜の詩に林光が曲をつけた「原爆小景」である。この曲は我が国を代表する原爆をテーマにした合唱のの傑作と言われ内外からの評価は非常に高い。

 

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林光

 林光は1931年に東京に生まれ2012年に不運にも自宅で転倒し、予後悪く惜しまれつつ他界した。父の親友であった尾高尚忠に師事し、その後池内友次郎にも師事、その後は日本語オペラの可能性を追求しオペラシアターこんにゃく座音楽監督などを歴任した。
 戦後左翼作曲家の代表格の一人と言われ、その作品は一貫して労働者の目線、弱者の目線を意識したもの、社会的な事件を題材にしたものが多い。その中でもこの「原爆小景」が突出した名作として語られる。被爆者詩人の原民喜の体験に基づくおどろおどろしいまでの原爆の実際を、まさに魑魅魍魎が如く叫び、呻く群衆の声として表現したシリアスな作品である。

 

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 さて合唱の世界から離れてもう少し大きな規模の作品を見てみよう。

 林光と同じく左翼の作曲家として有名な大木正夫の代表作交響曲第5番ヒロシマを忘れることはできない。

 

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大木正夫

 大木正夫は1901年に静岡に生まれ、幼い頃から尺八を嗜んだほかは音楽とは無縁の経歴をたどる。一般職を経て教職へ、その後上京し未来派を標榜する異端の作曲家石川義一にわずかに師事し、殆どを独学で学び独特の力強い作風を手にした。はじめはロマン主義的な作風で、思想も右側であったようだが、満州へ渡り戦争を経験したことで、その考えを改め左翼に転じた。その後は反戦作品を中心に多くの作品を生み出したが、ことにヒロシマを題材としたこの交響曲第5番とグランドカンタータ「人間をかえせ」は反戦作品としてその評価が高い。
 極めて重厚な筆による作風と題材が見事に一致しており、強い説得力とインパクトを持って聴くものに迫る。

 

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 團伊玖磨ヒロシマを題材とした交響曲を書いている。

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團伊玖磨


 團伊玖磨1924年に東京に生まれ2001年に中国で亡くなっている。
 男爵の息子として裕福な生まれで、血盟団事件で祖父をなくすなどしたことが芸術を志すきっかけになったようだ。東京音楽学校に進み、下総皖一、橋本國彦、細川碧に師事、また山田耕筰にも作曲を習ったという。さらに諸井三郎に師事し、その後は芥川也寸志黛敏郎と「三人の会」を結成、日本を代表する大作曲家となっていった。その活動は特に幼少期の経験もあり、日中友好活動に軸心を起き、大アジア的音楽を標榜している。
 伊福部昭との直接の関係はないが間接的な影響は、中音域に見られるオスティナートや、ロマン派的作風の中にはっきりと現れる日本的な表現に感じられる。
 とくにオペラには力を注ぎ「夕鶴」は代表作として多くの再演が行われる大名曲として知られている。そんな團伊玖磨の書いた交響曲第6番は「ヒロシマと題されており、能管や篠笛の響きが印象的な序奏から始まり、一転しっかりとしたロマン派的な音楽が展開、しかし随所に日本的旋律が登場する非常に精緻な筆致で書かれた楽曲である。また最終楽章にはエドマンド・ブランデンの詩が歌い上げられるなど、平和への希求をテーマとした楽曲となっている。

 

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 次の曲は様々な事情から紹介だけに留めることにするが、ゴーストライター問題で話題となった佐村河内守も広島の出身であり、それに基づく構想を新垣隆に託し交響曲「HIROSHIMA」を発表している。
 一時この曲は非常に注目され高い評価を受けたが、例の問題ですっかりタブー視されるようになってしまったが、楽曲に罪はないはずであり、これは文化損失だと個人的には思っている。
ともあれ、いろいろな事情がある曲なので深く触れず聴くだけにしよう。

 

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 とここまで見てくると大分重いものが多くなってしまった。
次に一つのピアノ曲を聴いていただきたいと思う。

 それは糀場富美子の書いたピアノ曲「未風化の7つの横顔」である。

 

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糀場富美子

 糀場富美子は1952年ヒロシマ生まれの作曲家で、その代表作は「広島レクイエム」である。東京藝術大学で、矢代秋雄間宮芳生、野田暉行に学び、反戦作品、そして日本の音を素材とした作品を多く手掛けている。これはもちろん作曲者がヒロシマの生まれであることに関係している。
 「未風化の7つの横顔」は広島が風化してしまわないようにとの願いを込めて書かれたピアノ曲であり、現代における戦後レジームの代表的設定の音楽であると言える。
しかし広島というものは本当に風化してしまったのだろうか、あるいは風化させてはいけないのだろうか。私には全くわからない。しかしこのことは多くの日本人のDNAに刻まれた傷であることは間違いないだろう。しかし、広島だけが傷だろうか、長崎だけが傷だろうか。
ともあれ、まずこのピアノ曲を聴いていただきたい。

 

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 近年、戦後日本は阪神大震災オウム事件東日本大震災、コロナ禍など様々な傷を受けてきた。
そしてそれらはいつも同じ論調で語られるのである。

 

「復興」

 

 先般の五輪も下らないことに基本的には「復興五輪」となるはずだった。ところがコロナ禍が訪れ、すっかりその波に飲まれ復興どころではなかった。しかし阪神大震災を傷んで天野正道が書いた「おほなゐ」という吹奏楽曲には近年新たに楽章が追加されたことをご存知だろうか。それが「おほなゐ~その後」である。
 この曲は地震とその悲惨な光景を描いた作品から時が経ち、復興に寄せて書かれた楽章であるという。

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天野正道

 天野正道は1957年秋田出身の作曲家である。国立音楽にて学び、ジャンルに囚われない仕事をする作曲家として知られている。こと劇伴分野での仕事は顕著で、これらを吹奏楽編曲したシリーズは人気を博している。シリアスな語彙からPopsの語彙まで自由自在に使い分け、その作品の幅は広い。

 そんな天野正道はクリスチャンであり、大の平和希求家で有ることが知られている。そういった思想に基づいた作品も多く書かれているが、その天野が自身の過去の作品に追加する形で、復興を成し遂げた阪神の街に曲を送ったことはまさに印象的だ。

 

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 同じ様な例がもう一つある。
 東日本大震災のショック冷めやらないころに、NHKがある曲を発表した。それは映像作家として知られる岩井俊二の詩に、菅野よう子が曲をつけ、国民皆で歌おうと呼びかけ発表された「花は咲く」である。

 

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菅野よう子

 菅野よう子は1963年宮城県仙台市の生まれである。なるほどこの曲を書くのに適任であったということが言えるだろう。非常に幼い頃から学祭を発揮、物心つく頃にはすでに作曲をしていたという。ヤマハのオリジナルコンサートで川上賞を受賞し、芥川也寸志の薫陶受け、また一時芥川に師事することができた。
 その後は早稲田大学に進みこの頃から音楽業界で仕事をするようになる。その後はゲーム音楽、歌謡曲、劇伴と裏方の仕事を中心に、超がつく売れっ子になり、あまりの器用さに器用貧乏と言われることすらあったという。

 そんな菅野よう子は自身の名前が表に出る仕事をあまり受けないことでも知られているが、この国民的な歌「花は咲く」は別であった。
 おそらくそこには出身地の災害ということから、特別な思いがあったのだろう。そしてこの曲は一般人にはちょっとむずかしいメロディラインであるにも関わらず、あっという間に国民的な歌となった。

 

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 たくさんの芸能人がワンフレーズを歌うMVと素敵なアレンジに仕上げられたこの曲に、感動したものも多いだろう。私もその一人であった。しかし時は経ち東日本大震災の傷跡もまたどんどん変わってきている。
 そんな中、この曲に新しい歌詞が書き加えられたのを知っているだろうか。震災から4年がたったときに、それまで亡くなった人の目線で書かれた「わたしは何を残しただろう」という部分を最後の一回のみ「わたしは何を残すだろう」と変更したのだ。
 こうやって「復興」の歌は新しいニュアンスを獲得し、震災その時から一歩進んだ人々の力を描き出す歌に変わったのだ。そして今年2021年にはピアノの伴奏に多くの芸能人による朗読でこの曲を語る映像が作られた。
 ときはコロナ禍真っ只中、ふたたびこの曲また別の力を持ち始めたのだろう。
せっかくなので最後にこの映像をご覧いただこう。

 

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 そう、本来悲劇と人との関係は、その克服の時間とともに変化してゆくものなのだ。そしてそのことを「おほなゐ~その後」や「花は咲く」が示しているのである。

それなのにヒロシマはどうだろうか。

 糀場富美子先生の作品はたしかに素晴らしい、しかし風化させてはいけないということと、そこにしがみついていなければならないというのは全く異なることではないだろうか。
 戦災と災害は違うという批判はあるだろうが、それなら戦災は失恋と同じなのだろうか。そこに留まり続けて良い悲劇など無いのだ。ときはそれでも進む。それならば我々は常に次の一歩を歩まねばならないではないか。たとえそこに道がなくとも進まねばならねばないではないか。

 

戦争から80年ともいわれる今、まだしがみつくのだろうか。
私の違和感の正体はまさにそこなのである。

三善晃のイカれた合唱曲5選

みなさん、合唱曲といえばどんな曲を思い浮かべますか?

多くの中学や高校では合唱コンクールがあるでしょうから、「コスモス」とか「青葉の歌」、「YELL」とかが定番かも知れませんね。

が。

 

「合唱曲ってキレイで感動するよね~~」

そう思っているアナタは、たぶん三善晃の合唱曲を聴いたことがないでしょう。

三善晃は、戦後の日本作曲家の大重鎮として、多くの合唱曲を残した人物です。

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三善晃

彼が作る合唱曲は軒並みヤバく、日本の合唱界隈に大きな衝撃を与えました。

今回は、そんな彼の作品からとりわけヤバいものを5つ紹介します。

精神を破壊してくるタイプの合唱曲を寄せ集めたので、心して聞いてください。 

 

1.オデコのこいつ

まずは、こどものための合唱組曲「オデコのこいつ」です。

しっかりと「こどものための合唱組曲」と書いてありますが、歌詞の内容が尋常じゃないくらい重いです。

主人公のオデコに、ある日とつぜん醜い黒人の子供が住み着くところから歌が始まるのですが、第1楽章の終わりに

「……ビ……ア……フ……ラ……」

という不穏な歌詞が登場します。(意味は自分で調べましょう)

第3楽章(04:01)からはもう目も当てられなくなり、どんどん最悪になっていく一方。

歌詞→コチラ

 

2.狐のうた

童声合唱と語り、ピアノのための「狐のうた」は、「醜聞」「訓戒」の2楽章からなる合唱曲です。

もうタイトルだけで嫌な予感がしますが、これもご丁寧に「童声合唱のための」と書いてあるんですよね。

どういう性癖なんでしょうか。

土俗的な残酷さのある歌詞に鬼気迫る伴奏が乗り、とんでもない迫力です。

 

3.バトンタッチのうた

この曲は、4楽章からなる合唱組曲男声合唱とピアノ(四手)のための「遊星ひとつ」の終曲を飾る曲です。

作詞は木島始、難解かつ熱情に満ちた詩を書く詩人ですが、この「バトンタッチのうた」はもはや元の詩を再構成して作られており、完全に三善晃ワールドに入っちゃってます。

今までの曲に比べるとキャッチーですが、最後の方はもうとんでもない荒れ狂い方です。

 

4.のら犬ドジ

次に紹介するのは、童声合唱とピアノのための組曲「のら犬ドジ」

のら犬のドジをいじめて遊んでいる少年が主人公なのですが、実はドジの正体は……。

こいつも相当に歌詞が重く、どう考えてもトラウマ曲なのですが、やっぱり「童声合唱」だそうです。

ちなみに、この曲の楽譜を売っているサイトを覗いてみたところ、曲紹介はこんな風に書かれてました。

のら犬と少年の出逢い、のら犬であるというだけで殺されていくド
ジの死までの愛の交流を描いています。

もう最悪ですね。

ついでに、この曲の作詞者は蓬莱泰三です。

知ってる人は知ってると思いますが、有名なトラウマ合唱曲「チコタン」の作詞者でもあります。

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蓬莱泰三

なんなら「オデコのこいつ」の作詞者でもあります。

ヤバいですね。

 

5.生きる

さて、最後に紹介するのはピアノの無窮連祷による混声合唱曲 「生きる」です。

この曲、タイトルが「生きる」のくせに全く生きた心地がしません。

そもそも副題に「無窮連祷」ってありますがこれ本当に「生きる」なんですか???

そう、この曲は明らかに「死」をテーマに書かれており、実際に三善晃死んだ友人に思いを馳せながらこの曲を書いたと語っています。

曲調はこれまでに比べるとかなり聞きやすいですが、メッセージの重みはこれまで通り相当のものですね。

 歌詞→コチラ

 

どうでしょうか。

三善晃が合唱曲の革命児となったのも納得じゃないでしょうか?

しかし、やはり三善晃詩の読解の深さと感性、作曲能力の全てが群を抜いています。

彼の合唱曲はどれをとっても素晴らしいので、是非他にも探してみてください。

君は『3分映画宴』を知っているか

日本には全国に“奇祭”と呼ばれる祭りがある。その中に、「映画」に関する奇祭鳥取県米子市に存在した...その名も

 

3  分  映  画  宴

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3分映画宴とは

3分映画宴とは、鳥取県米子市で開催されている映画祭「米子映画事変」内の催しの一つである。

 

 

そもそも米子映画事変とは、(自分もあんまり詳しくは分かってないけど)鳥取県米子市で開催される映画祭であり、超平たく言えば米子の町おこしイベント的な感じである。

で、その3分映画宴という企画なのだが、「上映時間が3分(180秒)以内の映像作品の映画作品」という超単純なレギュレーションのため、どう考えてもプロの犯行レベルの超作品からtheアマチュア感全開のブッ飛んだ作品まで、ありとあらゆる作品が百鬼夜行の如く集う映画祭なのである(褒め言葉)。

ちなみに、本来なら米子にて上映会が行われるのだが今年は生憎のコロナ禍のため、2020年はオンラインで映画宴が執り行われていました。

 

この映画祭を知ったのは私が今年の冬ネットサーフィン中にたまたまyoutubeのオススメに出てきたことからだ。

その受賞作品群のカオスさの虜になり、後ニ週間くらいずっとその作品群を見て楽しんでいた。その後第10回映画宴3分映画宴をオンラインで視聴し、ますますその虜となった。そこで思った、

 

「是非皆さんにも3分映画宴を見て欲しい!」

 

youtubeには各受賞作品がアップロードされており、それだけでも混沌さを実感することができるので、今回は私のお気に入りを皆様にも観ていただき是非その混沌さを体感していただたい(強制)。


作品紹介

おっぱいジパング

自分が映画宴の中で一番好きな作品。クッッッッソヌルヌル動くアニメーション・勢いに満ち溢れた(勢いしかない)ストーリー展開・BGM(フルボイス)付きという狂気の三段構えで、これを初めて観た時は始終笑ってた。見る抗鬱剤因みに友達に見せたところドン引きされました。

 

パーフェクトラウンド

監督はイラスト・アニメーションクリエイターの花蟲だ。第13回 文化庁メディア芸術祭「ひとりだけの部屋」という映像作品で入選もしているので、絵柄を観てピンと来る人も多いだろう。少し不気味な絵柄と不思議で独特な世界感は観ていてゾクっとするものがある。

 

滑舌悪男のラブロマンス

こちらは高校生(?)が撮った作品。冴えない滑舌悪男が女の子に告白をするが、やはり滑舌の悪さから聞き取ってもらえず失敗。しかし彼はポケットから「時間逆行ボタン」を取り出して... 非常にシンプルな展開ながらも最後のオチまでしっかりとしていて、「これは面白い!」と言わせる内容だ。

 

PPP

こちらはコマ撮りで作られた作品。グロ注意。2勢力の戦いと、その最中現れた巨大な敵を描く。巨大な敵が兵士をブッ倒していく様はまさに圧巻。おそらく粘土や針金や絵の具といった身近なものを使っているのだろうが、それだけでこれだけのグロテスクなスペクタクルを表現できているのは流石という他に無い。

 

不思議なポーチ

個人的に結構お気に入りな作品。突如動き出したポーチを撮影した作品。ワンカット(?)で作られているのも流石だが、学生が授業の合間に駄弁る雰囲気動くポーチに対する反応が実に学生っぽくて大好き。もしかしてこれって本当に撮ったやつですか?(すっとぼけ)

 

リエちゃんはマフィア少女

こちらは再びアニメーション作品。この作品のすごい所は、このアニメーションのみならず、漫画が投稿されていたり、オフィシャルファンブックが作られていたり、ポータルサイトが作ってあったり、過去に展示会も行っていたりと、作品自体をメディアミックスに仕上げているところだ。こういうの、すごいワクワクしますよね。

 

パンツ職人のパンツインパンツ

おっさんの宴会芸。おっさんがただひたすら色々な方法でパンツを穿くという動画。普通ならに色んな穿きかたをしててすごいが、生活感丸出しなのがクソ面白い。なぜこれが入選したんだ枠の頂点。

 

おわりに

 

今回はお気に入りの7作品だけを取り上げたが、これ以外にも超絶個性的なお気に入り作品は数多くあり、オンライン開催された第10回についてはノミネート作品も全部視聴することができるので観てみてください。観ましょう。観ろ。

そして、おそらくこれから、第11回の作品応募が始まるでしょう。来年はどのような作品がノミネートされるのでしょうか。私は楽しみで楽しみで仕方ありません。映像に自信のある皆さんは是非応募してみてください。

最後になりますが、第10回米子映画事変の現地開催はコロナの影響により、延期に次ぐ延期を食らっています。次の開催予定は11月27日~28日だとか。どうか無事開催されますように。そして第11回の頃には、コロナ禍も収まっていますように。

いつか自分も現地にいきたいな。

 

おわり

 

trace of rei harakami レイハラカミの思い出

レイハラカミが亡くなってからもうすぐ10年が経つことを知ったのは、ユリイカで彼の特集が組まれていたからだった。

思えば私の音楽人生は、彼にかなり影響されている。たまには思い出話でもしてみよう。マジで思い出を書くだけなのでオチとかないです。

 

私が彼のことを知ったのは今から7年前、2014年の夏頃のことだ。
当時の私はサカナクションを起点にテクノポップ渋谷系、テクノにエレクトロニカを聴き漁っていた。そこで出会った音楽の一つがレイハラカミの「にじぞう」だった。


サイケデリックでシュールなMVとポリリズム、チープだが暖かみのある音色、すべてが14歳の私には衝撃的だった。

とはいえ日頃ハイファイな音を聴いていた14歳にとってSC-88pro(以下ハチプロ)の音はあまりにちゃっちく聞こえたのもまた事実である。これを受容できるようになったのは同時期に出会ったHASAMI groupの影響が大きい。

特に秘密の科学は当時よく聴いていて、14歳は多少音がチープでも全く気にしなくなった。むしろチープでないと不安になるくらいには毒されていた。

 

まあそんなこんなでローファイな音楽に触れて、レイハラカミの良さを少しずつ理解できるようになっていったのだ。彼が故人であることを知ったのもおそらくこの時期だったように思う。

  

それからは彼の作品でYouTubeに載っている音源はほぼすべて聴いた。自分の知らないレイハラカミの曲が減っていくにつれて「もう彼の新曲が出ない」という現実が立ち現れた。

 

当時のお気に入りはafter next joyで、これは今でも変わっていない。

iTunesの存在を知ってからは、彼の作品をいつか揃えたいと常々思っていた。しかし14歳の小遣いではアルバムを購入するのは難しかった。そして当時はCorneliusの方が好きだったため、14歳の手によってレイハラカミは後回しにされたのである。

 

これは大変な間違いだった。なぜなら翌年2015年、彼の音楽はこの世から忽然と姿を消したからである。所謂廃盤というやつだ。iTunesから彼のアルバムは残らず消えて、ペチカのアレンジともう一曲だけが残った。


以来レイハラカミ関連の商品は見つけ次第片っ端から買いそろえるようになった。とはいえなかなか町中で出会えず歯がゆい思いをしていた。

当時、近所の寂れたレンタルCD店に通う習慣があり、そこでred curbを見つけた。このときの喜びは計り知れないものがあった。サブスクでいつでも聴ける今となっては、おそらくもう体験できない類いのものだろう。ウォークマンにいれて毎日のように聴いていた。

 

そしてその約2年後、レイハラカミの版権はringsというレコード会社に移り、再度発売・配信されることになった。
しかしiTunes限定で配信されていたafter next joy、にじぞう ミニなどは配信されなくなっていた。

ウォークマンもなくしてしまった私は、大学受験に打ち込むという名目で音楽から一旦離れることとなった。

 

さらに2年後、晴れて大学生となった私はApple Musicを使うようになり、今までとは比べものにならないくらい彼の音楽を聴くことになる。所有欲は満たされたが、だからといって彼の音楽への興味は尽きることがなかった。


彼が手がけたremixも集め始めた。DC/PRGというバンドのライブに行ったときにpan american beef stake federationという曲の奇っ怪な曲のこれまた非常に奇っ怪なremix、「pan american beef stake federation Rei Harakami 餅米 Re-Arange(メッセージ付)」が収録されたremixアルバムを買った。

youtu.be

DC/PRG主幹の菊池成孔がサイン(思いっきり名前を間違えられたのを私は忘れない)をしてくれたのだが、そのとき菊池が「おおこれか、これはね~良いアルバムなんだよ」と言ったのを良く覚えている。菊池はアルバム全体に対して言及したのだろうが、私はレイハラカミのremixに対して言ったかのように受け取った。(実際アルバムの中で一番良い)

今やそのDC/PRGも解散してしまった。

 

かつて15歳がred curbを借りたレンタルCD店は、サブスクリプションサービスに押され、過去作のレンタルCDを売り払うようになっていた。

その棚にはかつて自分が借りたred curbも存在していた。ここで再び出会ったのも何かの縁だと思い、購入した。


ハチプロを模したSound Canvas VAというプラグインDAWに導入した。使ってみて思うのは、逆再生やピッチシフトこそ行うものの、音色自体はそこまで弄っていないことが多いということだ。逆に弄りまくってる音はどうやって出してるのか全然わからない。

ただ音色云々よりかは、ディレイによる空間演出や、ハチプロとは一切関係の無いクラシカルな作曲方法が彼の個性に繋がっているのを改めて感じた。

 

そしてユリイカのレイハラカミ特集を見つけたのだ。
ここ数年忘れかけていた「レイハラカミが本当にこの世にいない」という感覚を思い起こさせる文章群だった。寄稿されてる文章の多くが弔辞のようで、文字を眺めているだけで葬式に行った気分になる。

 

最近彼の映像作品(彼は映像系の短大に通っていた)を載せているYouTubeアカウントを見つけた。とりあえず机の女という短編を見たが、何を意味しているのかさっぱりわからなかった。


さっぱりわからなかったが、このわからなさは彼の音楽に表出しているようにも感じられる。この二つの共通項を探すのは興味深いし、おそらくその部分が未だ明文化できない彼の音楽の魅力なのではないかと思う。

 

そして没後10年になる今、ハチプロの音を使って一曲作ってみた。表面的には模倣してみたが、どうにも納得のいく音楽には近づけない。そのうちリベンジをしようか、既に思案中だ。

レイハラカミの音楽を模倣しようとするのはある意味ナンセンスな行為だという自覚はあるが、彼の音楽への探求はやめられないのである。

五輪と音楽

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オリンピック

 まもなく東京オリンピックが開幕する。
 コロナ禍で延長されたが、そもそもの開催年であった去年の西暦を変えず「東京オリンピック2020」と称したまま開催されるそうだ。2021年には誰もコロナ禍が収まっているだろうと甘く考えた結果がこの名前に現れているのは言うまでもない。
 そしてIOCの史上稀に見るクソ会長である、フーガの書けない偽物のバッハなる輩や、コーツなるゴミなどを筆頭に言いたい放題の圧力を日本にかけ、中国の国際機関への支配を見せつけてきた。いくら日本人が温厚だからといってなめ過ぎである。現に私は堪忍袋の尾がすでに切れている。目の前にバッハ会長がいたらどうなるかわからない。そして残念なことにこの世界バイオテロ戦争下における日本の宰相は、地方の田舎出身の苦労人という触れ込みで出てきた菅義偉であった。この宰相はまったくもって鈍く、判断はどこか他人任せ、その割には裏で強権を握って恐怖政治をしてきた人物であった。さらに悪いことにこの総理擁立には、昔から小沢一郎とともに売国活動に余念がなかった二階俊博が絡んでおり、まあやりたい放題の最低政権となっている。無論コロナの蔓延はとどまることころを知らず、さらに開催地の風見鶏知事こと百合子ちゃんも、ときの1:9ヘアこと菅総理もまったく責任を取ろうという態度は見えない。

 考えてみれば上皇陛下が御わす時に、悪疫が都に蔓延し、時の御上は無能の悪代官という、なんか日本史で習ったような構図である。歴史は繰り返すということか。

 それなら次に起きるのは令和の大飢饉かあるいは令和の大塩平八郎の登場による、打ちこわしという民衆の武装蜂起だろうか。とまあ私はもともと保守層の人間であるが、ポリティカルコンパスによると「中道左派」と言われていた。日本の地軸が左に傾いているので保守に見えていただけで、さほど保守ではなかったことが今になって強烈な政権への憎悪になって吹き出しているというわけだ。

 ここまで強くバッシングすれば私が今回の東京五輪について反対の立場で、開催直前であっても中止を主張していることはおわかりになるであろう。しかしもともとスポーツ観戦は大好きであり、東京五輪誘致成功のときは、テレビの中で飛び上がって喜ぶ猪瀬知事を見ながら何やら感動し、同じようにこの五輪の日を楽しみにしていたのである。それが、新型コロナウイルスなる出来損ない兵器のバカみたいな漏洩で世界が危機に瀕してしまった今、その考えは全てかき消えて、ただ中止を、国民の命を、自分の命を最も大切に考えているわけである。

 

 そこで今回のオリンピックを音楽の面から見てみようと考えた。

 

 オリンピックと言うとつきものなのがファンファーレであろう。そしてその中で最も有名なものは1984年のロサンゼルス五輪のために書かれたものではないだろうか。

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この名曲を書いたのは映画音楽の大巨匠であるジョン・ウイリアムズなのである。

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John Williams

 オリンピックの音楽には、その国を代表する作曲家が関与するのが一般的で、まさにアメリカのオリンピックで音楽を書くなら彼というのは間違いのないところだったと思う。しかし短い曲でもしっかり彼の音楽の持ち味や作風が出ている点は素晴らしいの一言だ。

 一方で海外のアーティストに音楽を任せる例もまた存在しており、例えば1992年バルセロナオリンピックでは日本人の坂本龍一が音楽を手掛け、開会式で自らタクトを握ったことが話題になった。曲のタイトルは五輪時は「バルセロナオリンピクス」だったが後に「El Mar Mediterrani(地中海のテーマ)」とされた。
抜粋ではあるがお聴きいただきたい。

 

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 作曲した坂本龍一は日本を代表する広範囲の創作を行う作曲家、マルチコンポーザーであることは説明の必要はないだろう。

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坂本龍一

 その反面、若い頃から突出した極左論者であり、その闘争の歴史はなかなか私などにはよく理解できないものであすらある。しかしその思考が、闘争が感動の押しつけであるオリンピックに向けられ、彼の言葉で語られたこの音楽は実にオリエンタルな要素、現代から古代の要素、更にはPopsの要素も加わった素晴らしい曲である。
 要はオリンピックへの皮肉が結実された音楽であり、不完全終止を愛する彼の完全終止音楽は、予定調和への当てこすりというふうにも考えられるのである。
その点で私はこの曲こそ彼の最高傑作ではないかと思ってすらいる。


 さて話を日本に戻そう。
 日本では今回開かれるであろうクソ大会を含めて今までに4回のオリンピックを経験している。(※1940年の幻のオリンピックを含まない)

すなわち

・1964年東京オリンピック(夏季)
・1972年札幌オリンピック(冬季)
・1998年長野オリンピック(冬季)
2020年東京オリンピック(夏季)

である。

 それぞれの大会は今般のものを除いて大いに盛り上がり、日本の歴史に刻まれるものとなった。まあある意味今回のものもすでに始まって以来のクソ五輪として歴史に刻まれているけれども。

 オリンピックが盛り上がる時、同時に上述のようにその音楽も話題になるのだが、日本の各大会ではどうだったのか見てみようと思う。


 1964年東京オリンピックではそのファンファーレは公募とされたそうである。
 そして見事にその公募に当選したのは、今井光也というよく知られていない人物の作品であった。

 

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今井光也

 今井は1922年11月1日に長野に生まれオーケストラ団員の父から手ほどきを受けて、一般業のサラリーマンをしつつアマオケに入り活動していたという。また作曲はちょくちょくしていたようで、このファンファーレ以外にも校歌や団歌にその名前が見られるようである。ちなみに2014年5月6日に91歳の天寿を全うされたとのことである。
 そしてこのファンファーレは知らないようで日本人なら誰もが耳にしたことのある曲である。聴けば納得の名曲であり、またファンファーレなのに短調で書かれている点も極めて珍しい。

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 これを聴くとアレ?と思う人もあるかもしれない。この後に本来は行進曲が続くはずと。しかしそれは間違いである。たしかにファンファーレとマーチはセットで演奏されることが多いが、この後に続けられる行進曲は朝ドラ「エール」のモデルとして話題になった古関裕而が書いたものである。

 

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古関裕而

 古関裕而は1909年8月11日に福島に生まれ、リムスキー=コルサコフに師事したとも言われる賛美歌の作曲家金須嘉之進に師事、その後は山田耕筰の薫陶を受け、主に歌謡曲、流行歌、軍歌のジャンルで多くの名作を残した。
 しかし実際に古関は、こういった商業音楽だけでなく、純音楽もかなりモダンに書きこなす力があったと言われ、交響曲を3つやコンチェルトなども書いたそうだが、いずれも紛失あるいは焼失してしまい、無調風の歌曲「海を呼ぶ」のみがそのモダニストの姿を唯一伝える曲となってしまっているのは、非常に惜しい。

 と言ったわけで古関裕而が書いたこの「オリンピックマーチ」を先程の今井のファンファーレとセットで聴きいただきたい。

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 極めて流麗でありながら軍歌を得意とした彼のマーチの上手さと、突出したメロディメーカーっぷりがはっきり分かる日本の顔たる名曲である。

 

 

 さて次は1972年の札幌オリンピックである。
 実は私は冬季オリンピックのほうが夏季オリンピックより好きなのだが、札幌リンピックにまつわる曲は先の東京オリンピックよりも素晴らしいと思っている。

 まずファンファーレを手掛けたのはなんとあの三善晃である。おそらく彼初の吹奏楽曲がこれだとも言われている。

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三善晃

 三善晃は1933年1月10日に東京に生まれている。その後は平井康三郎、池内友次郎に師事しながら東大仏文科に進む。そしてその途中でフランスに渡り勉強をしたがこれを中退し帰国後、ありとあらゆるジャンルの純音楽を天才的な筆で書く日本を代表する作曲になった。
 フランス和声を軸とした、決して調性を手放さないものの、極めて無調的に拡張された独特の音世界を構築、特に声楽、合唱の世界の大改革を行ったことは有名である。2013年10月4日に80歳で亡くなった彼の作品は膨大を極めているが、どれもすぐにそれと分かる突出した個性を持っており、これは彼の戦争経験に基づく死の匂いだとも言われているようである。

 そんな彼が手掛けたファンファーレ、ぜひ聞いてみよう。

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 おお!三善ワールドがこんな短い中にも詰め込まれている。特に終止の和音進行は素晴らしい。

 そしてこれに次ぐ行進曲はというとたくさん書かれているのである。
その中でもまた古関裕而が手掛けた「純白の大地」はオリンピック賛歌として清水みのるの詩がつけられている。

 

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 なるほどさすが古関と言ったところか。覚えやすいメロディに、よくなる和声、歌謡にしてはうますぎるオーケストレーションだ。

 

 先程今大会にはたくさんの行進曲が書かれていると言ったが、その他を見てみよう。


 合唱界の渋めの作曲家岩河三郎も関係曲である行進曲「虹と雪」を書いている。

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岩河三郎

 岩河三郎は1923年9月9日に富山の生まれ、2013年9月16日に90歳でなくなるまでに、保守的で教育的な作風で多くの合唱曲や歌曲、校歌を残しているが、少ない器楽作品でも意外なことに吹奏楽作品は数曲書いている。
そのひとつがこの行進曲なのである。聴いてみよう。

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 実にオーソドックスなコンサートマーチと言えるだろう。そして特筆すべきなのは、トリオのメロディだ。これはあれ?と思う人も多いだろう。
 そうこれはトワ・エ・モワの歌った「虹と雪のバラード」の引用である。なるほどユニークである。しかしこれだけ真っ直ぐにちゃんとマーチを書くというのは一周回ってすごいなと思う。やはり色々ひねりたくもなるものだが、そういった衒いが一切ない。

 

そして次は入場行進に使われたという曲である。
「白銀の栄光」と名付けられたこの曲は、山本直純の作曲である。

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山本直純

 山本直純は前にも触れたとおり、自分の活動の指名をクラシックの裾野を広げることと割り切って活動しており、純音楽作品は実は少ないのだ。その中でもこのマーチは彼の作風際立つ素晴らしい行進曲で、聴いているだけでワクワクしてくる。

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 いや直純節満点でスカっとする。書くならこういう気持ちの良い行進曲を書いてみたいものだ。

 開会式にはまた別の作品が用いられ、こちらは矢代秋雄が手掛けた。

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矢代秋雄

 矢代秋雄は1929年9月10日に東京に生まれ、若い頃から楽才を発揮フランスでナディア・ブーランジェにも師事している。濃厚で緻密、対位法と複雑なわせを組み合わせた作風は隙きがなく、完璧主義であることが用意に想像できる。それだけに作品数は少ないがそのどれもが大傑作と言われる。なお矢代は1976年4月9日に46歳の若さで急死している。

 そんな矢代が書いた曲は、吹奏楽のための祝典序曲「白銀の祭典」と題されている。聴いてみよう。

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 はじめはオーソドックスに感じるかもしれないが巧妙に仕組まれた和声と、響き合うファンファーレがユニークである。その後の部分も五度堆積和音の保続などなかなかの趣向を見られる、いやこれも傑作ではないだろうか。

 

 

 

 

 さて次は1998年長野オリンピックである。
 私は1978年生まれなので、唯一生まで見た日本のオリンピックである。毎日テレビにかじりつき、特に日の丸飛行隊の大ジャンプには感動して泣いた記憶が鮮明に残っている。その大会のファンファーレを当時もう音楽の道に入っていた私は楽しみにしていた。そしてその楽しみは裏切られなかった。

 長野オリンピックのファンファーレは日本の大巨匠湯浅譲二によって手がけられた。

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湯浅譲二

 湯浅譲二は1929年8月12日に福島県に生まれた。ほぼ独学であったが、独習だけではだめだと痛感して、基礎的な理論を中田一次に習っている。その後は実験工房のメンバーとして日本の前衛を牽引し、方眼紙で作曲に当たる方法論を採用、アメリカを拠点に世界的な影響を与えたのである。
 極めて難解な語彙を用いる作曲家であり、ナラティヴィティとコスモロジーを自らの作風の説明として用いるなど、一筋縄で行く人ではない。そんな湯浅が一体どんなファンファーレを書いてくるか楽しみでしょうがない。早速聴いてみよう。

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 「冬の光のファンファーレ」と題されており、不協和音が煌めきを持つように書かれ、最後まで独特の音楽世界を貫徹している。これはファンファーレ単体としても凄まじい傑作ではないかと思う。終止の音さえドミナントを含むというのは驚きである。

 

 続いて入場の曲であるが、開会式での小澤征爾指揮するところの第九が印象的すぎて、開会式全体はあまり記憶にない。実際には石井眞木が監修をし、石井眞木、田中贒、藤田正典、松下功の4名がそれぞれ別の曲を担当する形で書かれたようだ。また子どもたちが歌う歌はアンドリュ・ロイド・ウェーバーが手掛けたとのことだ。

よくわからないので開会式の映像を貼ってみようと思う。

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 なるほどいずれもとらぬ現代の巨匠の仕事である。ちゃんとそこに日本があるのが誇らしい。

 

 

 では今大会はどうなのだろうか。
 はっきり言って開催反対の私はその信念として今大会を観ようとは思わないし、沿道に出ようとも思わない。家の中で静かに時がすぎるのを待ちたいと思う。
 アスリートには罪はないが、自分の主張をするのもまた人としての尊厳であると信じるからである。しかしすで大会前にしてこの開会式を手掛けるコーネリアスこと小山田圭吾の過去が掘り返され、謝罪するに至るなどグダグダな雰囲気である。

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小山田圭吾

 そんな批判の嵐の中でアーティストがしっかりとアートできるのか甚だ疑問である。五輪反対という思想は分かるが、だからといって何でも叩けば良いとは思わない。小山田のしたことは許されないかもしれないが、五輪がなければ、今の形で強行されてさえいなければ、ここまで騒がれただろうか。私は一アーティストとして、微力だがアーティストのへのクソミソの批判には反対する。彼は極めて優秀な日本の財産であり、つまらない政争の具にされるような人物ではないと思うからだ。

 しかし一方で、開会式の音楽担当が彼だと聞いてがっかりもした。更にメダル授与の音楽は劇伴で有名な佐藤直紀が担当するということも聴こえてきている。

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佐藤直紀

 これもある意味がっかりである。
 みんな表面をなぞるだけで、本来の日本の文化伝統というものを理解していない。過去のオリンピックを見てみろ、素晴らしいではないか。それが何だ、今大会の体たらくは。ただの感動の押し売りに成り下がり、メディアのおもちゃとなった大会に高い文化を求めることなどできようはずがない。期待ハズレも良いところだ。強行してまで開催され、感動を与えたいなどと首相が述べる様な五輪に感動すると本気で思っているのだろうか。もしそうなら完全頭のイカれたクズである。
 感動の押し売りがいかに馬鹿らしいかということを、感動ポルノがいかに無意味かを、24時間テレビがずっと示しているではないか。五輪という素晴らしい大会が24時間テレビ並みの俗な低級ショーにまで堕ちたのは明白だ。


さあ今からでも遅くない。直ちに中止を決断するのだ。

自作曲あけすけ解説シリーズ③「夜の窓辺にて」~楽曲編その2~

~前の記事~

 

ピアノ小品集「夜の窓辺にて」 /冨田悠暉 - YouTube

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曲のタイトル

前回では、「あつくって ねむれない」まで解説しました。

今回はその続きいってみましょう。

 

【もくじ】

 

街のからすの守り唄

カラスという鳥は、基本的に嫌われ者です。

というのも、都会でごみを漁ったり猫を襲ったりしているせいですね。

そんなカラスは真っ黒な色をしており、夜・闇・悪魔といった印象を漂わせています。

 

しかし、そんなカラスも元々は他の野鳥と同じように、山で木の実や虫なんかを食べて平和に暮らしていたわけです。

童謡の「七つの子」なんて、まさにそういう情景じゃないですか。

 

街中でゴミ袋を破いているカラスたちから、僕は哀愁を感じます。

今じゃ七つの子がいるのは山ではなく、電柱の上とかになってしまいました。

 

「街のからすの守り唄」の冒頭で示される民謡調のメロディは、カラスたちが山にいた頃の祭りの唄です。

その民謡調のメロディが、民謡の雰囲気をやや残したまま、瀟洒な和声で彩られて行きます。

つまり、カラスたちはもう山から下り、街にいるということです。

カラスたちはまだあの祭りの唄を忘れてはいませんが、その響きはほんの少し郷愁を含んでいます。

 

つまり、闇は実のところ光なのかもしれないというコンセプトが詰まっているのです。

 この曲も密かに僕のお気に入りです。

 

 

好きな子ができて……

こちらの曲は、先ほどの逆では実のところ闇なのかもしれないというコンセプトで書きました。

「好きな子ができる」、すなわちというのは、多くの人にとって輝かしいことの代表格みたいに思われています。

でも、恋って意外と暴力的なものじゃないですか?

 

この曲の主人公は、1人の男の子です(別に女の子でも構いませんが)。

ちょっと前から、あるクラスメートのことがなぜか頭から離れません。

だけど、この子はまだ恋という概念を知らないので、炎のように押し寄せてくる感情の正体が分からず、戸惑うしかありません。

最後には、何が何だか分からなくなって、衝動的にその子を突き飛ばしてしまいます

どうして突き飛ばしてしまったのか、その子自身にも分からない……とまあこんな情景を想像しながら作曲しました。

 

音楽的なことを言うと、この曲には特殊な工夫がいくつかあります。

まず、主人公が好きな子を突き飛ばしてしまった瞬間の表現として、ドガアァァ~~ンという効果音を用いています。

これは、ピアノのペダルを強く踏むことで得られる音です。

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特殊奏法

また、得体の知れない感情にさいなまれる戸惑いを表すため、特殊な調号を用いています。

この曲は、全音音階(ホールトーンスケール)に音を1つ加えたスケールで全体が構成されており、そのため全音音階のアヤシイ雰囲気が強いですね。

ちなみに、そんな怪しいスケールをさらにトイドラ式ロクリア旋法理論(TLT)で和声的に解釈することで、この響きは生まれています。

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変な調号

 

母さんが ねずに ないてる

この曲は、マジで僕の母が寝ずに泣いてるときに作りました

めちゃめちゃ意味の分からない理由で言い合いをした後で、母のすすり泣く音が聞こえてきて僕も眠れなかったので、BADに入りそうになりながら作曲をしていました。

 

それはそうと、母が泣いているという状況を目の当たりにすることは、子どもにとって衝撃的な出来事です。

母親は子供にとって神であり、正義であり、光の象徴ですから。

そんな母が泣いている、ということは、今まで信じていた光が実は光ではないのかもしれない、ということです。

唯一の光に縋っていられるときは終わり、自分というものを確立する、つまり独り立ちしなくてはなりません。

 

そんな不安定で動揺に満ちた情景を表現するため、ここでも音楽的な工夫がしてあります。

この曲を形作っているスケールは、リディアン・スケールです。

リディアン・スケールは、「リディアン・クロマチック・コンセプト」を見てもわかる通り、音楽の中で最も響きが安定しており、きれいに響くスケールです。

つまり、音楽における神、正義、光というわけですね。

 

しかし、そんなリディアンスケールにトイドラ式ロクリア旋法理論(TLT)を適用すると、おかしなことになります。

TLTは従来の音楽と真逆の音楽理論なので、従来の音楽では使えなかったロクリアン・スケールが模範的なスケールに、そして従来の音楽における神、正義、光だったはずのリディアン・スケールは使用禁止になります

実際、この曲は調的に不安定で、終止和音に解決感がありません。

今までの音楽でロクリアン・スケールを使った時のような不安定感を、ここでは逆にリディアン・スケールを使って醸し出している、というわけです。

 

よるのむこうに みた こたえ

さて、この曲は聞いた瞬間分かる通り「君が代」のアレンジになっています。

日本国家として有名なアレです。

この「君が代」、前にもブログで詳しく書きましたが、実は音楽的にだいぶひどい誤解の元に作られた曲です。

日本音楽を西洋人が誤った解釈の元で編曲した結果が、みんなよく知るこのオーケストラ版なんですよね。

そこで、ちゃんとした解釈で「君が代」をちゃんとリハモナイズしたい、というのが最初の着想でした。

 

では、なんでただの「君が代」がこの曲集に入っているのでしょうか。

これは、アイデンティティの確立という意味で大きな意味を持っています。

 

生まれというのは、子ども側から選ぶことはできません(子どもは親を選んで生まれてくるんだよ~みたいな戯言は却下)

僕は日本に生まれてくることを選んだわけではないし、今の親から生まれてきたのもただの偶然です。

とはいえ、それが自分という人間の形成に大きくかかわっていることは言うまでもありません。

 

つまり、アイデンティティを確立するためには、

  1. 自分の「生まれ」を認め
  2. その上で「生まれ」という枷から脱却する

ことが必要だというわけです。

自分の生まれを無視していても、そこに縋っていてもダメということです。

 

そこへ来て、この曲はどうでしょう。

君が代」という国家を題材としながら、その在り方に疑問を持ち、自分なりに解釈し直しています。

これこそがアイデンティティを確立する瞬間ではないでしょうか。

 

よるのむこうに みた こたえ」というタイトルには、それなりに重みを持たせたつもりです。

 

窓に映った迷子の詠唱

こうしてアイデンティティを確立したわけですが、そう簡単に思春期は終わりません。

鏡を見れば、もう1人の自分が「本当にそれでよかったのか?」と醜い顔で語りかけてくることでしょう。

未来への漠然とした不安と自己嫌悪の瞬間です。

 

この曲は、旋律とスケールが鏡写しの構造になっています。

具体的には、ロクリアン・スケールとリディアン・スケールの複旋です。

ロクリアン・スケールとリディアン・スケールは、上下鏡写しの構造を持つスケールですからね。

また、最後の部分はあからさまに旋律が反行しているのが分かるでしょう。

 

夜の窓辺で 見たものは

この曲は、曲集の終曲を飾っています。

他の曲は1曲あたり長くても5日くらいで作っていたのですが、この曲だけはなんと1か月かかりました。

また、他の曲は作曲しながら題名を考えていたのですが、この曲だけは先に題名を決めてありました。

 

この曲について語ることはあまりありませんが、1つだけ。

実はちょっとだけ、三善晃の「海の日記帳」へのオマージュがあります。

ピアノ小品集「海の日記帳」の終曲を飾る「波のアラベスク」、この曲からリズムモチーフを拝借しました。

雰囲気が少しだけ似ているのではないでしょうか。

ついでに言うと、「海の日記帳」の終曲は28曲目、「夜の窓辺にて」の終曲も28曲目です。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

正直、自分のような無名の作曲家がこういう記事を書いたところで、どのくらいの人が見てくれるのか分かりません。

しかし、逆に言えば無名の作曲家でもこのくらいのことを考えて作曲をしています。

もしかしたらこのシリーズ、まだ続くかもしれません。

Easy Listnerのためのアニメサントラ選 ~ココロ図書館編~

【前回】

nu-composers.hateblo.jp

 

アーカイブ

ARIA/スケッチブック/灰羽連盟/あっちこっち/風人物語

 

梅雨がまだまだ続きますが、晴れ間には陽射しが眩しい季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。どうも、gyoxiです。今日紹介するサントラは、太陽の眩しいこれからの季節にぴったりのこの一枚。

 

ココロ図書館

より

 ココロ図書館オリジナル・サウンドトラック

 

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ココロ図書館について

ココロ図書館」は、こころ・あると・いいなの三姉妹がココロ図書館の司書として働く中で起こる様々な出来事を描いた作品だ。いわゆる癒し系日常作品で、アニメの脚本曰く、"「全く毒の無い」物語"に仕上がっているとのこと。視聴した私としても、あまり深くは刺さりませんでしたが、「いやこれ、絶対に熱烈なファンがいるでしょ」と感じるほどの癒され具合でした。これはなかなか...

さて、そんな作品の原作は髙木信孝・脚本は黒田洋介が作っている。

 

大阪を本拠地とする一流家電メーカーで技術者をしながらBoo(ぶぅ)というペンネームで同人誌活動を行ってきたが、30歳のときに漫画家を目指して退職[1]。

友人である脚本家の黒田洋介の脚本で執筆した『ココロ図書館』(『電撃大王』)で商業誌デビューを果たす。同作品は後にアニメ化された。

高木信孝 - Wikipedia

 

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黒田洋介さん

高校卒業後、東海大学に入学。在学中は漫画研究会に所属。本人曰く「行かなくなってしまって」19歳で大学を除籍。雑誌編集者を経て、1993年スタジオオルフェ結成に参加。ゲームシナリオの仕事をしていた関係から本格的にアニメ脚本を手掛けるようになる。[2]


で、なんで今回は脚本まで紹介しとるのか、ということですが、実は髙木さんと黒田さんは

髙木さんが漫画家を志望して退職することを黒田さんに報告→黒田さんが「今から修行するのでは遅い」と判断→『月刊コミック電撃大王』の編集長に髙木さんを売り込み→黒田さんが脚本を書くことを条件に商業デビュー(ここまで約一時間半)

ということがあったのだそうです。いやはや、人の縁とはすごいもんですね。

さてさて、このアニメーション作品の監督を務めるのは舛成孝二だ。

 

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舛成孝二監督

観客へ手を広げてウェルカム!「宇宙ショーへようこそ」舛成孝二監督 : 映画ニュース - 映画.com

 

初期はますなりこうじ名義で活動していたこともある。

2001年に製作されたOVA作品『R.O.D -READ OR DIE-』は大反響を呼びアニメ監督として高い評価を得る、同時にこの作品はヒットし続編が監督自身によって2003年に『R.O.D -THE TV-』としてテレビアニメ化された。

舛成孝二 - Wikipedia

 

私が観た舛成監督の作品は、かみちゅ!です。というか今観てます。これもまた、なかなか素晴らしい作品でして、まあ、この話は、いずれまた...

([追記]この記事を書き終わったその日の夜、「宇宙ショーへようこそも視聴しました。面白かった...)

 

ココロ図書館の音楽について

さて、そんな毒のなく、柔らかで優しい作品の音楽を作っているのは保刈久明だ。

 

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保刈久明さん


保刈久明ファーストライブ『The Day of Solaris』開催決定!|株式会社 キョードー東京のプレスリリース

保刈 久明 (ほがり ひさあき)は、日本作曲家編曲家音楽プロデューサー福島県郡山市出身。

同郷の小峰公子と結成したユニットKARAK1991年メジャー・デビューしているが、2010年現在、同ユニットは事実上の活動停止状態である[1]

ギタリストとしては溝口肇ZELDA濱田理恵ZABADAKなどのレコーディングやPSY・Sのライブツアーバンドに参加した。

新居昭乃の作品における共同作曲、編曲、ライブサポート(エレクトリック・ギターなど)、ROCKY CHACKの編曲、プロデュースのほか、アニメ・映画関連の仕事も多い。

2013年には、初のソロアルバム『DOZE』を発売した。

保刈久明 - Wikipedia

 

そんなココロ図書館サウンドトラックには、”爽やかな夏”を感じ取ることのできる曲がいくつかある。今回はそんな曲を聴いて、間近に迫る夏に思いを馳せてみよう。

 

窓に映るひまわり

この窓とはおそらく図書館の窓のことだろう。山奥の古びた図書館の窓から見える、空とひまわり。比較的彩色の少ない図書館の中から眺める、目に鮮やかな青と、そこに揺れている黄色。この曲を聴くと、そんなクッキリとした色彩が瞼の裏に映る。

 

空につづく坂道

深く青い空に聳え立つ大きな入道雲。目に染みるような空の青。そんな景色の中をゆっくりと登ってゆき、ふと後ろを振り返ると、遠くに見える街並みに向かって、爽やかな風がドゥっと吹き抜けてゆく。この曲からは、そんなひと夏の爽やかな体験追体験することができるだろう。

 

風の強かった日

林の木々を揺らして絶え間なく吹き抜けていく、気持ちの良い爽やかな風。その風に乗って、自分もまた、林の中をかけてゆく。眼に眩しい木漏れ日たちがキラキラと踊る。気持ちの良い風の疾走感を全身で感じることができるのがこの曲だ。

 

遠い夏 光の庭

誰しもが持ってる、夏に関する記憶。人それぞれ、さまざまな思い出があるだろうが、それはとても懐かしく、そしてどこか穏やかで静かなものだ。この曲は、そんな遠い夏を思い出すときのあの懐かしい気持ちで溢れているのだ。

 

おわりに

今回はココロ図書館サウンドトラックを紹介した。蒸し暑いまだまだ梅雨も続きそうでなかなか爽やかにはいかないかもしれないが、このサウンドトラックを聞いて気分だけでも爽やかな夏を満喫してみてはいかがだろうか。それではまた。

 

~次回~