名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

子供のための作品と作曲家の作風について

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ピアノ教室

 我々作曲家にはふとした瞬間にやってくる依頼がある。
それは「子供のためのピアノ曲というやつだ。
事実私も数曲この手のご依頼を受けたことがあるのだが、よくこのジャンルについて考えると、案外難しいものであることが分かる。

 

-え?簡単に弾ければいいだけじゃん?
-オクターブ届かないから音域に注意するだけでしょ?
-調性音楽で書くだけでしょ?
-可愛いタイトルにしたほうがいいよね

 

たしかにそのとおりである。しかしそのとおりでもない。

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こどもの成長

 まず「簡単に弾ける」というのは、どのくらいのグレードを対象にしているかによって意味合いが変わってくる。
 子供でもすでにショパンを弾くような子にとって、ドレミだけで構成された曲など簡単すぎて弾くわけがない。
 反対に今触り始めたばかりの子にツェルニーの中盤ぐらいの難度の曲を与えても弾けるわけがない。

 同様にオクターブについても幼児ならそうかもしれない。
しかし小学校も高学年になってくれば結構届く子も増えてくる。
それより前に演奏レベルが上って、オクターブはアルペジオで弾くことを覚えている子もいる。

 タイトルに関しては、たしかに対象の子たちの関心を持ちやすいもののほうが良い。
しかしそれも「ちゅーりっぷ」とかでは中学校1年生くらいになって関心を持つだろうか。
 逆に「ほのかな恋」とかにしても幼稚園の子ではちょっと踏み込み過ぎかもしれない。


 というように「子供のための」という言葉の中にはその急速な成長に応じた幅広い設定が求められるため、一概にこういうものだと定義しづらいのだ。

 

しかし問題は、実はそこだけではない。

 

 自身の作風と、求められている楽曲の間の乖離こそが最大の問題である。
そしてそれは、子供をただの未発達な存在と見るか、素直な直感に優れたアーティストとしてみるかとも関係してくる。
 前者としてみれば、案外失礼なものだし、後者として期待しすぎると重荷にもなる。
加えて指導者の力量もまた大きく問われるのである。

 

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苦悶する作曲家

 

こんなに多用な背景があるジャンルを私は他に知らない。
そしてそれを多くの人は「作曲のプロにとっては造作もない簡単のこと」勘違いしていることがまま見受けられるから怖いのだ。


 そこで今日はそんな問題を多くの作曲家がどのように対処しているか、特に日本の作曲家に絞ってみてみたいと思う。

 

 

 

1.子供用と普段と作風を切り分けてしまえ!

 

 すぐに思いつくのはこのパターンである。
子供用にはそれ専用のわかりやすい曲を書き、一方で普段の芸術作品は難解を極めるというパターンは、やはり黄金パターンであって多くの作曲家に見られるものである。

以下、少し例を見てみよう。

 

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水野修孝

水野修孝(1934-)
東京藝術大学柴田南雄、長谷川良夫、小泉文夫に師事し、即興を主とする音楽からジャズを経て、実験音楽などを通じた結果、非常に独特な折衷様式へ到達した作曲家である。
<普段の作品>
ピアノのための「仮象

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<子供向けの作品>
ピアノ連弾組曲「ミューズの詩」より1,4,5

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 なるほど硬派な響きを中心とした前衛語法に対して、子供向けの作品では自身が得意なジャズを取り入れた楽しい音楽が書かれいている。
 水野は自身の多彩な作風を入れ替え、組み換えその都度そのシーンに合う音楽を紡いでいるとも言えるかもしれない。

 

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佐藤眞

佐藤眞(1938-)
 言わずとしれた合唱の大家である佐藤は、東京芸術大学で下總皖一に師事している。
非常に手が大きいことでも知られ、ピアノ曲にしてもピアノ伴奏にしても結構多くの和音を用いた分厚さがあるのはそんな特徴から来るものかもしれない。
 一般的には大地讃頌の作曲者と知られており、シャープな面についてはあまり知られていないが、以下聴き比べてみよう。

 

<普段の作品>
ピアノ・ソナタ

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<子供向けの作品>※童謡
はしるのだいすき

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 音源選びには苦心したが、ピアノ・ソナタは私の展開する「忘れられた音楽」で作った音源を参照した。
 調性は放棄していないものの、極めてシャープでゴリゴリとした音響が聴かれ、大地讃頌の作曲家とは思えない一方、子供向けの童謡ではとてもチャーミングでありながら、洒落たハーモニーで終わらせるなど、子供を楽しませる工夫も感じられる。
非常に2つの作風が乖離している点では、紹介する中でも随一かもしれない。

 

 

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毛利蔵人

毛利蔵人(1950-1997)
 毛利は元々は一般職で音大の図書館職員であったが、そこで三善晃に師事する知遇を得て才能を開花、その後は武満徹の助手や、芥川也寸志との共作など非常に恵まれた環境で音楽を吸収し将来を嘱望された。
しかしその矢先胃がんに侵され46歳で早逝してしまった天才である。


<普段の作品>※アンサンブル曲
冬のために

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<子供向けの作品>
3つの小品

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 普段の作品はピアノの作品の音源が見つからなかったので、アンサンブル曲を取り上げたが、静謐と激動のなかにリリシズムを立ち上げる語法で、武満徹の影響も感じられる。
 子供向けの作品はやはり私の「忘れられた音楽」で音源化した作品を紹介したが、これはフランス風の瀟洒な響きで、三善晃の系統を感じるものだ。
なるほど多彩な音楽を吸収した毛利ならではの語彙チョイスと言えるだろう。


 なるほどたしかにこれなら、作曲は調性的な作品を書くときと、無調の作品を書くときで作風を切り分けることが可能で、その分作曲家としての懐広さも広がる。
しかし、そうではなく単に「子供だから」という理由だけで、作風を曲げ、単に「手抜きとして」簡単な作品を書いているとしたら、それは大問題である。
 名前は挙げないが、吹奏楽作曲家や若手現代作曲家にはそういった例も垣間見られメーカーの商業主義に操られる芸術家のあるまじき醜態と断じなければならないだろう。

 

 

2.そもそもの作曲スタイルが分かりやすい

 これはそもそも軸心が童謡や児童合唱、あるいは教育的作品におかれている作曲家に多い。
 もともと難解な曲を書こうという意図があまりないケースである。

 

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湯山昭

湯山昭(1932-)
 子供向けの作品と言って湯山の名前を知らない人はいないと言うぐらいに、このジャンルでは大家だと認識されており作品数も非常に多い。
 湯山は東京芸術大学で池内友次郎に師事、はじめはかなりモダンな作風であったが児童音楽の分野に軸心をおき、多くの童謡なども手掛けている。
<普段の作品>
ピアノ・ソナタ

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<子供向けの作品>
ピアノ曲集「お菓子の世界」

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 湯山の場合、普段の作風が子供向けの方とも言えるだけに、ピアノ・ソナタは異質な方かもしれない。
 たしかにソナタの方は勢い晦渋な響きもあるが、普段の湯山の語法の延長線であり、難易度の設定と構成法の差異はあれど、乖離は見られないといえる。

 

 

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大中恩

大中恩(1924-2018)
 大中もまた児童音楽や童謡、歌曲の世界では知らぬ者のない大家である。
 東京音楽学校(現芸大)の出身で信時潔、橋本國彦に師事、学徒出陣も経験したことがその後の作風へ影響しているのは間違いないだろう。
 特に日本語の美しさを大切にした歌の分野で多くの仕事をし、わかり易い中に印象的なスパイスを加える作風は広く愛されている。

<普段の作品>
三つの小品より第3番

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<子供向けの作品>
ピアノ曲集「あおいオルゴール」よりお月さまのおはなし

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 なるほどどちらも全く同じ語法で貫かれており、尖った部分など微塵も見せない。
 前者は対位法を駆使した古典的な書き方、後者はタイトルが示すように非常にメルヘンチックな世界観である。
 たしかに多くの人に愛された氏の人柄を思い起こさせる楽曲ばかりである。

 

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原博

原博(1933-2002)
 原もまた東京芸術大学の出身で池内友次郎門下である。
 この影響もあり、非常に対位法の技術に秀でており、これらを生かした音楽はモーツァルトやバッハにも通じるものがある。
 フランス留学を経験し、デュティユーにも師事しているが、厳しい作風は限定的な作品にしか見られない。
<普段の作風>
ピアノ・ソナタ第1番~第4番

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<子供向けの作品>
組曲第4番より子守歌

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 ピアノソナタは確かに難易度や曲の厚さなどで結構重いものがあるが、それでも子供向けの作品の正当延長上にあり、古典的な作風を愛した氏の作風として全く乖離がない。
 なんというか古典の作曲家が現代に生まれたらこうなるのかなと思わせるような作風である。


 こういった作曲家はロマン派の延長であったり、正格に厳格に音楽を作ることを大切にしているケースが多く、その叙情性に惹かれる人も多い。
 一方でシャープな現代性に惹かれる人はあまり取り扱わない作曲家ということも出来、そういう意味では棲み分けを自らしてしまっているとも言える。

 

 

3.なにが子供だ!芸術に妥協など必要がない

 これは少数派ではあるが、徹底的に自己の語法を曲げず、子供だろうが大人だろうが芸術に立ち向かうことを強く強要するスタイルを持つ人もいる。
 無論このスタイルはある意味で徹底的なストロングスタイルであり、演奏され難い曲を書くことになるが、芸術家の立ち振舞としては一つの憧れではある。

 

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八村義夫

八村義夫(1938-1985)
八村に関してはかつて特集記事を書いたので、詳しくはそちらを参照して欲しい。

 

nu-composers.hateblo.jp

 
東京藝術大学で島岡譲に師事、独自の感性に基づくショッキングで痛みの強い音楽を特徴とした。


<普段の作風>
ピアノのための即興曲

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<子供のための作品>
彼岸花の幻想

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 八村にはいくつかの子供のための曲があるが、彼岸花の幻想はその中でも驚くべき曲である。
 全く普段の作風と乖離がなく、子供のための難易度設定などお構いなしといった体である。
 しかし八村はその一方で、この曲に少年時代の不安感をモチーフにしたというように、ある意味子供に対して感じさせようとした点がそもそも異なるのだろうと思う。

 

 

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入野義朗

入野義朗(1921-1980)
 入野は日本における十二音技法の祖ともいわれ、その作風は当時のモダニズムを全身にまとったものである。
 また彼は元々東京帝国大学(現東大)の出身で、作曲は諸井三郎に師事した以外は基本独学であったようだ。
<普段の作風>
三つのピアノ曲

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<子供向けの作品>
四つの小曲より十二の音で

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 確かに難易度設定こそ違うが、子供用の作品でも全く臆することなく十二音技法を用いている。
 これらの作品に触れた子供は当時どう感じたのか非常に気になるところだが、今の耳からするとかえってユニークで楽しそうだなと思えるのが面白い。

 

 

4.超越的な世界に進んだもの

 そして最も驚くべきスタイルが、一つの作曲家の作風自体が難度や進度に柔軟に対応し、かつ芸術性を微塵も失わないというスタイルがある。
 私はこれこそが最も至高のスタイルであろうと確信するものだが、これはおいそれと到達できるものではない。

 

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三善晃

三善晃(1933-2013)
 三善はある意味で真の天才とも言える。幼少期から平井康三郎、池内友次郎に師事し、東大仏文科に入りパリに留学。
 その後はデュティユーに私淑しその語法を我がものとすると、ありとあらゆるジャンルの音楽にその才能を発揮して、日本の音楽史を塗り替えてきた。

<普段の作風>
ピアノ・ソナタ

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<子供のための作品>
海の日記帳より波のアラベスク

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 全く見事なまでに同じ作風で統一されているのにも関わらず、方や極めて晦渋さを表に出した雰囲気で、圧倒的に絶対音楽的世界観を構築しているのに対し、もう一方は素晴らしい描写と和声感覚、更にはこどもの表現力を馬鹿にしない姿勢を強く感じる。
 三善は三善メソードというピアノのグレード別メソードを確立していることから、教育的にも優れた人物であった。
 そのことが全く同じ語法においてすべてのジャンルの曲を書きこなすという類まれな境地にいざなったのだろうと言える。

 

 

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田中カレン

田中カレン(1961-)
 田中カレンは湯山昭に師事した後、桐朋学園大学三善晃に師事、その後フランスのIRCAMで学びトリスタン・ミュライユに師事していわゆるスペクトルの作曲法を身に着けた。
 しかし作品群には師に倣ったのか、こどもの作品がとても多いのが特徴で、またその美しさも話題になっている。

<普段の作品>
テクノ・エチュード

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<子供向けの作品>
星のどうぶつたちより

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 なるほど、同じ作風の延長線上両者があることは明白である。
明らかに難易度は違うが、これほどまでに純粋なこどものための音楽を書く人は稀であろう。
 そしてその響きは自然倍音列から生み出されるものが多く、彼女のスペクトルの経験がしっかり行きている点も見逃せない。

 

 

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武満徹

武満徹(1930-1996)
 最早何度も登場している武満について今更語ることはないが、現代日本を代表するレジェンドであり、その独特の語法から生み出されるサウンドは、柔らかさと愛に包まれている。
 武満は清瀬保二に少し師事した以外はほぼ独学で作曲を学び、アカデミズムを拒否し純粋に音楽のあり方を模索した。

<普段の作品>
雨の樹 素描

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<子供向けの作品>
こどものためのピアノ小品より雲

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 たしかにどちらも一度聞いただけで武満と分かる音楽であるし、子供向けの音楽にあってはこどもに寄り添う優しい眼差しすら感じられるだけでなく、何となく自分の少年時代の面影が曲に映し出されているようにも感じる。

 

 彼らの作品を聴けば、すぐに誰の曲かわかるスタイルがあり、当然大曲であればそのスタイルを濃くし、子供向けなら軽く薄めてみせるだけで、その表現の世界のレベルを落とそうなどととは全く感じない。
 こどもの芸術性ということを真に理解しているとも言えるし、ある意味で指導者の力量をも試してきているとも言える点では、非常に指導者泣かせかもしれないが、熟達していないものが指導にあたる怖さを浮き彫りにしてくれるという面においても意味が大きい。


 これらは今やピアノの世界においての出来事ではない。
 合唱曲、吹奏楽といったアマチュアが触る機会の多いジャンルでは、多く見受けられる現象になってきている。
 しかもそれぞれが全く良い形ではなく、1.の項で危惧したようなメーカー主導の中身のない商業主義への迎合に満ちている点は、日本の音楽文化のレベルを大幅に下げることをこれ以上なく助長してしまっていると言わざるを得ない。
 長ったらしいサブタイトルと、いかにも中身有りげな伝説を表題に取り上げながら、若者の短絡性に目をつけ忖度するようなことでは、作曲家自身も大したものにはならず、それを演奏したものにも大きな芸術性は身につかない。
 子供のための音楽に見られる、いびつな劣化今やメディアや企業によって商業モデル化されたことにより、その頻度や量を日に日に増している。

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西村朗



 そんな中で吹奏楽の課題曲に、作風を曲げずに「発注側の注文」をこなして見せた西村朗先生などの姿勢はやはり光り輝いていると言える。

 

 芸術家たるもの、それを求める者に対しても「芸術家たれ」と返せるようでなければならない。
 そのために日々修練し、脇目もふらずに研究をすべきだろうし、また商業主義、迎合主義に一喝入れられるようでなければならないと強く思う。


それが、文化の発展に寄与するということの意味ではなかろうか。


 この国の音楽界で仕事をするという意味を知っていたとしても、その中で抗うことをやめてしまっては、人間として、芸術家として生まれた意味がないというものである。

個人的音楽が芸術なら、青木龍一郎も芸術家ではないのか ―「HASAMI GROUP=現代音楽」説―

 

”現代音楽”

現代音楽という言葉ができてから、いったいどれほど経ったのだろうか。
今様色が今や今様ではなく、「ナウい」が古語となったように、現代音楽などとっくに”現代の”音楽ではない。

そもそも、現代音楽とはどういう音楽かといえば…………。

・・・メロディを歌ってはいけない・・・協和音やハーモニーなどもって
のほか・・・感覚(聴いて心地よい)より知性(論理的であること)を優
先するべきである・・・芸術なのだから、大衆に受けたりしてはいけな
い・・・新しいこと、人のやっていないことをするべきである

上の文章は2013年のロクリアン正岡氏の言葉を引用した*1ものだが、 それ以前から現代作曲家の吉松隆氏が唱えていた思想でもある。
伝統という足かせ(調性、教科書通りの演奏法、協和音、権威主義、などなど……)からの解放を目指して作られた新しい潮流は、やがてそれ自身が新たな足かせとなり果て、新たな権威となり果てる。
12音技法の時代以降、芸術音楽はどんどん不協和音に満ち、心躍るビートを失い、”聞きづらく”なり続けていった。
その結果、逆に”聞きづらく”なければ芸術音楽と認められないというバカらしい風潮が醸成されていったのは言うまでもない。
無論、現代になって印象主義を復古することに意味があるとは言えないだろうが、だからと言って何の考えもなく聞きづらい音響に走っても同様に意味がない。
芸術はその意味内容が重要なのであって、表面的な手触りに翻弄されてはいけないのだ。

 

個人主義の台頭

それでもあえて現代音楽という言葉を使い続けるとしたら、本当の意味での現代音楽は個人音楽であろうか。
これまで音楽においてタブーとされていた極度に個人的で主観的な表現が、今や新たな表現としてその芸術性を認められている。
榊山大亮先生が当ブログでまさにその内容を書いてくれているので、読んでいない方は是非読んでほしい。
個人音楽の先駆けとなったのは、「線の音楽」で知られる近藤譲である。

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近藤譲

彼の音楽は、平たく言うと非常につまらない。
胸を打つメロディも、美しいハーモニーも、見事な対位法もない。
ないというより、それを読み取ることを(私が)許されていない気がするのである。
無秩序に彷徨するような音の連なりは、他者と共有可能な何らのものをも表してはいない。
ただ個人的な音楽としてのみそこにあり、排他的であり、共感も意思の疎通も許さない。

 

HASAMI GROUPに見る個人主義

話は変わるが、「HASAMI group」というインディーズ音楽ユニットがある。

YouTubeやBandCanpで自身の音楽を無料公開している彼らは、青木龍一を筆頭に活動しつつ、最近徐々に知名度を上げてきている*2
彼らの音楽はいわゆるJ-popの影響を顕著に受けており、かなりイージー・リスニングなポップスが多い。
同時に、hip-hopやダンス・ミュージックの影響をも強く受けており、4つ打ちのドラムや日本語ラップ、リフが頻繁に登場するあたり、まさに現代のダンサブルな商業音楽に近い。

しかし、彼らの音楽はそれだけでは終わらない。
HASAMI groupの音楽は、ポップスであると同時に、奇妙なほど強力に個人主義である。
現代の商業音楽を席巻するポップ・ミュージックと見かけこそ似ているが、その哲学性はまるで逆なのである。
どういうことか。

 

というわけで、まずは実例から見ていこう。

 

1.ありがとう

この歌は、「ありがとう」というタイトルからは全く想像できない前奏から始まる。
やがてラップによる歌詞が始まるのだが、その歌詞はというと……

宮下草薙 / 街裏ぴんく / ダイアン / さんさんず / 錦鯉 / 永野 / 銀座ポップ / 虹の黄昏 / モダンタイムス / 野性爆弾 / 令和ロマン / ランジャタイ / かまいたち / 銀兵衛 / うるとらブギーズ / ジャルジャル / くるくる / モシモシ / ゴリゴリ / 秀正 / 八田荘 / 加藤誉子

(中略)

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

なんとお笑い芸人の名前を言い続けるだけ
一応2番もあるのだが、芸人の名前が変わる以外はほとんど変化がない*3

つまり、この「ありがとう」という歌は

青木龍一郎がお笑い芸人にお礼を言う歌

でしかなく、完全に個人的な音楽であることが分かる。
実際、お礼を言いまくっているとは思えないほど激しい不協和音やクラスター、不気味な旋律に満ちているが、彼にとってはこれがある種「感謝の響き」なのかもしれない。
「ありがとう」というタイトルのポップスなど無数にあるだろうが、これほどまでに個人的な「ありがとう」を聞いたのは初めてで非常に衝撃を受けた。

ちなみにMVもだいぶ奇怪だが、青木龍一郎は普段からYouTubeで再生数の少ない動画を漁ったり、日本中でリリースされた全て(文字通り)の音楽を漁ったりして、サンプリングの素材を収集しているらしい。
彼の音楽やムービーにはサンプリングによるコラージュが多用されており、この技法は彼の分かりやすい特徴といえる。

 

2.てて様

この歌もわかりやすく個人的だ。
「てて様」とはお父様という意味だが、なぜお父様ではなく「てて様」がタイトルなのかは誰にも分からない。
それどころか、サビの歌詞がなぜ「Rabbit Rabbit Rabbit Rabbit......」なのかとか、MVはなぜ朝青龍なのかとか、全くもって分からないことが多すぎる。
こうした歌詞やMVの凄まじいナンセンスさは青木龍一郎の大きな特徴だが、よくよく見ていると単にナンセンスなだけではなく、何らかの意味を秘めているように見えるものが少なくない*4
まさしくこういった個人的な表現を何の臆面もなくやっているのが、彼の音楽ではなかろうか。

 

3.景色がほしい

上では意図的に分かりやすく奇妙な歌を2つ挙げたが、HASAMI GROUPの作品の多くはむしろイージー・リスニングである。
「景色がほしい」はかなりポップス寄りの歌で、明確なハーモニーやメロディがある。
しかし、注目すべき点は他にもあるのだ。

まず、歌詞とMVを見る限りどうやらこれはラブ・ソングのようだ。
しかし、いわゆるラブ・ソングと違って歌詞はかなり難解(というかナンセンス)であり、はなから万人へ向けた歌ではないということが分かる。
これは彼の個人的な感情をもとにした作品であり、彼のための歌だと言えるだろう。
とはいえ、この歌から強く感じられるリビドーや諦念を纏った青春の香りは、聞き手にとっても全く共感できないというわけではない。

ちなみにこの曲に使われているサックスの音だが、なんとフリーの楽譜作成ソフト「Muse Score」のフリー音源らしい。
高価な音源などなくても表現はできるということだろうか。

訂正:MuseScoreの音源ではなかったようです。大変失礼致しました……。

 

総括 HASAMI groupは現代アートではないか

正直、ここで紹介できた歌はほんの一部に過ぎない。
HASAMI GROUPの歌の特徴である複調、被せられるノイズ、激しいコード進行、生のヴォーカルなど、まだ紹介できていないことはたくさんある。
それらは興味があれば聞いていただくとして、以上のことから自分はこう言えるのではないかと思う。

HASAMI groupは日本の最先端音楽なのでは?

青木龍一郎は単なるサラリーマンらしいし、恐らくだが芸術のキャリアもさほどないと思う。
作る音楽はYouTubeに無料で上げられている。
しかし、彼の表現していることに着目すれば、これはかなり先鋭的なことをしているのではないだろうか。

ポップスの形態をとった個人音楽。
それは彼自身が「個人的に」hip-hopやダンスミュージックが好きだったからそうなったのであろう。
従来の個人音楽と異なり、彼は作曲技法に徹底した独自性を求めない。
独自性を求めないことでむしろ個人的なコンセプトが達成され、従来のように聞き手の共感を拒絶することなく、むしろある種の共感が可能な個人音楽となっている。
それでいて、この音楽は青木龍一郎にしか到達できなかった地平に到達しているのだ。

 

私たち名大作曲同好会には、在野の若い作曲家が集まっている。
青木龍一郎のように、在野で音楽活動をしつつもかなりアーティスティックな表現に至っている人たちを見ると、気が引き締まる思いがする。
その一方、現代日本の音楽を取り巻く状況を考えると、その空虚さには寒気がする思いもある。
芸術とは何だろうか。
現代の世の中、本物のアートを見つけるためには、前澤友作社長の懐をまさぐるよりも案外ゴミ捨て場を漁った方が早い気さえする。

*1:雑誌「音楽の世界」2013年10月号より
『特集:21世紀音楽の潮流は?(3)』
21世紀の今、音楽の本道に則った作曲を!

http://locriansaturn.com/phirosophy.html

*2:実は10年ほど前にTV出演した時が一番知名度が高かったらしい。

*3:むしろ同じ芸人が2回出てきたりもする。どういうことだ。

*4:単にナンセンスなだけ、というものもたまにあるのだが。

Easy Listnerのためのアニメサントラ選 〜あっちこっち編〜

〜前回〜

nu-composers.hateblo.jp

 

こんにちは、gyoxiです。はい、やってきましたサントラ選シリーズです。このシリーズ、「アニメを知らない人でも1アルバムまるごと楽しめるサントラを」てな感じで執り行っておりますが、「このサントラの“この曲”が良いんだよなー!!」ってものもありますよね。あります。なので紹介します。今回は尺稼ぎも兼ねたそういう回です。

 

今回紹介するのはこのアルバム。

 

あっちこっち

より

TVアニメ「あっちこっち」オリジナルサウンドトラック

 

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あっちこっちについて

あっちこっちは異識によるラブコメ四コマ漫画だ。

 

日本の漫画家、イラストレーター。千葉在住。
代表作はあっちこっち
眼鏡が本体。単行本が出るたび色彩が薄くなる。
その他、アンソロジー、小説挿絵、イラスト、同人活動などで活躍中。

異識 (いしき)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)

 

ツンネコ無口少女の御庭つみきとイケメン朴念仁な音無伊御、そしてその周りの愉快な仲間達の日常を描いていて、ワチャワチャかつほのぼのしていて読んでてとても楽しい。因みに今でも萌え系四コマの殿堂であるまんがタイムきららで連載中です。読みましょう。

 

www.dokidokivisual.com

 

で、そのアニメ作品の監督は追崎史敏だ。

 

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追崎史敏監督(右)

代々木アニメーション学院[要出典]を卒業後、スタジオジュニオに入社。同スタジオ退社[1]後、長らくフリーランスアニメーターとしてGONZO作品やサンライズ作品などで活動していたが、2008年8月には池田東陽と共にエンカレッジフィルムズを設立[1][4]し、代表取締役の池田を支える取締役として同社へ籍を置く。

近年は演出業にも進出し、2007年には『ロミオ×ジュリエット』で監督デビューを飾った。[5]その他、キャラクターデザインを務めた『ケロロ軍曹』では、一部楽曲の作詞を担当するなど幅広い活動を行っている。

2013年2月25日には、同年2月17日に急逝した池田の後任としてエンカレッジフィルムズ代表取締役に就任した[3]

単なる「いろんな姿形の女の子の日常系アニメ」じゃない「セントールの悩み」の原作者・村山慶&追崎史敏総監督にインタビュー - GIGAZINE

追崎史敏 - Wikipedia

 

個人的に観た作品だとカレイドスター(キャラデザ・総作画監督)、WORKING!!(原画)、たまゆら〜hitotose〜(絵コンテ・演出・作画監督作画監督補佐)とかですかね。

 

このアニメ、漫画と同様にワチャワチャしててまぁ面白いんすけど、つみきさんと伊御さんの恋愛シーンとか含めて、なーーーんか全体的に不思議な落ち着きがあるんすよね。そこがとても良い。本当に良い。マジで良い。まあそこが理解されず(?)、放映当時はネット上ではあまり良い評価はされていなかったっぽいですが(後から知った)。許せねぇ。「このアニメなんか静かすぎてつまんねぇな〜!!」という人はヨコハマへ買い出しに行った後ネオ・ヴェネツィアスケッチブック持ってゆるキャンしてきてください。そして一緒にあっちこっちの二期を待ちましょう(待ってます)。

 

あっちこっちのサウンドトラックについて

さて、この作品のサントラを作っているのは横山克だ。

 

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横山克さん

1982年生まれ。国立音楽大学作曲学科卒業。
アニメやドラマ、映画などの映像作品の音楽を担当するほか、ももいろクローバーZをはじめとしたアイドルへの楽曲提供も手がける。
世界各地でのレコーディングや、自ら制作するサンプリング素材でのサウンド構築など、常に固有の音楽を探し求めている。

横山 克 | Miracle Group Official Site (miraclebus.com)

 

アニメ作品は勿論のこと、作品リストを見てみると映画、ドラマ等々、数多くの作品の劇伴を担当していますね。

 

さてこのあっちこっちのサントラ、「ふざけてるシーン!」とか「おいおいお前なぁ...的シーン」の曲ももちろん入っていますが、実は全体的に穏やかな曲が多く、イージーリスニングとして聴くにはもってこいの作品なのである!(あっちこっちのアニメに不思議な落ち着きがあるのもこのサントラが影響していたり...?) また、アルバム全体を通して生の楽器がガッツリ使われているのでサウンドもとても良いです。

 

それでは、早速あっちこっちのサントラを聴いてみましょう。

 

ぐるぐるぐる

動画用リンク(youtube)

「落ち着きが...」などと言っておきながら一曲目は元気で爽やかな曲。休日に「みんなで出かけようぜ!」ってなって、お出かけしているようなワクワク感が感じられますね。彼らの頭上にはきっと高い青空が広がっていることでしょう。

 

せ、背中だったら

動画用リンク(youtube)

この曲はちょっと寂しげな一曲。作品中の印象的なシーンとして、12話でつみきが、伊御のために作ったバレンタインチョコを家に忘れてきてしまい、雨の中ずぶ濡れになりながらチョコを取りに戻るシーンで流れています。字面だけ見るとシリアスシーンですが、この後つみきさんは迎えに来た伊御さんにナデナデしてもらうのでした。やったね。

 

一緒だと 嬉しい

動画用リンク(youtube)

この曲はとても温かで穏やかな曲だ。「一緒だと 嬉しい」というタイトルから想像されるのはやはりつみきさんと伊御さんの甘々なシーンですが、この曲からは友達みんなと過ごすかけがえのない時間、そんな温かさも感じられます。

 

にゃんにゃん

動画用リンク(youtube)

この曲、よく聞いてみるとストリングス、ギター、クラリネット、ピアノ等々、様々な楽器で構成されているのが分かります。にぎやかで楽しい日常から甘々な恋愛シーンまで、この作品の良さがぎゅっと詰め込まれているのがこの曲だと個人的に思っています。

 

おわりに

さて、今回は番外編と称してあっちこっちのサウンドトラックを特集しました。このアルバムはSpotifyやAppleMusic等配信サービスでも配信されているので、ザックリでいいので一度是非聞いてみてください。冬にぴったりの、透き通っていて、でも温かな、そんな曲がたくさんありますよ。

 

 

 

それではまた。

2020年良かった音楽

こんばんは。2020年冒頭に「2020年は復活と再生の年だ......」とツイートしたら、分断と破滅の年になってしまいました。もう言霊なんて信じない。榊原です。

そんな分断と破滅の一年も終わってしまったので、去年と同様にまた性懲りもなく2020年に聴いた曲を発表していきます。

 

その前に

皆さんお気づきのとおり、去年のにはあった「紅白」の文字がないですね?

そうです。なんかもう紅白歌合戦が完全にどうでも良くなったので、紅白の名を冠するのをやめました。*1

 

そして今回は2020年が終わってからの発表になりますが、それは敬愛するHASAMI group 青木龍一郎氏の発言に感化されてのことです。

 こんなこと言われたら、12/31 23:59まで粘るしかないですよね......

 

粘った結果、12/31 23:59前までに選んだ曲から特に変更はありませんでした。(←????????????????????????????????????????????????????)

 

また例によって僕が2020年に聴いただけで新曲とは限らないです。というかほぼ新曲ではないです。なんでだろう、不思議ですね。

そしてこれも例によって、全ての曲は独断と偏見により選考しています。

 

目次

 

ポスト渋谷系発掘経過報告

2020年前半は特に良い新曲に出会えず、ひたすら渋谷系の後継、ポスト渋谷系を聴きあさっていた時期がありました。ここにその成果の一部を公表しますが、ここに挙げるような良い曲はやはり普通に有名だったので別に目新しさはないです。

 

Cymbals - Show Business 

Cymbalsは1997年結成のバンドで、ポスト渋谷系に分類されます。ちょっとパンキッシュなのが特徴です。

僕はカヒミカリィのone thousand 20th century chairsがめちゃくちゃ好きで、それに匹敵する曲を日夜探していたのですが、これやん......となりました。

頭から終わりまで全部サビみたいな曲で、実質とっとこハム太郎うたと同じです(違う、と言いたいところだが、曲形式が同じなので本当にそう)

 

ROUND TABLE - Every Every Every


Round Table - Every Every Every

ROUND TABLEは1993年結成のユニットで、近年はアニメ関連の仕事が多いです。

かく言う僕もコロナで籠城してたときにそれでも町は廻っている(それ町)というアニメを見、BGM担当であったROUND TABLEを知りました。

 

ちなみにそれ町は全体的に音楽が良く、例えばOPはシュガー・ベイブのDowntown のカバーです。この曲のカバーの中では屈指の完成度だと思います。


それ町面白かったのでみんな漫画買って読んでください(アニメより漫画の方が面白い)。

 

COPTER4016882 - J Madd 9

名前が覚えられない。

COPTER4016882はマイナーなようでネット上に情報がほとんど転がってません。何者?

Apple Musicで適当に聴いてたらいつの間にか聴いてました。アーティスト名から察せますが、詩や曲がやたら捻くれてます。その捻くれ具合が好きです。サンプリングも一々シニカルでコミカルで素敵。

 

Qypthone - マフィン大作戦

Qypthoneは、去年紹介した中塚武がやってたグループです。中塚的陽キャサウンドが良いですね。陰キャだけどそう思います。メロディが良い意味でアホっぽいのも陽キャ具合を加速させていますね。別に陽キャがアホだといってるわけではないですよ。

 

Plus-Tech Squeeze Box - Dough-Nuts Town's Map

Plus-Tech Squeeze Boxハヤシベトモノリとワキヤタケシによるユニットで、スポンジボブの映画のサントラに参加するくらいには有名なようです。

これが収録されてるアルバムは全体的にカートゥーンからのサンプリングが過剰で、どれくらい過剰かと言うとサンプリング数4500超らしいです。歌詞までカートゥーンからのサンプリングという徹底ぶり。

ピラメキーノTVチャンピオン「アキバ王選手権」などのテレビ番組でよくBGMとして流れていたので、知ってる人も多いかもしれませんね。

0:40くらいから流れています。

この番組がゴールデンタイムに流れてた時代に戻りたいですね~。TVチャンピオン見てえ〜。

 

鹿乃 - Linaria Girl

鹿乃(かの)は所謂歌い手として活動開始したシンガーですが、今ではオリジナル曲を中心に歌っています。元々こうやって売り出すつもりだったんやろな

田中秀和とかが曲を作ってるので、曲はめちゃくちゃ良いです。

 

婦人倶楽部 - わたしお嫁に行くわ

婦人倶楽部のメンバーは、全員が佐渡島に住む主婦だそうです。コンポーザーである佐藤望佐渡に滞在する際に出会った主婦が台湾旅行に行くというので、佐藤はそのついでに曲を作って台湾公演をしたということです。意味が不明ですが、このイントロを聴くとそういうのがどうでもよくなるくらい素晴らしいです。台湾旅行のついでとかいうレベルじゃないです。

 

今年発売の新曲も良かったです。

君にやわらぎ

君にやわらぎ

  • 婦人倶楽部
  • ポップ
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

 

洋楽 

Dorian Concept - No Time Not Mine

Dorian Conceptはオーストリア出身のOliver Thomas Johnsonによるソロプロジェクトです。別にドリア旋法を軸にした新しい音楽体系とかではないです。多分。 

ジャズからEDM、ロックにサイケを縦横無尽に行き来するサウンドにグッときます。

というのもこの曲が収録されているアルバム全体的にジャズ的なサウンドを"模倣"したらしく、模倣であるが故にジャズになりきれないが、そうであるが故にかえって奇妙で独自性のある音楽になっているっぽいです。

 

Tennyson - L'oiseau Qui Danse 

Tennysonはカナダ出身の兄Luke Tennyson、妹TessTennysonによる兄妹ユニットです。

音色からしkawaii future bass的な何かかと思ってたんですが、やってることが全然かわいくなくてウケました。

元々ジャズ出身のようで、もうそういうのがあふれ出ちゃってますね。

 

Knower - Overtime

会長の記事でお馴染みですね。ルイス・コールは元々知ってたんですが、何故かKnowerは知らなかったです。

まあ例の記事で語るべきことは語り尽くされている気がするので、次行きましょう。

 

Tigran Hamasyan - Levitation 21

Tigran Hamasyanはアルメニア出身のジャズピアニストです。メタルも好きらしく、随所にメタルっぽいリフがあるのが特徴です。変拍子大好きマンでもあるので最近はインド音楽のモチーフも取り入れているようです。

Levitation(=空中浮遊) 21という題名にあるように、21/16拍子を拡大・分割して様々なリズムパターンを生成し、浮遊するかのように演奏しています。プログレジャズ最高〜。

 

 

邦楽

ASA-CHANG & 巡礼 - 事件

ASA-CHANG&巡礼はもう何度か話に出してるので、特に紹介することはないです。

2010年にユザーンが脱退した後はリズムも平坦で、管楽器やヴァイオリンが曲にあってるとも思えなくてイマイチ面白味に欠けてたんですが、ここに来て現体制での最善の形になったのではないかと思います。かつてはタブラによって付与されていた楽曲の推進力が、今作ではちゃんと管楽器・ヴァイオリンによって付与されているように感じます。

声がいとうせいこうというのがまた絶妙で、曲終盤にかけての迫力がヤバいです。

同じアルバム収録の駅弁ソング(英語バージョン)もよかったです。駅弁食いてえ~

 

avissiniyon - 煙に水をかけましょう 

煙に水をかけましょう

煙に水をかけましょう

  • provided courtesy of iTunes

avissiniyonはiPhoneで楽曲を作るイマドキな uamiと激ヤバギタリストの君島大空によるユニットです。が、この曲に関しては君島大空の主張が強すぎてほぼ君島大空です。

サビでヌルッと拍子が変わるのが非常に気持ちいいです。ここだけ30回くらい聴いた。君島聴いてて常々思うんですが、途中明らかにヤバい音色が混ざるのに調和してるのが凄いです。なぜ?

同じアルバム収録のOrganはさらに音色がぶっ壊れてて良いです。

Organ

Organ

  • provided courtesy of iTunes

  

SUPER JUNKY MONKEY - あいえとう

SUPER JUNKY MONKEYは1991年結成のガールズ・アヴァンギャルドメタル・バンドです。FUNKY MONKEY BABYSではないです。確実に。

曲名が意味不明でまず面白い(焼津の祭りのはやし言葉らしいです)のに、ライブ映像も面白すぎるのはずるいと思います。

 

呆然とする中尾ミエと踊り狂う観客の対比最高じゃないですか?ジッと見つめるタモリがさらに異様さを引き立てています。

 

君島大空 - 縫層

君島大空は去年も書いたので、今年特に説明することはないです。

曲名は「ほうそう」と読むらしいですが、言われるまで「ぬいそう」と読んでました。

「縫層」は君島による造語で"内省のいつも雨が降っている場所、ひらかれた空の手前にある雲のようなもの、声や顔の塊、同音意義の包装や癒着という言葉が投影されるような、人がひとりの中で編み、勝手に育っていってしまう不安や喜びの渦を指す"言葉らしいです。なんかわかるようなわからんような気がしますが、前作と比べて激しい音やかわいらしい電子音の比率が高いので、そういうところでコンセプトが反映されてるんだろうな~と思います。

 

MYTH & LOID - FOREVER LOST

メイドインアビスというオタクホイホイ漫画・アニメがありまして、その劇場版の主題歌なんですけど、バキバキにカッコいいですね。劇伴を担当するKevin Penkinが作曲を担当しています。劇伴も良いので暇な人はどうぞ。

 

HASAMI group - 景色がほしい

2020年は、恐らくどの曲よりもHASAMI groupの曲を聴いた自信があります。何ならここ6,7年ずっと聴いてます。

HASAMI groupはアマチュア音楽グループです。聴けば「ああ、アマチュアだな」となること間違いありませんが、アマチュアならではの肉薄した感じがあって良いです。まあそれだけじゃあないんですけどね!それを書くとこの記事が冗長になりすぎるんですよ。既に冗長ですが。

 

この曲を聴きながら電車で帰るのがこの世で一番しゅき。

 

 俺たちの2020年はまだこれからだ!!!!!!

てな感じで、今年こそは復活と再生の年になるといいですね。おわり。

*1:ちなみに紅白歌合戦は全部見ました。Official髭男dismの曲は良かったです。

我が国の作曲家シリーズ「番外編3」

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我が国の作曲家シリーズ

 皆様あけましておめでとうございます。


 旧年中は名作同も新型コロナウイルスの蔓延で思ったような活動ができず、非常に苦しい思いを致しましたが、皆様におかれましては、ご健康にお変わりはございませんか?
 中国武漢を発生源とする新型コロナウイルスの感染拡大はとどまるところを知らず、そこに馬鹿な日本人の行動バイアスも手伝って、まったくひどい年越しになってしまいました。
 こんなにも年越し感のない経験は個人的に初めてであり、今年もいつから本格的に文化社会活動が再開できるか先が見えず、不安がいっぱいのスタートです。

 本来であれば時節柄新春に関係する記事を書くべきところなのでしょうが、上記の経緯で筆者は全く年越し、新春の空気を感じていません。
 私の中では年が変わっていないとすら言えるのではないかと思っており、2020年13月のスタートだなと考え、いつもどおりの音楽を真面目に考える記事にしようかと思います。

 

 


 前回の私の担当週に書いた「我が国の作曲家シリーズ-番外編2」では2人の個性的な作曲家、八村義夫と甲斐説宗を紹介した。

 

nu-composers.hateblo.jp

  実はこの記事とも関連が少しあるのだが、八村義夫のお弟子さんに藤家溪子さんという女性作曲家がいる。

 

――女性作曲家

 

この表現は常に様々な議論の焦点とされる言葉である。

 

―男女関係なく「作曲家」は「作曲家」であり「女性」とわざわざ冠するのは性差別である!
―「女性作曲家」とくくることで男性の優位性を示すミソジニーに満ちた思想だ!

 

など、常にフェミニズムのターゲットとして取り上げられてきた。

 

 私は個人的にこうやってフェミニストがその思想を色眼鏡に言葉狩り的に「女性作曲家」という言葉にアレルギーを示すこと自体が、被差別側にこそ差別意識があり、それを触媒に利用して技術的差異を無視させようとする恣意性を感じると思っている。
 私の最も嫌いな思想の一つがフェミニズムであることは言うまでもないのだが、だからといって女性を蔑視しようというわけではないのだ。
 本来的にそれが才能と技術によってなされていれば、どのような言葉で形容されても良いはずであり、それを切り取って脚色することで別の問題にすり替えてしまうことのほうが、文化的活動においては障害になってしまうと思っているのである。

 そういう意味では「男性作曲家」「女性作曲家」「作曲家」と、どの表記も基本的それ以上の意味はないし、区別はあっても差別を内包しているとは思えず、常にこの手の議論や「ウイメンズアクション」などと聞くと、おぞましい気持ちでいっぱいになるわけである。

 しかしそれはそれとして、確かに日本の作曲をめぐる中心はずっと男性であって、女性はある意味で「ろくな曲がかけるわけがない」というレッテルを貼られていたのも一方で事実ではある。
 これこそ実にくだらないもので、色眼鏡によって正しくそこにある事物を見ることが出来ない、聴くことが出来ない愚かな評論家達によって醸成された、極めて醜い楽壇の形であった。

 ではいつそういったムードが打破されていき、上記のように私同様に実際には差はなく、イーブンであり、単純に才能と結果で語ろうという意見を持つ人が増えてきたのだろうか。
 いわば日本作曲界における男女雇用機会均等のような話であるが、今回はそんな日本の作曲史のなかにあって特筆すべき功績を生み出したと私が思っている作曲家2名と、それこそ登場の早すぎた作曲家1名を中心に記事を書いてみようと思う。

 

 

●藤家溪子

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藤家溪子

 藤家溪子は1963年7月22日に京都に生まれた。
その後、東京芸術大学に進み作曲を八村義夫に師事、ギタリストの山下和仁と結婚した。

 なぜこの人を取り上げるかというと、彼女の「思いだす ひとびとのしぐさを」という曲にその理由がある。

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「思いだす ひとびとのしぐさを」

 この曲で注目したいのはまずタイトルである。
 通常は日本語タイトルの下に書かれる、外国語タイトル表記は日本語の訳であることがほとんどなのだが、この曲全く違う。


 「Beber」という単語一つだけが書かれている。


 それ以外にこの曲のスコアを見ても、楽曲について解説している部分はなく、実際にどういう曲であるか意図的に説明を避けたように見える。
まずはこの謎めいたタイトルの曲を聴いてみよう。

www.youtube.com

 

 非常に込み入っていて分かりづらいという印象を持った人の多くは男性ではないかと思う。
 女性が聴いたときには、抽象的だが、なんだか分かりづらいというより、分かるような気がするけど分からないというような感情を持つのではないかと思う。

 

少しこの曲について考えて見る必要がある。

 

 まず手がかりが非常に少ない中、外国語タイトルの「Beber」に注目して見る必要がある。
 これはスペイン語の「飲む」という意味の単語である。

 「思いだす ひとびとのしぐさを」という邦題がなぜ「飲む」になるのだろうか。
この点を理解しないとこの曲にはまず入り込むことは出来ないだろう。

 実はこの「Beber」というタイトルは、チリ人の女性詩人ガブリエラ・ミストラルの詩に由来しているようなのだ。

 

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ガブリエラ・ミストラル

 ガブリエラ・ミストラルは1889年に生まれ1957年になくなったチリの女性詩人であり、外交官でもあった人物である。
 幼い頃から苦労し、独学で詩を覚えて、さらに独で教員資格を得た。
 その後詩人としての活動開始するが、恋人の自殺を機に作風が変化して行く。
 こうして高名な詩人となっていった彼女は、メキシコ革命の後にメキシコ政府の招聘を受けるなどして、政治的な活動にも参画するまでになる。
 

 彼女が世界的詩人となった決定的な瞬間は、ラテンアメリカで初めてのノーベル文学賞受賞者となったことなのは間違いない。
 こうして女性として大いなる出世をした彼女だったが、今度は彼女の甥っ子が自殺してしまう。
 人生の成功の裏に常に親しい人の死がついてまわる激動の67年を送った彼女が1947年に書いた詩集「Antologia」の中に「Beber」はある。
せっかくなので原文の載っているサイトを紹介しよう。

cvc.cervantes.es

 

 詩の内容は難解ではあるが「飲む」という行為にまつわる様々な生き物や人の記憶を描いている。
 そしてそこには幼い子の存在を示す部分があるのだが、この時点で先程の藤家作品の意味が見えてくるではないだろうか。

 まさに「飲む」ことを通じて様々な記憶を綴ったこの詩がそのまま曲に投影されていると同時に、ノーベル賞をとった女性詩人の詩であること、そして子育てをする母の姿、これらが一気に見えてくるのである。
 この曲はある意味では「女性であること、母であることは芸術であるか?」と世に問うた作品であるのだと思う。


そしてその結果はすぐに出たのだ。


 藤家のこの作品は1995年の尾高賞を受賞したことではっきりと「それが芸術たりうる」という評価を受けたのだ。

 私はこの瞬間に日本の作曲史の1ページが塗り替えられたのだろうと考えている。
女性が女性であること自体が「芸術」であると認められた瞬間である。

 藤家は他にも打楽器アンサンブル「花庭園」ギター協奏曲第2番「恋すてふ」といった作品で、臆面もなく、いや自信を持って女性性を作品にしている。
そしてそのどれもが明らかに傑作であることは言うまでもない。
日本の一つの曙である。

 

 

 

山根明季子

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山根明季子

 山根明季子は1982年10月1日に大阪に生まれた。
 京都市立芸術大学に進み、同大学院を修了した。作曲を澤田博、松本日之春、前田守一、中村典子、川島素晴に師事し、ドイツのブレーメン芸術大学へ渡って朴泳姫にも師事している。
 彼女はかなり若いときから活躍しており、23歳の時の作品「Re-Collet」では武生作曲賞入選、同年の「Transcend」では日本現代音楽協会作曲新人賞富樫賞受賞と早熟であった。
 そして彼女の存在を確固たるものにしたのが2006年(24歳の時)に書かれた「水玉コレクションNo.1」日本音楽コンクール作曲部門第1位に輝き、作曲部門では初めて聴衆賞である増沢賞をも受賞したことである。
 この曲はその後彼女のライフワーク的作品シリーズになっていくので、少し解説が必要であると思う。

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「水玉コレクションNo.1」

 山根の作風は端的言えば「四分音符の多用」「全休止の多用」につきる。そしてあらゆる作曲論理から離れた独特の感性による音楽構築をしており、まさにそういった意味ではポスト・モダン世代の申し子とも言えるだろう。
 彼女自身はこの水玉コレクションのシリーズでは「明滅するテクスチャーを空間に配置する」という概念で「空間デザイン」的に作曲を行っているという。
 特にこの第1番では当時極めて親密であった師の川島素晴の影響が強く見られるが、それでも四分音符を中心とした明滅テクスチャーははっきりと見えてくるし、それらが周期を変えながらレイヤーされていく様子も聴いていてすぐ分かる。
 そこにソロのピアノが実にユニークな演奏を乗せてゆくことで「かわいい空間」が表現されていると言えるだろう。

音源の一部が彼女のSoundcloudで聴ける。

soundcloud.com

 彼女のこうした独特の個人的作風はこのシリーズを追うごとに強くなってゆく。
 次に「水玉コレクションNo.2」を聴いてみよう。
 この曲は「任意の楽器を伴うヴォイスパフォーマンス作品」であり、言葉をすべて「ぱ行」で変質させて標本化してそれを収集していくという作品であるそうだ。
歪められた日本語の残滓とその抽象化された残骸が変質されて「かわいい」作品として完成している。

www.youtube.com

 このように山根の作風は奇異で独特であり、それ故他人と音楽的共感を共有できたことがないのだという。
 その痛みが彼女の音楽の根源にあり、またその孤独が彼女の独自性を強化させることにつながっていっているように見える。


しかし重要なことはそこではない。

 

 彼女の曲が世に問うたテーマはなんだろう。
 そう「かわいい」という現代女性独特の表現そのものである。
 言い換えれば「かわいいは芸術ですか?」というものである。

 そして結果は明らかである。それは芸術として評価されるばかりでなく、大衆に広く受け入れられるという快挙を成し遂げたのである。
 ポスト・モダンにおける個人様式が叫ばれて久しいが、それらはまた個人が集団に圧倒されないように、同調圧力と闘うというエネルギーを作曲家にもたらした。
 それは20世紀の前衛音楽家がさらされてきた「音楽とはこういうものだ」という同調圧力と似ていなくもない。
 そういう意味でかつて(いや今も)そういった圧力に屈せず、階級闘争としての音楽を追求する高橋悠治などの姿勢との共通点を語るものもいる。
 無論、ポスト・モダンの個人様式であれば近藤譲との共通点を論じるものもある。しかしそれらは基本的に私は間違えだろうと思う。

 

これらは階級闘争ではないのだ。

 

 単なる個人の「感想」過ぎないものであり「かわいい」ということに絶対性もなければ、実は永続性すらもない。
 衝動性と連結された感性そのものであり、刹那的で案外排他的なものですらある。クローズドでありながら共感を求めてさまよい歩く感覚の亡霊だとすら言えると思うのだ。
 そしてそれが現在の芸術の一翼であり、説得力を獲得して存在するのは実に衝撃的な出来事ではないだろうか。

 

 

 

 

●早すぎた作曲家、そして日本クラシックの源流

 階級闘争という言葉でいうと、かつて吉田隆子という作曲がいたことを思い出さざるを得ない。
 本当に楽壇が男性に満ちており、社会は封建制が当たり前であった時代の作曲家であり、それと激しく闘った人物なのである。

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吉田隆子

 吉田隆子は1910年2月12日に当時の東京府荏原郡目黒村(現東京都目黒区)に生まれた。
 父は陸軍少将の要職にあり、そういった意味では上流階級の生まれである。
 当然幼い頃から情操教育を受ける事になり、琴はわずか4歳から習うことになったという。
 その後順調に進学をし、女学校時代には納所弁次郎にピアノを習うことになった。
親の意向での結婚を破断させ、更に音楽への研鑽を深める道を選び橋本國彦の門に入る。
 しかしこのあたりから彼女の中に抗いがたい不満が高まっていったようだ。
 橋本の教えに不満を持ち、その門を割って出ると、菅原明朗の門に移って多くの作曲家と交流するようになる。
 男性遍歴もこの当時にしては過激で、不倫、二股と驚くような過激さだが、それも彼女が男性社会に対して抱いていた強い不満の現れだとも言える。
 私個人としては、だからといって「女性として生きようとした」という言葉の下に、これらのインモラルな選択を許容するのはおかしいと思っている。
 こうやって論のすり替えによって現代では「早すぎた女性革命家」と持ち上げられる彼女だが、その後はさらに過激度を増してゆく。
 1932年にプロレタリア音楽同盟に参加したことがその一端を表しているが、残念なことに同団体自体はその2年後に解散になる。
 反戦運動通じて社会的な活動する一方、相変わらず私生活は奔放を極め、離婚、不倫を繰り返しながら、治安維持法による逮捕も4度経験する。
 戦後に音楽活動を再開するが、奔放な人生の代償なのかガンを患い1955年に46歳で亡くなっている。

 そういった彼女だが、これだけはっきりとこの時代に「女性である」ということを主張し、作曲の楽壇で闘ったものはいない。
 その意味では早すぎた革命者の二つ名はぴったりとも言えるが、肝心の作品はどうなのだろうか。

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「ヴァイオリン・ソナタ

 本当はこのヴァイオリン・ソナタを紹介したいのだが音源がない。
 そこで初期のピアノ作品である「カノーネ」を紹介する。
 短い小品ではあるが、すでに当時としてはモダンな作風をもっていたことは分かるだろう。

www.youtube.com

 吉田隆子は未だその評価が分かれ、再評価の途上であることから、音源も楽譜の出版も少なく研究するにはまだまだ資料不足の感が否めない。
 しかし一聴にしてなるほど最近の曲かなと勘違いさせるだけの魅力はあり、確かなモダニズムと技術を持っていたことはすぐに分かる。
 とかくその人生ばかりが強調されるが、肝心なのは作曲家としての彼女の作品である。
 現代の妙な思想の犠牲者にしないで、音楽家として、文化として評価されることを望まずにはいられない。


 ところで、日本の西洋音楽の源流は誰かという議論の中で、初めての音楽留学生として、優れたピアニスト、ヴァイオリニスト、作曲家として多くの後進を育てた人物に女性がいたことをご存知だろうか。

その人の名は幸田延という。

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幸田延

 幸田延は1870年4月19日に当時の東京府下谷(現東京都台東区下谷)に生まれている、兄の一人はかの有名な作家の幸田露伴であり、妹の安藤幸も日本黎明期を支えたヴァイオリニストである。
 当時であるから当然名家の生まれではあるが、本格的な音楽教育を受け、1889年にボストンのニューイングランド音楽院への留学を果たしている。
 更に1890年にはオーストリアに留学し、ヘルメスベルガー二世にヴァイオリンを、ロベルト・フックスに作曲を師事している。
 帰国後は東京音楽学校助教授となり、すぐに教授に昇進している。
 弟子にはなんと瀧廉太郎、三浦環本居長世山田耕筰久野久、萩原英一などの名前が並び、殆どの日本人が日本の西洋音楽の源流と思っている瀧廉太郎や山田耕筰を指導したことに驚かされるばかりか、それが女性であったことは大いなる衝撃をもって受け止めざるを得ない
 つまり、日本の西洋音楽の伝道師はそもそも女性であったと極論することも可能であり、その後の吉田隆子のような闘争の時代をもたらしたのは、文化とは関係のない政治の世界、世界の力学構造の変化であったことは無視できないと思う。

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「ヴァイオリン・ソナタ第1番 変ホ長調

 さてそんな日本のクラシックの育ての親とも言える幸田延の音楽だが、実に流麗なドイツロマン様式で書かれており、その技術力の高さに驚かされるばかりである。
 書かれた曲は多くないが、代表作と言われるヴァイオリン・ソナタ第1番変ホ長調を聴いてみようと思う。

www.youtube.com

 こうやって日本作曲史を振り返ってみると、封建的な楽壇の姿勢とは何だったのだろうか。
 しかもその後楽壇は左傾傾向が加速し、黛敏郎のような音楽家は闘争の姿勢として右傾化を選択するなどしていった。
 残念ながらその体制は未だに変わらず続いているが女性を排斥しつつも左傾化するというのは、論理的にはおかしな話であり、音楽家の浅知恵と馬鹿にされてもなんら反論の余地すら残っていないと思う。

 私は、音楽の原動力、芸術の原動力の一つに闘争があることを否定しない。
 しかし闘争というものは、一旦色眼鏡をかけ、ポジションを決めてしまえばいつか潰えて壁にあたってしまうことになる。
 本来的に闘争を考え続けたときに、そういう立場の固定から最も遠い場所にあって文化を護持してゆくことこそ現代の音楽に課された命題であり、名作同のような在野音楽家の専門機関としての存在は、今後楽壇の対極の存在としてその重要性を増してゆくと信じている。

 日本における女性の作曲というものを時系列で見つめた時、音楽というものを政治のあるいは既得権益の確保の媒介とするウジ虫の存在を強くうかがい知ることができるのは、非常に痛烈な矛盾ではないだろうか。


さあくだらない力に対して今こそ指をさして嘲笑の雨を降らせようではないか。


 もっとも今一番下らないものは、まともなコロナ対策もできず、妙な力におもねり続ける「日本という国」とその「為政者」に他ならないのだが。

 

そんなわけで今年も一年、名大作曲同好会共々、どうぞよろしくおねがいします。

クリスマスソングのるつぼ

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

いきなり寒くなったかと思えば猛烈な勢いで年末が迫り、あれよあれよという間に今日はです。

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クリスマス

今年は何につけてもコロナ禍抜きでは語れない1年でしたが、クリスマスも例外ではありません。

大勢で集まってパーティーをしたり、都会に繰り出して喧噪に揉まれたりすることは、この世相では難しかったことでしょう。

しかし、そんなときでも音楽というのは強いですね。

電波に乗ってみんなの元へ届いてくれます。

そういうわけで、今年のクリスマスは家で慎ましくクリスマスソングに耳を傾けてみてはいかがでしょう。

たまにはそんなクリスマスの過ごし方もリッチじゃないですか?

 

先日、名作同の会員たちに声をかけ、みんなのお気に入りクリスマスソングを集めてみました。

ジャンルも雰囲気もばらばら、さながらクリスマスソングのるつぼという感じですが、あなたのお気に入りのクリスマスソングを1つでも見つけていってもらえると嬉しいです。

 

 【もくじ】

 

交響曲第2番「クリスマス」/Krzysztof Eugeniusz Penderecki

いきなり大曲ですが、「広島の犠牲者に捧げる哀歌」などで知られるクシシュトフ・ペンデレツキがこんな交響曲を書いています。

選者は榊山先生。

【選者のコメント】

一般的には後期ロマン様式に転換したあとの作風で書かれたと言われる交響曲で、重厚かつじっくりと展開する単一楽章の交響曲です。本来のクリスマスの過ごし方を考える時、あるいは今年のような世界的受難の年にはまた違う聴こえ方がするような気がします。ミサ的であるこの曲には「きよしこの夜」が引用されている点も面白いかと思います。

 非常に重厚で荘厳な、本当に神様が降りてきそうなオーケストラ曲ですね。

古典的な作風に回帰した響きがとても神聖です。

 

ルーマニアのクリスマスキャロル /Bartók Béla

お次はピアノ曲

民族音楽研究家として知られるバルトークの作品です。

選者はなんすい会員。

 【選者のコメント】

バルトークが)民俗音楽を分析してその語法をどんどん取り入れている初期の頃の作品です
ルーマニアにはコリンダっていう伝統的なクリスマスキャロルがあって、子供たちがそれを歌いながらハロウィンみたいに家を回ってお菓子とかもらう風習があるらしいです

ルーマニアにそんなかわいらしい風習があるとは知りませんでした。

この曲を聴いても見知ったキャロルは出てきませんが、何となくうきうきした気分になるのはやっぱり国境を超えた力なんでしょうか。

 

サンタが町にやってくる(ジャズver.) /Dave Brubeck Quartet

クラシックが続いたので、そろそろポップスに移ってみましょう。

クリスマス・キャロルイカしたジャズアレンジ、心躍りますよね。

選者は榊山先生。

【選者のコメント】

変拍子をジャズに持ち込んだ巨匠で、ウェスト・コーストジャズの第一人者として知られるデイブ・ブルーベックが、サックスのポール・デスモンドらと組んでいた伝説的クァルテットである、デイブ・ブルーベック・クァルテットがクリスマス・キャロルやクリスマス・ピースをカヴァーしたものから、サンタが町にやってくるです。
渋みの中に童心のときめきみたいなものが残っていてナイスなプレイだと思います。

 派手すぎない落ち着いたサウンドが大人っぽく、それでいて自然とノッてしまう名アレンジだと思います。

途中「荒野の果てに」のメロディが隠れているのもチャーミングですね。

 

Christmas Time Is Here(cover)/Dave Koz

もう1曲ジャズ行ってみましょう。

非常に色っぽいサックスで有名なデイヴ・コーズ、このアレンジもとても懐かしく感傷的です。選者は榊山先生。

【選者のコメント】

現代のacid jazz、smooth jazzのサックスプレイヤー、デイブ・コーズのクリスマスカヴァーアルバムから、これも定番曲のChristmas Time is Hereです。

たまには普通に楽しめるプレイもいいですね。 

 「Christmas Time is Here」は、スヌーピーで知られる「Peanuts」のクリスマスアニメ版をきっかけに作られた曲です。

原曲もとてもいい歌なので、ぜひ聞いてみてください。

 

きよしこの夜(レゲエver.)/Carlos Malcolm

さて、今度は変わりダネ。

なんとクリスマスソングの本場ジャマイカ版アレンジです!

選者はg会員。

別の曲を探す過程で偶然見つけてしまったそうですが、西洋の厳かな雰囲気とはやっぱり違って面白いですね。

アルバムの名前が「クリスマス・レゲエ」なのも、そのまんま過ぎて面白いです。

 

 ペチカ(cover)/嶺川貴子 + rei harakami

にほんのうた 第四集 - YouTube

「ペチカ」といえば、山田耕作による純国産の童謡です。

クリスマスソングなのかどうかは微妙ですが、ペチカを囲んで家族で団らんを楽しむ様子はとてもクリスマス的だと思います。

そんな暖かい歌を、rei harakami が非常に大人っぽくアレンジしたヴァージョンを紹介します。

選者は私、トイドラ会長です。

クリスマスの夜にぴったりなアレンジですね。

 

No.9 /鈴木慶一ムーンライダーズ

さて、お次は映画のサントラから。

選者はgyoxi会員です。

【選者のコメント】

クリスマスといえば『東京ゴッドファーザーズ』、ということでこの曲。

3人のホームレスが赤ちゃんを拾ったことから始まるドタバタ劇。

今年6月くらいに初めて観ましたが、とにかく色んなことが巻き起こるので常にドキドキして非常に楽しめました。

この歌はヴェートーベンの第9「歓喜の歌」のアレンジ(というか替え歌)になっているのですが、歌詞はだいぶやさぐれています。

映画を見ながら過ごすクリスマスもアリかも?

 

 ひそやかな12月 /松木美定

最後に、J-popミュージシャンである松木美定の歌を1つ紹介しましょう。

とてもお洒落でありつつ、童心にも響く気がします。

選者は榊原副会長。

【選者のコメント】

元々ジャズ畑出身というだけあってジャズの語法をJ-popに落とし込み、ナイスな曲に仕上がっています。
クリスマスというと家族や恋人と過ごさねばならないような空気を世の中が醸し出していますが、この歌みたいに喧騒を離れて一人クリスマスを過ごすのもまた一興だと思います。 

 クリスマスとジャズの相性は抜群ですね。

よく眠れそうです。

 

おわりに

いかがでしたか?

名作同の紹介するクリスマスソングたち、気に入ってもらえたでしょうか。

最後の最後に、会員が作ったクリスマスソングを少しだけ挙げて終わりにしたいと思います。

皆さんメリークリスマス、そしてよいお年を。

Easy Listnerのためのアニメサントラ選 第三回 ~灰羽連盟編~

~前回~

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 

どうも、gyoxiです。第一回、第二回と日常系アニメのサウンド・トラック紹介でしたが、今回はちょっと日常系作品から離れてこの作品。

 

灰羽連盟

より

『ハネノネ』

 

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灰羽連盟」について

灰羽連盟安倍吉俊の同人誌「オールドホームの灰羽たち」を含む作品群を原作とした作品だ。安倍吉俊さんはserial experiments lainのオリジナルキャラクターデザインも手がけており、小説の装丁等のイラストも描いているので、画風を見てピンと来る人も多いのではないだろうか。

 

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安倍吉俊さん

安倍 吉俊(あべ よしとし、英語表記:Yoshitoshi ABe1971年8月3日 - )は、日本イラストレーター漫画家東京都目黒区出身。東京芸術大学美術学部日本画科卒、同大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻日本画科修了[1]

安倍吉俊 - Wikipedia

 

そしてこの作品の監督はところともかずだ。

 

ところ ともかずは、日本男性アニメーターアニメーション演出家及びアニメーション監督所 智一所 ともかずと表記されることもある。

湖川友謙の率いていた有限会社ビーボォー出身。

ところともかず - Wikipedia

 

メインで監督をしている作品は少ないものの、アクセル・ワールド七つの大罪きんいろモザイクなどの数多くの人気作品に絵コンテ・原画・演出等で参加している。

 

灰羽連盟の世界

さて、肝心のストーリー紹介なのだが、

ひとまずWikipedeaからあらすじを引用しよう。

 

高い空からまっすぐに落ちていく少女。やがて彼女は水に満たされた繭の中で目を覚ます。古びた建物の一室で彼女を迎えたのは背中に飛べない灰色の羽を持つ、「灰羽」と呼ばれる人物たち。繭の中で見ていた空を落ちる夢から、少女は「ラッカ」と名づけられる。

高い壁に囲まれたグリの街、灰羽たちの暮らすオールドホーム、そこでの仲間たちとの穏やかな日々。戸惑いながらも少しずつその生活に馴染んでいくラッカ。しかしやがて、短い夏の終わりに1つの別れが訪れる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/灰羽連盟

 

この作品の世界観は謎が多く、しかもその謎はストーリーの中であまり解決されることはない。また、この灰羽連盟の世界観は村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドから大きく影響を得ているそうで(自分は読んだことない)、他にも一種の宗教的・哲学的な話が出てきたりと、語る人が見れば幾らでも語ることができる作品になっている。

 

 できればまずネタバレなしで視聴し、その後もう一周して欲しいくらいなのだが、「いや...さすがになんかよう分からへんし...」という方もいるかもしれないので、一つの導入としてその世界観についてお話したい。是非観ていただきたいので。

「ガチでゼロの状態からこの作品を観たいんだ」という方はこのパートを飛ばしてください...

 

それでは「灰羽連盟」の世界を紹介させていただきたい。

 

①灰色の羽根を持つ存在「灰羽

背中に灰色の羽根を持つ「灰羽は水で満たされた大きな繭の中から生まれる。赤ん坊の姿で生まれてくる訳では無いものの、灰羽繭の中で見た夢以外の記憶を持っていない。そして生まれてきた灰羽繭の中で見た夢を元に名前がつけられ、光輪が授けられる。第一話で繭から産まれたばかりの「ラッカ」の看病をする灰羽「レキ」は、こう語っている。

 

レキ:

私たちが何者なのかは誰にも分からない。

とりあえず、灰羽って呼んでる。

灰羽はこの街から出ることはできないんだよ。

それに、この世界のどこかにもしあなたの家族が居ても、今のあなたを見て、あなただとは思わないと思う。

あなたが、あなたの居た世界を思い出せないように、この世界の誰も、あなたのことを覚えていないの。

ここは...そういう世界。

第一話 「繭 空を落ちる夢 オールドホーム」より

 

もちろんこの街には羽根の生えていない、“普通の人間”も暮らしている。

 

ヒカリ:ていうか人の街に灰羽が居候してるのよ。

カナ:そう、そして人が使い終わったものを引き継ぐのが灰羽の務めなんだとさ。

第二話 「街と壁 トーガ 灰羽連盟」より

 

灰羽たちは灰羽連盟によって生活を保障されている。彼女らはお金を受け取ることを禁じられているため、灰羽が働いて得たお金は灰羽連盟を通して、金券のようなものが発行されるのだという。

 

では灰羽とは一体如何なる存在なのであろうか?

そして灰羽達は、"何故に"生まれてくるのであろうか?

 

②塀で覆われている街、街で暮らす人々

生活、とは言ったがそもそも不思議なのはこの街だ。彼女たちが暮らす「グリ」の街は高い塀で囲まれており、住民達は壁に触れることを固く禁じられている。作中でこの塀について「壁は灰羽を守るためにある」とレキが言及しているが、灰羽達が何から守られているのかは語られていない。しかし、街は完全に閉ざされている訳ではない。定期的に塀の外から「トーガ」と呼ばれる交易が来るのだ。しかし例に漏れず、街に住む人々はトーガと交流することはできない。そして「話師」と呼ばれる人々のみが手話によってのみ、接することができる。結局、壁の外に何があるのかは、街に住んでいる者は誰一人として知る由もないのだ。

 

何故グリの街は壁で囲まれているのか?

壁の持つ力とは?

グリの街は誰が作ったのだろうか?

街の外に住んでいるトーガは何者なのか?

 

③旅立ち、そして罪付き

そして、この作品の最大の肝は「巣立ち」の存在である。

 

レキ:

西の森の奥に古い遺跡の跡地があって、巣立ちの日が来た灰羽は、そこに導かれて壁を超えるって言われている。

巣立ちの日は、誰に、いつ訪れるか分からない。

ただある日、ふっといなくなってしまう。

何故そんなことが起きるのか、理由は誰も知らない。

巣立って行く灰羽は、決してそのことを話さない。

第6話 「夏の終わり 雨 喪失」より

 

一方で巣立ちを迎えることができない灰羽が存在するのも事実だ。そのような灰羽「罪付き」と呼ばれる。「罪付き」は灰色の羽根に黒いシミができ、繭の夢も思い出せないのだと言う。

 

巣立ちとは一体何なのだろうか?

灰羽が巣立つ条件とは?

巣立った灰羽は何処へゆくのだろうか?

罪付きの背負う「罪」とは一体?

 

 灰羽連盟サウンドトラックについて

さて、そんな作品の劇伴を手がけているのは大谷幸だ。

 

 

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大谷幸さん

モダンダンサーの両親の元に生まれ、音楽と舞踊の中で育つ。
日本大学芸術学部作曲コースにて、クラシックと現代音楽を学び、An School of MusicでJazzを学ぶ。
その後Party、ダンガン・ブラザーズ・バンドなどのバンド活動を開始。
その傍ら、サザン・オールスターズ、桑田バンド、松田聖子らのコンサート・サポート及びレコーディング・アレンジなどを手掛ける。
ピアノ・ソロ・コンサートを行ったり、海外でのコンサートに出演したりなど、演奏活動を続けるうちに映画音楽に夢中になり、作曲家・プロデューサーとして独立。
ガメラシリーズ」(平成版全作品)「ゴジラモスラキングギドラ精霊流し」「ガンダムW」「金色のガッシュベル!!」など様々なサウンドトラックを担当し、音楽ファンはもとより、映画ファン・アニメファンに愛される存在となる。
映画音楽とオーケストラ、ピアノをこよなく愛するが、クラシックに留まらず、現代音楽、ジャズやロック、テクノ、ヒップホップまで得意分野は幅広い。

 大谷 幸 Artist Plofile (imagine-music.co.jp)

 

個人的に見た作品だと「Another」人類は衰退しました。」とかですね。Anotherの1話冒頭で使われている曲なんかは実におどろおどろしい感じで、放送当時はガチビビりしながら見ていました(自分語り)。

 

それでは、灰羽連盟の世界を感じることのできる音楽たちを紹介したい。 

 

Refrain of Memory


Haibane Renmei - Hanenone - Refrain Of Memory

誕生と出会い。そしていつか訪れる、旅立ちと別れ。そんな優しさと切なさを孕んでいるのがこの曲だ。前世があるとしたら、我々はどのような人生を送っていたのだろうか。思い出すことはできないけど、確かにあった。そんな大切な何かを思い出すことのできない寂しさもこの曲からは感じ取れる。

 

Toga


Haibane Renmei - Hanenone - Toga

壁の外からやってくる交易商、トーガ。独特な衣装に身を包み、フードで顔を隠し、言葉を発しない。彼らと接することのできる話師の人々もまた、民族衣装に身を包み、面で顔を隠している。どこか妖しげで民族風なこの曲は壁の内外の”異文化”への想像をかき立たせる。

 

Rustle


Haibane Renmei - Hanenone - Rustle

灰羽は不思議な存在だ、などと長々と語ってはいたが、灰羽達だって我々と同じ日常を過ごしている。なんら変わらない、静かな日常。街で仕事の手伝いをしたり、みんなで楽しくおしゃべりをしたり、一緒に食事を食べたり。そんな灰羽たちの穏やかな生活の素顔が、この曲からは思い浮かぶ。

 

Eternal Remains


Haibane Renmei - Hanenone - Ethereal Remains

 灰羽達を守る"壁"の存在、そしてそれを超えてゆく"巣立ち"。壁にまつわる事柄の多くは特に謎が多く、不思議で、そして神聖である。壁を越えた灰羽達はどこへゆくのだろうか。転生し、また新たな人生を歩むのだろうか。分からない。分からないがその荘厳さに、ただただ、心を打たれるのである。

 

 おわりに

今回は灰羽連盟サウンド・トラックを特集した。実は灰羽連盟は冬に見るのにぴったりな作品なのだ。というのもこの作品は晩夏~冬にかけての物語であり、また毎年冬至灰羽連盟の日」として、ファンの間で灰羽連盟を見たり、思い出したりする日になっているのだ。貴方も冬至の夜は灰羽連盟を見てその世界に浸ってみてはいかがだろうか?

 

それでは、また。


〜次回〜