名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

唯一神バッハの欺瞞と神の超克

 「あーなーたーの髪の毛ありますかー」
の替え歌で知られる、『小フーガト短調』。中学生の頃、誰もが学校で習った曲だろう。しかし、この曲の凄まじさを知っている人は意外なほどに少ない。多分音楽の先生も知らないだろう。知っていたとしたら、授業に熱が入らないわけがない。

 『小フーガト短調』の作曲者は、所謂"音楽の父"、J.S.バッハだ。バッハはバロック後期の作曲家であり、膨大な数の作品を残すと同時に、西洋音楽の基礎を構築した作曲家でもある。しかし、その音楽の響きは正直、総じてつまらない。いわゆるクラシック音楽という感じで、ワクワクするようなリズムもなければ、工夫に満ちたハーモニーもない。ただただシンプルを極めた響きが、延々と続くだけだ。BGMとして流れているならまだしも、これだけを集中して何十分も聞くなど苦行に近い。少なくとも僕はそう思っていた。

 しかし、楽譜を分析してその意見は根本から変わった。バッハの音楽は、現代の音楽とは全く違った視点から書かれている。全ての旋律がメロディとして等しい価値を持ち、緻密に絡み合い、歌っている。それは異常なことだ。バッハの音楽には、極めて数学的・パズル的な凄まじさがある。例えるならば、何のヒントもない状態で巨大なクロスワードパズルを完成させた上、全ての単語を繋げたら美しい詩文になっていたという感じだ。パズルを完成させるところまでは出来ても、それで文章を紡ぐなど人間業ではない。バッハが生涯をかけて完成させたこの音楽形式は「フーガ」と呼ばれ、今でも音楽の最重要概念に数えられている。

 バッハの音楽は、所謂「絶対音楽」だ。つまり、例えば「夕日の綺麗さをイメージした」とか「失恋の悲しさを表した曲だ」というような具体的なテーマはない。ただ純然たる音楽としてだけ、その存在があるのだ。それに加えて、彼の曲は数学的に精緻な作りになっており、どこか自然物の美しさ──例えば、ひまわりの種が放射状に並ぶ様子とか、魚の体表の美しい模様とか──に通ずるものを感じる。以上のことから、僕はバッハに対して「神」という概念を強く意識するようになった。絶対的存在であり、不完全な肉体を超克したもの。バッハの音楽は感情を込めて弾くのが難しいと言われるが、それもそのはずだ。神の領域に達した音楽には、卑俗な感情の匂いは感じられない。

 僕は、バッハの音楽を批判することが不可能なのではないかと考えた。単なる響きの好き・嫌いを超えた場所、人間の論理で語れる地平を超えた場所、そこにバッハがいる気がしたからだ。つまり、「神は越えられない」のではないかと思ったのだ。しかし、ある現代作曲家の先生にそのことを話した折、極めて面白い言葉をいただいたので紹介しておきたい。

〝料理であれ薬であれ、作品を挟んで、大切なのはその前だけではなく、その後も大切だ(前だけで分かってくれ、食事などしないのは、神。
バッハはそのような神を終生、設定しきっていた。なぜなら神は糞など垂れてはならないからだ!)”

 バッハの音楽は絶対的な存在であり、神がかったものだったのは間違いない。バッハの音楽は"作品の前"から見た場合はあまりにも完璧だったからだ。しかし、"作品の後"から見た場合むしろ徒爾に過ぎないと先生は言った。どういうことか。

 バロック時代、バッハは最先端の作曲家だった。最新鋭の技法を開発し、それを実用化した。そうして生まれた音楽の数々は、今でも越えられることのない壁として厳然と立っているように思える。しかし、それは本当なのだろうか。現代はもはやバロック時代ではない。事実、バッハの時代から音楽は途方もない進化を遂げ、当時は有り得なかった芸術的表現の数々が実現している。バッハの音楽など、とうの昔に超克されているはずなのだ。にも関わらず、「バッハの音楽は越えられない神だ」などと未だに囁くとすれば、それは懐古主義だ。──いや、懐古主義というより、むしろ思考の放棄かも知れない。

 音楽は進化する。突然変異を起こす。どんなに絶対的に思える音楽も、必ずいつか打ち壊される。そしてその時、自分を打ち壊したそれが「突然変異した自分」だったことを知る。ある音楽は、自身の分身によって超克されるのだ。音楽史はそれを繰り返してきた。だから終わることがない。自己がある限り、非自己もまた必ず存在するからだ。そういう意味で、バッハは神であると同時に罪人でもあった。僕は作曲家として、バッハを超えなければならないだろう。もう超えているとしたら、そのことに気づかなければならない。

 人間が不完全である以上、神は超えることができる。人間に想定しうる神の姿もまた不完全だからだ。そのことに僕たちは気付かなくてはいけない。芸術に何か社会的な意味があるとしたら、「神を超える方法を教えてくれる」ということかも知れないが、それは僕にとって正直どうでもいい。僕はただ、神を神としたまま超えていくことができる、ということが嬉しくもあり、同時に恐ろしくも感じられるだけだ。それは、終わりのない生命と芸術の輪廻を意味する。

トリップへようこそ~サイケデリックトランスの世界《後編》

 

〜前回〜

nu-composers.hateblo.jp

 

はじめに

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みなさん、脳内物質キメてますか。どうも、gyoxiです。

 

そろそろサイケの後編記事書くか~と思って下書き掘り起こしたら、保存日付が去年の11月になっていました。遅れてどーもスンマセン。

 

さて後編はサイケデリックトランスの細かいジャンル分けの話でございます。 「そもそも細かいジャンルなんて気にするもんじゃねぇだろ、なんでわざわざジャンル分けしていくんじゃ」、というご意見もあると思います... それはそう、一曲が複数ジャンルの要素を持ち合わせていることなんてザラにありますし、個人の印象によっても分類の仕方は変わってきます

でも、ジャンルって知っておくだけで「あっ、こういう雰囲気の曲が聴きてぇ!!!」ってなった時に、自分の求める雰囲気の曲に着地しやすいんですよね。

なので今回は、「自分の好きなサイケトランスにたどり着けるようになる」ことを目標に、サイケトランスを個人経験の主観と偏見まみれで雑に、大雑把に解説していきたいと思います。紹介してる音源とかも「いやこれ絶対ジャンル違うだろ!?」ってのもあるかと思いますがご容赦を...

 

それでは順に見ていきましょう!!!

 

これがサイケのジャンル達だ!

Goa


X-Dream - Children Of The Last Generation


Veasna – Energy (GOA)

まずはGoa Tranceから。ヨーロッパで生まれたトランスがヒッピーカルチャーの聖地であるインドのゴアに持ち込まれてできたのがGoa Trance。聴いていて分かるように、なんというかこの...いかにもインド”って感じのメロディが特徴。レコード・CDのジャケットなんかでもヒンドゥー教の神様が描かれていたり、フラクタル文様が描かれていたりと、「あーこれはインドだなぁ!」って香りを強く感じるものが多いですね。

 

Psychedelic Trance・Psytance

お次はPsychedelic TranceとPsytranceです。この2ジャンル名前は似ていますが違うものらしく、Psytranceについては、

This subgenre organically fits between Progressive Psy and the classic Psychedelic in the BPM range, combining the best elements of these two.

 http://psytranceguide.com/

 ...という事らしいですが自分は完全に混同しています。というよりそもそも「Psychedelic Trance国(別名Psytrance国)の中にGoa地方とかFull-On地方とか、地方都市(ジャンル)が散らばってる」くらいのイメージでしか捉えてなかったです。

ま、サイケのジャンル内の一番ベーシックなスタイルとでも考えておきましょうか。代表的な曲、と言われてもこれに関してはマジでイメージが湧かないので曲紹介はパスで。気になる人はyoutubeで「psychedelic trance」とでも検索しましょう。きっと無難なのが出てきますよ、多分。

 

Full-On


Vibe Tribe - Rearranged


Artsense - New style

イケトランス、と言われてこのジャンルを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。個人的には「カッコ良さにステータスを振ったサイケ」というイメージですね。ベースラインが特徴的で、一般的な(?)サイケが割と単調なのに対し、Full-Onはデケデケデケデケ→デケデケ↑デケデケ↓だったりとベースラインが動くのも特徴の一つかと思います。あと、メロディラインも音色豊かに尖っていて、なんというか、こう、カッコイイですよね(語彙力)。

 

Progressive


SoundFanatic - L.S.D


Rye Smugglers - Customs Maiden, Progressive Psytrance

こちらは展開重視サブジャンル。他ジャンルに比べて壮大さがマシマシになっていたり、曲に緩急がつけられていたりとその展開の仕方も様々です。こちらもFull-Onと同じく、今のサイケシーンを支える一大ジャンルです。ちなみに2曲目みたいな明るめのProgressiveは”Morning Psy”なんて呼ばれてたりもしますね。Morning Psy、結構好きです。

 

Dark Psy


Fraktal Noise - Paranoic Disaster


Get Funkier

一気に雰囲気変わりましてお次はDark Psy。名前の通り、サイケ独特の「ダークさ」「不気味さ」が存分に摂取できるサイケです。DarkPsyの別名に、「エイリアン」という呼び名もあるらしく(初めて知った)、ビコビコ感や電子感(?)が強いのも特徴ですね。

 

Forest


02 - Abducted Brain - Reptilian Illusions (148BPM) Darkpsy/Forest


Ectogasmics & Mubali - Apocalypsis

自分の好きなサブジャンルの一つです。言ってしまえばDark Psyの派生系。Dark Psyからビコビコ感・電子感が差し引かれ、より単調に、不気味に、暗く進化してできたのがこのジャンルです。DarkPsyが宇宙ならForestは密林奥深く、と言った感じでしょうか。ジャケットイラストも鬱蒼とした森感のあるものが多いですね。個人的にはこれ聴いてる時が一番トびます。

 

Hitech


Cosmo - Acid Monster (darkpsy)


Alien Chaos - Killerbugs

速く、より速く...そんな進化を遂げたのがHitech。音的にはDark PsyやForestに近いので、「速くてDarkなジャンルだな」と覚えておきましょう。BPMも200越えのものがあったりと、いやぁ攻めてますね。音は暗いのにテンポはアッパーなので、聴いてると脳と心臓がへんなかんじになってきもちいいです。

 

Suomi


Squaremeat - Golden Accordion


Bechamel Boyz - Tosi Anssi

サイケは北欧フィンランドの地にて独自の発展を遂げたのだ。。。別名、Suomisaundiとも。聴けば分かる、確かにこれはサイケなんだけど、なんだこれは。なんだこの滲み出る変人・変態感は。最高。大好き。愛してる。ベースラインもフリーダム、音もグニャグニャ。ちょっと自由すぎやしないか?って感じのジャンルがこのSuomi流石白夜の国、クレイジーだぜ(褒め言葉)。

 

Psybient


DohM - Silent Existence


Iacchus - Yurgen

名前からお察しの通り、サイケデリックアンビエント。テンポゆっくりで、怪しくて、サイケデリックなやつ。別名Psychill。個人的にはDowntempoってジャンル名で認知してましたが、これらのジャンル名が同じジャンルを指してるかどうかは...ワカンネ。自分がサイケ知った最初の最初のころはDowntempoばかり聴いていました。ボーっと聴いてるとたまにブワッと鳥肌立つ瞬間が来て、最高。

 

 

もっと聴きたい!もっと知りたい!

さて、一通りジャンルを紹介した訳ですが、紹介してないジャンルもあったり、冒頭に書いた通り個々人によってジャンル分けの方針は異なってくる訳で。「もっと詳しくサイケのこと知りたい!!」という方や「お前の説明はどうも信用ならん」という方も多くいらっしゃると思うので、自分が良く使用してたサイトこれいいな!と思ったサイトも紹介させていただきます。

 

Psykelopedia

Psykeさんのブログ。各アーティストやアルバムにフォーカスした記事から、ジャンル定義の考察の記事まで、サイケ好きにはたまらない記事が盛りだくさん。また、「属性」というタグで、曲紹介記事は分類されているので、「こういう雰囲気の曲が聞きたいんだけど」というときは、このタグを手掛かりに好きな曲を探すのも良いだろう。ジャンル紹介記事も必見だ。

psytrance101.hatenablog.com


Psytrance Guide

Psytranceのジャンル紹介の海外サイトページデザインが綺麗でとても見やすい。また、各ジャンルについて精緻に説明がついており、それぞれのジャンルについて、著名なアーティストとレーベルの紹介もされている

psytranceguide.com


Ektoplazm

サイケのフリー音源ポータル。現在は更新が止まってしまっているが、莫大なフリー音源が紹介されており、MP3・FLAC・WAVでダウンロードできるこのサイトが無かったら自分は、サイケを聴き込むことはなかっただろうし、この記事を書くほどサイケにはハマっていませんでした(自分語り)。

ektoplazm.com

 

ざらしサイケデリックトランスのサブジャンル解説

最近UPされた、DJもこもこあざらしさんのブログ記事。こちらもジャンル解説の記事だが、2010年代前後にはクラブでどんなジャンルが流されていたか、現在クラブでどんなジャンルが流されているかという視点も盛り込んで様々なジャンルが解説されている。このブログで紹介されてる「ミドル系」って括りは自分も全く知りませんでした。いやぁ、勉強になります...

note.com

 

 

おわりに

さて、後編ではサイケデリックトランスのジャンルについて解説し、それに関連してオススメサイトをいくつか紹介しました。色々と抜けている部分はあると思いますが、サイケデリックトランスをあまり知らなかった人は、このブログがサイケを知るキッカケとなれば幸いです。

そして、サイケに興味が湧いてきたというそこの貴方。自粛ムードが収まったら是非是非クラブへ出向いてサイケを浴びてみてください!!きっとドップリ楽しめると思いますよ!

 

それではまた!

HAVE A NICE "TRIP"!!!

 

渋谷系の時代⑤ ORIGINAL LOVE編

はい、忘れ去られたころに戻ってくる渋谷系の時代のお時間です。

 

~前回の記事~

 

本当に久しぶりに書くっぽいですね。草。

 

前回までに渋谷系御三家と言われたり言われなかったりするFLIPPER'S GUITERPIZZICATO FIVEを紹介したので、残りのORIGINAL LOVEをやります。

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ORIGINAL LOVE

一応本人たちは、ORIGINAL LOVE渋谷系ではないと公言してますが、渋谷系は音楽ジャンルではなく、90年代の渋谷で売れたら問答無用で渋谷系なので、気にせず渋谷系に分類しましょう。

 

1985年 結成

田島貴男秋山幸広小里誠により前身バンドThe Red Curtainが結成されました。この後ギターが増えたりなんだりがあり、1987年にORIGINAL LOVEに改名します。

このころは特にアルバムとかは発売してないためまとまった音源はありませんが、オムニバスアルバムに提供した曲が2曲ほどあるようです。

この時点で御三家のほかのふたつとは明らかに雰囲気が違うのがわかりますね。

どっちかというと山下達郎とか80年代シティポップっぽい気がします。コーラスワークがゴスペルチックだったり、ファルセットの合いの手があったりするせいかもしれません。

さらに言えばほかの二つのボーカルがなよなよ系・かわいい系であるのに対し、オリジナル・ラブのボーカルの田島は声がかなりマッチョなのもあり、渋谷系特有のナイーヴさがあまり感じられないですね。本人が渋谷系じゃないとキレるのも納得がいくくらい別物です。

 

1988年 田島、ピチカート・ファイヴに加入

小西に目を付けられた田島がピチカート・ファイヴに加入しました。ここら辺の話は前回の記事にも書いてあります。

 

二足のわらじで頑張りながら、インディーズで1stアルバムORIGINAL LOVEを完成させました。どうでもいいですがセルフタイトルアルバムってめっちゃカッコよくないですか?アニメの最終話のサブタイトルがアニメのタイトルになってるくらいかっこいいと思っています。

しかしこの時の音源がどこにも転がってないんですよ(CDは売ってる)。どうやらピチカート・ファイヴに入るとなると制作ができないから作っちまおう、的なノリで作ったらしく、録音の仕方が相当適当だったらしいです。そのため田島が黒歴史認定しているとか。

 

まあそんな感じで1,2年の間、田島がピチカートでお留守なので、ORIGINAL LOVEとしての活動は減少しました。

 

1990年 田島、ピチカート・ファイヴをやめる

さすがに二足のわらじはキツかったので、ピチカートをやめてきた田島。しかしそれと入れ替わるようににオリジナルメンバーの秋山が脱退。もうオリジナルORIGINAL LOVEじゃねえ。

その後メンバーが入れ替わったり増えたりして、この形になりました。

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この形

 

1991年 メジャーデビュー

シングル「DEEP FRENCH KISS」でメジャーデビュー。

この後にメジャー1stアルバムLOVE! LOVE! & LOVE!をリリースしました。このアルバムは黒歴史へのリベンジであるだけでなく、第33回日本レコード大賞ニュー・アーティスト賞を受賞しました。

 

さらにはドラマとのタイアップで知名度が向上します。メジャーデビューするとはそういうことです。

めっちゃファンキーでカッコよい。やっぱり渋谷系というよりはシティポップっぽいんですが?なんで渋谷系にカテゴライズされてるのか意味わかんないですね。フロントマンがピチカートファイブに在籍してたからってだけで渋谷系にしてね?

 

そんなかんじで一躍スターダムをのし上がったORIGINAL LOVEですが、ここら辺から田島の曲提供が始まります。たとえば最近悪い意味で有名な石田純一に曲を提供してます。

 

曲名がジゴロで腹筋が崩壊できるんですが、歌詞が完全に石田純一のそれすぎて笑いが収まるという恐ろしい曲です。今回は石田純一の紹介ではないので、石田純一への言及はこれくらいにしておきましょう。曲はいかにも田島っぽくてかっこいいと思います。

 

1993年 接吻が売れる

みんな大好き接吻が発売されました。

改めて聴くと田島貴男が愛を歌うのと石田純一が愛を歌うのとではここまで違うのかと驚嘆します。

 

余談ですが、何年か前に接吻をパクった疑惑が生じた曲がありましたね。

サビの冒頭がほぼ一致という快挙。

超好意的にとらえると、良いメロディはいつの時代にも受け入れられるんだな~と思いますね。ちなみに僕はパクリ・パクリじゃないにかかわらずこの曲が本当に嫌いなのでどうでもいいです。まあ接吻を聴かずに音楽業界を生きることはほぼ不可能なのでは?とは思いますが。

 

 

さて話を戻しますと、実はこのころからメンバーの離脱が相次いでいました。

で、最終的に1995年に田島だけになりました。つまり現在のORIGINAL LOVEは田島のソロユニットなのです。ただ、ワンマン感の強いバンド(例:くるりとかくるりとかくるり)はめっちゃメンバーが入れ替わる傾向があるので、メンバーが在籍していたときから実質ワンマンバンドだったかもしれないですが。

 

以降インプロ的側面が強くなり、

今こんな感じになっています。今が一番かっこいいのではないか????????

ひとしきり歌った後に始まるインプロタイムが個人的にツボです。ぜひライブでみたいですが、そんなこと言ってられなくなっちゃいましたね。つら......。

 

というか

完全にソウルミュージックでは??渋谷系よりも10年ほど前に流行ったソウルミュージックではないか??

今回、渋谷系の基準が「90年代に渋谷で売れた」以外の何物でも無いことを改めて感じました。では。

 

 

我が国の作曲家シリーズ004 「三谷俊造」

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シリーズ我が国の作曲家

 名作同の企画連動記事や、大作曲家の追悼記事などでご無沙汰となっていた本シリーズ、久しぶりの今回は三谷俊造を取り上げます。
といってもその名前にピンとくる人は極僅かなのではないでしょうか。
何よりその作品に触れたことのある人は、もっともっとずっと限られてくると思います。


ほぼ作品は失われた…はずだったのですから。

 

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月刊楽譜

 皆さんは、かつて日本で「月刊楽譜」という雑誌が発刊されていたのをご存じでしょうか。
現在も大手楽器店として発展を続けておられる「山野楽器店」等の頒布により、1912年から1941年まで30巻10号まで発行されていた雑誌です。
この雑誌には菅原明朗氏や大田黒元雄氏などによる論評の他に、ある巻まではピアノ曲や器楽曲、歌曲などの楽譜の付録がついていました。

 ちょうどこの頃の日本のクラシック音楽事情を研究してた私は、これらが国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料として遠隔閲覧できることを知り、地元の中央図書館にその詳細を見に行ってきました。
そうして、その中からとりあえずピアノ曲を抽出してリストを作り、これらから古書として入手可能なものを古書店で購入し、不可能なものは先述の遠隔閲覧を頼って目を通し始めました。
すると1934年発行の「第二十三卷 十一月號」に奇妙な作曲家名を発見することになりました。

dl.ndl.go.jp

 

「サン・タン」

 

 この号には伊藤宜二(1907.6.2-2003.9.6)という小津安二郎映画作品他、劇伴作品を中心に作曲していた人物の作品も同時掲載されており、何らかの関係があるのかとあちこち調べてみましたがめぼしい資料には出会いませんでした。
「サン・タン」響きとしては中国系の人名か、あるいはフランス系でしょうか。とにかく謎だらけの出会いです。
そして掲載曲のタイトルは「Primula Sinensis」とこれもパッと見では意味がわかりません。

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Primula Sinensis

 Primula Sinensisとは調べてみると「寒桜」を意味する学名であるようです。
桜といっても所謂さくらそう科」の植物なので、樹木の桜とは違いますが、なるほど桜の花に似た雰囲気のある花を咲かせるんですね。

しかしいっこうにサン・タンの謎は解けません。
次の手をどう打つか考えているときにあることを思い出しました。

先程の月刊楽譜には掲載付録の作曲者のコメントが必ず載せてあるので、それを読めばなにか分かるのではないだろうか。

 もう一度図書館に走り、当該ページを参照してみると、曲の説明の代わりに別の津川なる人物がこの曲についての説明を書いていおり、それを読むとだいたい以下のようなことがわかりました。

・サン・タンは偽名である
・実際は三谷俊造のことである
・早くに渡米して活躍している人物である
・本誌掲載に当たり堀内敬三に「San Tan」の匿名で曲を寄せた
・堀内氏はその趣を大切にその名のまま掲載した

サン・タン=三谷俊造

 その素性がやっとわかりました。しかしこの名前を聞いてもピンとくる人は殆どいないでしょう。
 Wikipediaには同人の項目がちゃんとあって、結構しっかり纏められているのでここに引用したいと思います。

ja.wikipedia.org

 

1885年(明治18年)12月25日に兵庫県に生まれキリスト教に入信したのをきっかけにオルガンを通じて音楽に出会い、本格的に学ぶために1904年に渡米したとあります。
 日本初の音楽留学は幸田延(1870.4.19-1946.6.14)が米国に渡った1889年であるはずなので、三谷の渡米はそれから15年後、日本人としてはやはりかなり早い時代の留学ということになります。

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幸田延

 しかも三谷はそのままアメリカに住み、研鑽を積み上げて米国における初の日本人教育学博士となるに至っています。
様々なアメリカの学校を渡り歩き、ピアノ、指揮、作曲を学び、自らピアニストとして活躍していたとのことですから驚くべきことです。

 ちょっといい方は悪いかも知れませんが、作曲を学んだ師はそれほど有名ではなく、はっきりと名前のわかっている人としてはWalter Keller、Stillman Kellyのみのようです。

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大東亜戦争

 ともあれ米国でどんどんキャリアを積み上げていった三谷ですが第二次世界大戦の勃発で運命が狂ってしまったようです。
 日本は米国から見れば当然敵国なので、敵国人として失職に追い込まれた上、かなりの差別を受けたと記録にあるようです。
 そしてさらなる悲劇が三谷を襲います。それは自宅の焼失です。

 

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大澤壽人

 早い時代に海外留学を遂げ、そのまま海外で活躍して凱旋帰国、後年そのあまりにもモダンな作風で書かれた曲が大量に見つかった作曲家として、ナディア・ブーランジェ門下の大澤壽人(1906.8.1-1953.10.28)がいます。
 彼の場合その作品がちゃんと保管されて「生き残って」いたので後年の再評価に繋がったのですが、三谷の場合この自宅の焼失で殆どの作品が失われてしまったことから、早い留学と米国での活躍という、当時の金字塔というべき経歴に反して歴史に埋没してしまったものと思われます。

 実際どのような曲を書いたのかもよく分かっていないようであり、本人が日本でのコンサートで自ら振った第二交響曲「太平洋」のみが記録されているに過ぎません。
恐らくこの曲のスコアも失われてしまったことでしょう。

 

そうそうそんな三谷氏のご尊顔を見てみたいとは思いませんか?

 

日本語で検索してもほとんど情報が出てこないのでもしかしてと思って英語で調べてみると、やはり写真が残っておりました。

 

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三谷俊造

 おお、なんだか雰囲気がありますね。スーツ姿も決まっていてちょっとこの時代の日本人にはないオシャレのセンスを身に着けておられます。

 そして三谷氏の眠られる墓地についても調べることが出来ました。
Hillsboro Mennonite Brethren Church Cemeteryというところに眠っているとのことですが、Wikipediaの記述と生年月日が異なります。

 お墓の記載のよれば1885年12月15日生まれ、1972年7月11日に亡くなったとなっており、墓石にしっかりそのことが彫り込まれています。

 

話をPrimula Sinensisに戻しましょう。

 そう、恐らくこの曲は匿名で堀内敬三氏に送られ、月刊誌に掲載されたことで焼失を免れることになった唯一の氏の作品かもしれません。
 曲はとてもゆったりとほの暗く、ドイツロマン派の情緒を感じる美しい曲になっています。
 また和声進行に特徴的な部分があり、これは当時のアメリカでは結構見られる進行なので、そういったものを取り入れたのではないかと思わせます。
 しかしメロディにははっきりと日本的な音形、スケールチョイスがされておりはるか米国から日本を思って書いたのだろうということがすぐに想像できます。

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Primula Sinensisの第1ページ

 このように楽譜の作曲者欄には「By. San Tan」とあります。なぜサン・タンなのかはわかりませんが、三谷の「み」は「さん」とも読みますし、谷は「たん」と訛ることもあります。
なので個人的には「三谷」をもじって付けたのではないかと考えていますが、本当のところはどうなんでしょうか。

 

 皆さんはこの「すべてを失ってしまった」偉大な先人の音楽を聴いてみたいと思いませんか。
 私はその興味が押さえられず、自分のYouTubeで展開するチャンネルの題材に選び、早速データ化していきました。
 打ち込みではありますが、なるべくなまで演奏した質感が出るように工夫して作っているつもりです。しかし最終的には全て生演奏音源に切り替えてきたいですね。
 ギャラは出なくとも音源化に協力するよというピアニスト、その他声楽家、楽器演奏者の方は是非コメントを下さい。

 

ということで失われた響きを蘇らせてみましょう。

San Tanこと三谷俊造作曲の「Primula Sinensis」です。
ゆっくりお楽しみください。

www.youtube.com

 

いかがだったでしょうか。

なおこのRMCというチャンネルでは毎週水曜日こういった発掘系の楽曲や、演奏歴の少ない現代の作品を(いまのところ)打ち込み音源にてご紹介しています。

よかったらチャンネル登録してみてください。

 

それでは今回はこの辺で。最後までお読みいただきありがとうございました。

悪魔の第七旋法 "ロクリア" の封印を解く 第3話「ロクリアにおける長・短旋法」

~前回までのあらすじ~

ロクリア旋法がだいぶ使えるということが分かりました。

 

 

長・短は大事だよ

音楽には、の2種類のスケールがあります。
メチャ簡単に言うと、明るいのが長調暗いのが短調ですよね。

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ハ長調ハ短調

「いや当たり前だべ」
と思うかもしれませんが、音楽に長・短があるおかげで僕らはだいぶ恩恵を受けています。
音楽に幅と揺らぎを与え、より面白みあるものにしているのがこれらの調だからです。
もし短調がなかったりしたら、米津○師も泡吹いて死んじゃうことでしょう。

 

で、現状TLT(トイドラ式ロクリア旋法理論)には長・短2種のスケールが存在しないわけです。
これはいけねえ!
さっさと作りましょう。

 

長・短の構造分析

そもそも、みんな当たり前に「これは長調、これは短調」なんて話してますが、
なぜこの形が長/短調なのか
知ってますか???

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「この形」

諸説あるとは思いますが、僕なりの分析を書いておきましょう。

まず、知っての通り従来の音楽は5度圏音楽、つまり完全5度大ちゅきグヘヘな音楽です。
したがって、あらゆる構造の単位に完全5度が隠れており、和音の構造も実はそうだよという話を 前回前々回にしました。

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前々回の図

で、これがスケール自体の構造にも言えるということは、第1回の記事で話した通り。

完全5度を7回堆積した音階はリディア旋法です。

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リディア旋法は、現代にいたるまで使われ続けている長旋法の祖であることが知られています。

すなわち、リディア旋法の特徴音である第4音が、下属音を取れるように下方変位した結果として長旋法が生まれた、というわけです。

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つまり、長調は完全5度の堆積でできているわけですが、それでは短調はどうなのでしょう?
一見5度堆積には見えないですが、実はこうすることで説明がつきます。

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スケールをただの5度堆積と見るのではなく、
主音と第3音それぞれからの5度堆積

 と見ることによって、第3音が長3度か、短3度かという観点から2種類のスケールを作ることができます。
つまるところ、これが長・短旋法の正体なのです。

ちなみに、ここで導出された短音階はドリア旋法になっていますので、長調の元祖がリディアだったのと同じように、短調の元祖はドリアだったことが分かります。
ドリアはリディアの第6音を主音に移した場合の音階ですので、エオリア(短旋法)がイオニア(長旋法)の第6音から始まるスケールだ、ということともバッチリ符合しますね。

 

TLTにも長・短つくるよ

つーわけで、TLTにも全く同じことをします。

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わーいできた。
ロクリア旋法がTLT的短調だったことと、ミクソリディア旋法がTLT的長調だということが同時に分かりましたね。


さて、さらに話を進めます。リディアに下属音が加えられてイオニア(長旋法)に変化した過程を思い出すと、ロクリアにも属音を補うことが考えられます。

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すると、この通り導出されるのはフリギア旋法です。つまり、TLTにおける本当の短調フリギア旋法だということです(ロクリアは短調の元となる元祖)

加えて、ミクソリディア(TLT短調の元祖)がロクリア(TLT短調の元祖)の第6音から始まる音階であることを考えると、フリギア(TLT短調)の第6音から始まるイオニアがTLTにおける本当の長調ということになります

 

 

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????、、??、??????(???)

 

 

 

え、イオニア従来の音楽とTLT両方の長調として扱われるんすか??????

 

 

 

 

 

音楽の神「そうだよ」

 

 

 

 

 

ということなので、とりあえずそういうことになりました。
めでたくTLTにも長・短を定義できたので、こっから楽しくなることでしょう。

 

~第4話(最終話)へ続く~

Easy Listnerのためのアニメサントラ選 第一回 ~ARIA編~

はじめに

心の底から好きなアニメがあるとしよう。大好きで、何度も、何度も観た作品。さて、そのアニメ関連で何かグッズを買いたいとなった時、何を買うだろうか。DVDやブルーレイ・ディスク?それとも、生活の中でいつも身近に使える雑貨グッズだろうか。主題歌のCDだって外せない。

 

そんな時、私はいつもサウンドトラックを買うようにしている。サウンド・トラックは素晴らしい。だって、家でも電車の中でも、その音楽を聴くだけで大好きな作品のワンシーンを回想することができるから。映像は無くても、脳裏にはその作品が鮮やかに蘇る。

 

さて、そんなアニメサントラの中には、アニメ本編を知らなくてもスッと聴き流して楽しめる素晴らしい音楽もたくさんある。そこでこれから、「Easy Listnerのためのアニメサントラ選」と称し、イージーリスニングとして楽しめるアニメ音楽の数々を紹介していきたい。

 

第一回に紹介するサウンドトラックはこちら。

 

ARIA The ANIMATION

より

『「ARIA The ANIMATION」オリジナルサウンドトラック』

 

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ARIA The ANIMATION~オリジナルサウンドトラック

ARIA The ANIMATION」について

ARIA天野こずえの漫画「AQUA」および「ARIA」を原作とした作品だ。アニメは2005年が初回放送で、ARIA The ANIMATIONARIA The NaturalARIA The ORIGINATIONの3シーズン構成となっている。また、OVA化やゲーム化、映画化もされており、2021年春には新作映画化も決定している。(楽しみですね。)

 

物語の舞台は、テラフォーミングされて水の星となった火星。そこにある、ヴェネツィアをモチーフに作られた街「ネオ・ヴェネツィア」。そして主人公は、そのネオ・ヴェネツィアの観光業を支えるゴンドラ漕ぎの「ウンディーネ」を目指し、マンホーム(地球)からやってきた少女、水無灯里。このアニメは彼女や彼女の友人達、そして周りの人々の穏やかな日々を描いた作品だ。ちょっと遠くへ出かけたり、人と人との新たな出逢いがあったり、現実を超えた不思議な体験をしたり...作中で描写される日常の中の出来事は、見ていて心安らぎ、時に大きな感動を覚える。

 

このアニメの監督は以前の記事で紹介した「プリンセスチュチュ」でも監督を務めていた佐藤順一だ。最近では、コロナウイルスの影響でNETFLIXで独占配信されたアニメ映画「泣きたい私は猫をかぶる」の監督を柴山智隆と共に務めている。

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佐藤順一監督

1960年生まれ。1990年代に『美少女戦士セーラームーン』『夢のクレヨン王国』『おジャ魔女どれみ』といった児童・少女向け作品を中心に手掛け、数多くの名作を世に送り出す。現在ではオリジナル作品の制作も積極的に行なっており、企画段階から精力的に関わった作品を発表している。

佐藤 順一 | ツインエンジン


現在ARIAはhuluやU-NEXT、dアニメストア等で配信されている。ちょっと心落ち着きたい時に、是非観てみてはいかがだろうか。

 

ARIAサウンドトラックについて

そして、この作品のサウンドトラックを作成・演奏しているのはChoro Club feat. Senoo」だ。

 

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Choro Clubのメンバー

Choro Clubは楽器編成をブラジル音楽であるショーロに倣った3人組のアコースティックバンドだ。

ブラジルの伝統的な都市型インストゥルメンタル・ミュージック「ショーロ」にインスパイアされながらも、全く独自のサウンドを創造する。90年にファンハウスレコードと契約、94年までに5枚のCDをレコーディングしたのを皮切りに、現在までにソニーレコード、キングレコード、オーマガトキ、ビクター、ソングXジャズなどから、計24枚のCDを発表している。その活動のフィールドは、通常のコンサートホールやライブハウスだけでなく、美術館やギャラリー、神社仏閣、ジャズフェス、ストリートに至るまで幅広い。

BIOGRAPHY | ChoroClub

 

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妹尾武

feat.Senoo表記でピアノ等を演奏しているのは、ピアニストの妹尾武だ。アーティストやドラマ、CM等への楽曲提供も多数行っている。

1994年、大学在学中に作曲した「So Heavenly.」がサウンド&レコーディング ・マガジンの細野晴臣監修のオーディションにて優秀作に選出される。翌年、同曲がコンピレーションアルバム「Ecole」(EPIC SONY)に収録されたのを機にプロとしての活動を開始。同作品はフジテレビ系深夜番組「かしこ(監督:片岡K)」のオープニングテーマに起用された。 2000年、ゴスペラーズに楽曲提供した「永遠に」が44週に渡るロングヒットとなり、代表作品の一つになる。以降、作曲家・作詞家として高橋真梨子鈴木雅之東方神起夏川りみ平原綾香、他多くのアーティストに楽曲を提供する傍ら、谷村新司松任谷由実三浦大知、等のレコーディングやコンサートにピアニストとして参加している。 その他、映画「スイートリトルライズ」、テレビドラマ「チーム・バチスタの栄光(フジテレビ系)」、「いま、会いにゆきます(TBS系)」テレビアニメ「ARIA」等のサウンドトラックやCM音楽なども数多く手がけている。

妹尾 武 :: Takeshi Senoo Official Web Site :: » BIOGRAPHY

 

それでは、そんなChoro Club妹尾武によって奏でられる、穏やかで爽やかな音楽の数々から、数曲ピックアップして紹介していきたい。

 なんとこのサウンドトラック、先日ストリーミング配信が始まってApple MusicやSpotifyで聴けるようになったのである!!!これは聴くしかありませんよ。それでは早速。

 

AQUA

この曲は実に"水の都"らしい雰囲気を持った曲だ。水辺のさざ波の音を感じさせるイントロから始まり、ギターがメロディを奏で始める。運河を流れゆく水のようにゆるやかで、水の反射を思わせるキラキラとしたそのメロディからは、ネオ・ヴェネツィアの美しく穏やかな日々が頭の中に思い浮かぶ。この作品のメインテーマと言って過言ではないだろう。

 

逆漕ぎクイーン

疾走感と緊張感のある一曲。テンポも速めで格好いい。因みに逆漕ぎクイーンとは主人公の水無灯里のことで、普通はウンディーネは乗客の視界の邪魔にならないように船の後ろで操船をするのだが、灯里はネオ・ヴェネツィアに来る前、間違って船の先頭に立ってゴンドラを漕ぐ練習をしていたために"逆漕ぎ"の操船技術は完璧だった、ということに由来する。第一話では、流されてしまったアリア社長(猫)を救うために灯里が逆漕ぎをするシーンがあり、そのシーンでこの曲が使用されている。

 

水の鏡

 作品の中では、灯里は"有り得ない手紙"を届けるよう頼まれたり、猫の集会に迷い込んだり、過去にタイムスリップしたりと、不思議な出来事に巻き込まれる。それは灯里に不思議を呼び込む性質があるからかもしれないし、ネオ・ヴェネツィアの街自身にもそのような性質があるのかもしれない。細く、薄暗く、入り組んだ運河の水路。この曲はそんなネオ・ヴェネツィアのもう一つの表情を描き出している。

 

落陽

第二期のサウンドトラックである『「ARIA The NATURAL」ORIGINAL SOUNDTRACK due』からも一曲紹介させていただきたい。陽が沈んだ後の、徐々に薄暗くなっていく空。「落陽」とタイトルのついたこの曲は、懐かしいような、寂しいような、そして何故だか涙が出てきてしまいそうな、そんな風景をピアノとヴァイオリンが奏でている。

 

おわりに

Easy Listnerのためのアニメサントラ選と題して、第一回ではARIAサウンドトラックを特集した。そろそろ夏も終わりかけだがまだまだ暑いこの季節、このサウンドトラックを聴いて水の都の旅をしてはいかが?

 

それではまた。

 

~次回~

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 

 

夏歌、それは元気すぎる。

こんにちは。みなさんお元気ですか?僕は元気ではないです。なぜならば夏だから。

 

夏だから。

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一般的に想像される夏

そんな夏になると、夏歌とかいうやつが一般的に聴かれます。

 

 

一般的に夏歌と聞いて想像されるであろう曲を選んでみましたが、どうでしょうか。

僕はどいつもこいつも元気だなと思います。まあ特に元気なのを選んでるのもありますが、元気じゃないのも大体エモい歌詞で夏を美化してるので同じ様なもんです。

 

 

だってよく考えてみてくださいよ。

「「考える人」のモノマネをする何も考えていない人」の写真[モデル:大川竜弥]

 

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......

 

 

 

考えましたか??

 

 

 

そうですよね

 

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美化が間に合わないくらい 夏はクソ暑くてあり得ないほどダルいですよね。

そんなこと無いと思う人は今すぐブラウザバックして湘南乃風聴きながらタオルでも振り回しといてください。

 

夏はクソ暑くてあり得ないほどダルいのに、なぜ世の夏歌は鬼元気な曲かエモい曲しかないのか。

 

あっつ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!だり~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

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ダリ

みたいな曲でそこそこ有名なのはないのか?

と思い、色々考えてみましたが、僕はサマージャム'95くらいしか知らないので諦めました。

(これもちょっとフックがエモさを醸し出してる気がしないでもない)

 

まあでも調べないのも良くないかな、と思って調べてみました。

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なんかもうサムネイルで察して欲しい

そしてサムネで絶望しました。(内容もお察しの通り)

お前らマジか?そんなサムネみたいな夏を過ごしているのか?クーラー効いた部屋で涼むとか、40℃近い炎天下でフラフラするとかじゃないのか?もしかしてそれは僕だけなのか?

 

というところで一つの仮説を思いつきました。

 

夏歌、気候変動に順応できていない説

なんということでしょう、ここで気候変動というグローバルな話題がぶち込まれてしまいました。

そうは言っても日本の平均気温は上昇し続けています。

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気象庁HPより(以下同様)

これを見ると、戦後では1990年くらいに急激に気温の偏差の値が上昇してそこから更に上昇している様な気がしないでもないです。(計測に用いる機器が一新された結果かもしれないのでなんとも言えませんが)

では実際夏がどれだけ暑くなってるのか見てみましょう。

 

名古屋

名古屋における猛暑日日数の長期変化傾向

猛暑日というのは最高気温が35℃を超えた日のことです。したがってこの日が多い年ほど夏が暑い年といえます。

過去100年の猛暑日日数は、平均すると10年で1日のペースで増加しています。増加率で見ると増えてんのか増えてないのかわかりにくいですが、グラフを見ると1990年代後半から現在にかけて、棒グラフの突出した値が集中していることがわかります。*1

 

まあたまたま35℃を超えるような日が多くなっただけで、実は28℃くらいの涼しい日がほとんどという可能性もなくはないので(家から出ないので外気温がわからない)、真夏日日数も見てみましょう。

 

 

名古屋における真夏日日数の長期変化傾向

真夏日は最高気温が30℃を超えた日のことです。

真夏日日数も、平均すると10年に1.2日のペースで増加しています。ここでも2000年以降の真夏日日数が多くなっている(たとえば70日超の年が多くなっている)ことから、過去と比較して名古屋の夏の気温は上昇していると言えるでしょう。

 

ただ名古屋がたまたまフェーン現象でアチアチホットになってるだけ可能性も否定できないので、他の都市でも同様の変化が見られるか確認します。ただし、東京や大阪は観測地点の移転により正確な比較ができないため、移転していない京都と福岡にします。

 

京都

京都における猛暑日日数の長期変化傾向

京都における真夏日日数の長期変化傾向

京都は盆地にあるためか何なのか、名古屋よりも猛暑日真夏日の日数の増加率が大きいです。いずれにせよ名古屋と同様に暑くなっているのは間違いないようです。

 

福岡

福岡における猛暑日日数の長期変化傾向

福岡における真夏日日数の長期変化傾向

福岡は大体名古屋と同じくらいの増加率ですね。海が近いからか比較的安定しているように見えます。

 

つまり

これら3都市の結果から、日本の夏の気温は(少なくとも都市部では)上昇していると言えそうです。そしておそらく、90年代以降の猛暑日日数は多いです。

そもそも夏歌にこんなにイケイケなのが多いのは安定成長期で一億総中流だった80年代にウォークマンが流行り、カーオーディオにCDプレーヤーが一般的に搭載されるようになり、音楽を屋外に持ち出すことが可能になったために山下達郎などのシティポップが夏の旅行中に流されるようになったからだと勝手に思っています。(あと夏に祭りが多いとか)

そういう点でバブルが崩壊し、格差が広がり、休みがなくなり、気温が上昇し続けている90年代以降の夏歌は感覚のアップデートを怠っています。今すぐ「夏ってダルいよね~外に出る気一切起きないクーラー万歳太陽死ね」的なだるだるソングを流行らせましょう。がんばれ米津玄師!以上。

*1:2000年以降くらいから気温の測定頻度が1時間→10分→10秒と変更されまくったので、過去より気温が高く検出されている可能性があるが、結局1990年代以降の気温はそれ以前のものより高いし、最高気温のような所謂"外れ値"ならまだしも、猛暑日日数のような1日全体で気温を見た場合ではそもそもそこまで考慮する必要は無いんじゃね?と思っている。