名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

クラシック音楽という呪い ~ ピアノ小品の出版に寄せて

作曲家のトイドラ、もとい冨田です。

私事ですが、僕のピアノ小品集「夜の窓辺にて」が先日発売されました!

5年前に書いた曲集を改訂し、このたび正式に出版していただけることになったのです。

しれっと榊原副会長の曲も出版されている

bridge-score.com

楽譜は Bridge Score 社様のホームページから買っていただけるので是非覗いてみてください。

 

それはそうと、僕はこの曲集のまえがきにこんな言葉を書きました。

この曲集では、そんな“輝かしき闇”を 28 曲ご紹介する。“闇の音楽”は、“光の音楽”とは運指や響きが少々異なっているので、はじめは戸惑うかもしれない。しかし、きっとすぐに慣れるだろう。なぜなら、闇や陰は常に光とあるものだから。

光の音楽」と言うと、僕の頭に真っ先に思い浮かぶのはクラシック音楽です。

長い歴史を持ち、格式高く、正統な音楽。

芸術としての音楽を語ろうと思えば、現代でもなおベートーヴェンやバッハのようなクラシック音楽を話題に挙げる人は多いのではないでしょうか?

ヨーロッパを舞台に連綿と紡がれた音楽史が、クラシック音楽には詰まっています。

 

しかし、よく考えてみてほしいのです。

なぜ日本の我々が、いや日本だけでなく世界中のたくさんの国の人々が、ヨーロッパの狭い地域で発達した音楽をずっと至高の芸術であるかのように扱っているのでしょうか。

ふと見渡してみれば、世界中の音楽は今やほとんど西洋クラシック音楽を母体としたものに塗り替わってしまっています。

今回は、そんな僕のピアノ曲集の裏テーマについて話していこうと思います。

 

もくじ

 

日本民謡の消滅

僕が運営しているYouTubeチャンネルで、先日ある動画を出しました。

童謡「てるてる坊主」をめぐる日本音楽史のナゾ解き動画です。

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この動画では、明治に日本で起きた「新民謡運動」の話に触れています。

この時代、世界は列強諸国による帝国主義で満ちていました。

ヨーロッパ諸国は、"遅れた発展途上国"に対して"進んだ自国の文化"を教えてあげようと、海を渡りキリスト教を世界中に宣教していたわけです。

そういった流れの中で日本も開国を迫られ、いきなりもたらされた西洋文化によって「文明開化」を迎えます。

 

動画の中では、こうした西洋音楽流入に揉まれて、少しずつ日本音楽が西洋的に捻じ曲げられたのではないか?ということを示唆しています。

「文明開化」の価値観では、西洋のものなら何でもハイカラでカッコよかったわけですから、西洋音楽は当然すばらしくカッコいいものだったのでしょう。

当時の日本は、山田耕筰や成田為三といった作曲家を西洋に留学させ、最先端の音楽を持ち帰らせていました。

列強と対等な立場を得るため、着物を捨ててスーツをビシッと着込みます。

どうやら「国歌」というものも制定しなくてはならないぞ、ということで急いで作りましたが、西洋風の音楽を作れる人がいなかったせいで何やら奇妙な国歌になってしまいました。

www.youtube.com

 

こんな調子で、日本はせっせと西洋化していったわけですが、西洋の真似をしたからと言って完全にヨーロッパになれるわけではありません。

当時流行っていた愛唱歌なんて、今では考えられないほどドギツい民謡調でした。

僕は、これは「文化的自殺」なのではないかと思います。

ちょっと言葉が強いですが、当時の日本は西洋に追いつくために嬉々として自国文化を解体していったのです。

こうした例は枚挙にいとまがありません。

 

文化的他殺

日本は嬉々として西洋化しましたが、そうではない例もたくさんあります。

例えば、西部開拓時代のアメリカではネイティヴ・アメリカンたちとその文化が害獣駆除のように殲滅されていきました。

日本でも、北方のアイヌなど少数民族は「文化的に遅れている」とされ、本土の文化にむりやり矯正されたり、やはり殲滅されたりしました。

大航海時代にヨーロッパが行った侵略も、語るべくもないほどの文化的死を伴っていることでしょう。

 

悲しいことに、そうして自分の文化を押し付けて他国の文化を殺していった人々は、たぶん悪気があったわけではありません

「進んだ自国文化を、遅れた他国に」

こういう動機の延長線上に、文化的他殺は起きたのではないでしょうか。

 

音楽は音楽でしかない

ここまでの話は文化全般にいえる話でした。

しかし、こと音楽に関して「西洋文化への偏り」はとりわけ極端な気がします。

アフリカの発展途上国や一部のアジアを除き、ほとんどの先進国はもはやクラシック音楽をベースに発達した音楽しか聴いていません

ド・ミ・ソの3和音を軸に、4拍で1小節のまとまりがあって、メロディは美しく3度でハモって、長調短調教会旋法で書かれていて…………

こうした特徴は全てヨーロッパの文法です。

これが「光の音楽」であり、ヨーロッパの人々は自国の音楽を「光だ」と思ったのです。

 

しかし、僕の考えでは、音楽は音楽でしかありません。

したがって、闇も音楽だといえるでしょう。

事実、西洋クラシック音楽に対するアンチテーゼも、実はかなり長い歴史がある音楽の文化です。

ただ、やはりそういった潮流、所謂「現代音楽」もけっきょくヨーロッパに端を発していることが、僕には不満でした。

 

「音楽が音楽でしかない」以上、歴史あるクラシック音楽も、今ここであなたが歌っているハナウタも、少なくとも「音楽である」という意味では同じだけの価値があります。

一旦それくらいフラットな目線に立てば、西洋の古典的な音楽をタキシード姿で演奏することにどのくらいの価値があるのか、今を生きる我々が個人で考え、感じることができるでしょう。

 

なんだか大風呂敷を広げてしまいましたが、僕のピアノ小品集では「闇の音楽」を画策しています。

これは怖い音楽とか暗い音楽ということではなくて、「今まで目を向けられなかったものに対して眼差しを向けたい」ということです。

日本の伝統的な音楽をベースに、もしこの音楽が今のクラシック音楽と同じくらいに発展していたらどんな響きになったか、試してみたつもりです。

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というわけで、僕の曲集の裏テーマをもとにちょっと語ってみました。

あくまで「裏テーマ」なので、別の大きなテーマもあるし、個別の曲に込められたテーマは様々です。

皆さんもぜひ聞いて、弾いて、いろいろ想像を巡らせてみてくださいね。

新曲「Δ/Replication」が初演されました(出版もあるよ)

大変ありがたいことに、わたくしの新曲「Δ/Replication」が初演されました。

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移植していただいたBRIDGE SCOREの佐々木裕健氏と演奏してくれたその息子さん、楽器準備を手伝ってくれたご家族、なんかよくわからない曲を演奏させてくれたピアノの先生、および聞いてくれた人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてこの楽譜は出版されたので、買ってくれるであろう貴方にも感謝の気持ちがいっぱいになる予定です。

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BUY RIGHT NOW

 

こんな機会は(私には)あまりないと思われるので、せっかくなので依頼から初演までの流れを時系列順に追っていきます。

 

①委嘱がくる

2023/1/1

名古屋作曲の会はハンドフルートコンサートの配信を行いました。私はハンドフルート+手回しオルゴール+電子音響という編成の「エア」という曲を出しています。

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その後なぜかBRIDGE SCORE社長の佐々木氏と配信をした我々は急速に接近していき、

冨田悠暉の「Requiem No.1」やなんすいの「組曲『新栄』」の出版が決まりました。

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(新栄はまだ出版されていません)

私はと言えば内心うらやまし~~と思っていましたが、ヒューマンフレンドリーな曲を全く書いていなかったので、まあそうだよなとも思っていました。

 

2023/1/18

そんなある日、1件のDMが来ました。

(佐々木)

榊原様

こんばんは。あらためまして、年始では突然の配信の企画にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。遅くなりましたがお礼申し上げます。

 榊原さんの公開されてる作品を聴きながら、一つご提案したいことがございまして、電子音源+アコースティック(具体的にはピアノ、打楽器)のアンサンブルを作ることにご興味はありませんか?

毎年春に、息子の通うピアノ教室の発表会がありまして、そこでは現代作品も演奏してきました。(弊社のYouTubeチャンネルでも公開しています) そこで、榊原さんの新作を初演したら面白いのではないかと考えています。

時間としては3分ほど、ピアノは息子担当なので簡単めに、打楽器は私が担当し、家で揃えられる打楽器なら基本なんでもOK(ただし、車に積み込ませることができる範囲で) (中略)

初演は来年4月なので、出来上がりは今年10月頃が望ましい… ざっとこんな条件なのですがいかがでしょうか? お忙しいところを恐縮ですが、お時間のあるときにでもお返事を頂けますと幸いです。勿論、質問や要望なども承ります。

合同会社BRIDGE SCORE 佐々木裕健

よっしゃ~と思いました。

ということで、9歳児がピアノ発表会で演奏するためのピアノと打楽器(佐々木さんが担当)と電子音響の小品を書くことになりました。なんだそれは。

 

佐々木さんは先ほど述べたハンドフルート曲「エア」を聴いて委嘱を決めたようです。

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普通にエアを出版することを一瞬考えたようですが、記譜が困難なので断念したそうです(そりゃそうだ)。そこで「ピアノと打楽器と電子音響のための新作を委嘱して、息子のピアノ発表会で演奏すればいいのでは?」と思い至ったそうです。普通そうはならんのではないか? でもまあ普通ではないからな。
なにはともあれ、委嘱は大変ありがたいことです。

さて、この依頼で重要視するべきポイントはなにかなあと考えました。

考えた結果

1.子供のピアノ発表会のための曲であること

2.自分がピアノや打楽器を演奏できないこと

3.電子音響の使い方

4.出版されることを悪用すること

5.締め切り

を念頭に置いて書くことにしました。

ちなみに演奏する際に参考にしてもいいですし、参考にしなくても一向にかまいません。*1

 

1.子供のピアノ発表会のための曲であること

ピアノは簡単めに、という注文をいただきました。子供用ですからね。

(佐々木)

ピアノだとなんとか頑張って《エリーゼのために》が弾けるレベルです。
あと、片手で掴める音域は7度が限界です。

ただ今回の場合、「エリーゼのために」よりは難しくないと、あまり弾いてもらう意味がありませんね。多少難しくしましょう。

さらにピアノ(息子)+パーカッション(佐々木)の親子共演という点ですが、ピアノ発表会ということであくまで子供が主役であるべきでしょう。が、その舞台に親が出てくるので、ある種のゆがみが生じてしまいます。ここに言及しないとウソになると思いました。腐心した結果、電子音響をコンダクターとして活用し、ピアノは打楽器を全く聴かなくても淡々と弾き続けることが可能な譜面にしましょう。打楽器はピアノの演奏を聴かなければならないが、分離したような演奏を強制されるようにしておきましょう。というようにパーカッションよりもピアノが優位な状況を保ち、来るべき反抗期を予見したような内容にしてみたらどうか。このことは意識しないで演奏したほうが面白い気がするので、初演が終わるまで秘密にしておきます。

ピアノ発表会なので当然時間制限もあります。この場合3分でした。
3分でなにをやろうかな~と思い小曲を3曲くらい下書きしたんですが、普通過ぎたので全部没になりました。この時点ではピアノ発表会にふさわしい曲を書こうと思っていたのです。でもそれは驕りでした。そもそも「エア」を聴いて委嘱してきたんだから、そんなものは望んでいないはずです。ちゅうか、ピアノ発表会で急に意味不明な曲が演奏されたら会場の空気が変になっておもろい。もう全部ぶち壊そう。
ということで、おおよそピアノ発表会で演奏されないような曲を書くことにしましょう。

さらに言うと転換も高速で行う必要があるので、大量の打楽器を使うとかはできません。必然的に簡素なセッティングを目指しました。とすると使用する打楽器の制約が結構あります。使用する打楽器が少ないというところでClown Coreを思い出してしまいました。


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結果的にスカムミュージックっぽい音響に向かうことになります。

 

2.自分がピアノや打楽器を演奏できないこと

特にピアノですが、技術的な意味で「子供のため」に書くことは、ピアノが弾ける人間と比較して難しい。ということで、(一応技術的な面にも配慮はしつつ)非技術的な側面から子供のための曲を書くことを目指しました。
じゃあどうするか。というところで地方のピアノ発表会(出たことはないので想像でしかありませんが)に思いをはせてみたんですが、大体クラシックの名曲かポップス、たま~にやばい超絶技巧を披露する人がいるとかそんな感じじゃないでしょうか。違ったら教えてください。ここにないものはなにかわかりますね?ヤバいポップスです。
よくよく見るとBRIDGE SCOREから出版されている楽譜はかなり幅広いとはいえど、ヤバいポップスはありません。ここに非常に異質な曲を置いて悪目立ちしたい。

ということで、全く非アカデミックなポップス的アプローチをとることによって、音楽(や文化)の多様さを認知してもらうことを狙いに盛り込みました。私の好きな曲の要素を色々ぶち込んでみましょう。別にこれを好きになってもらう必要はなく、あるいは自分の好きなものを全く別で見つけてもらえてもそれはそれでうれしいですね。

 

3.電子音響の使い方

(佐々木)

ちなみに、電子音源はiPadにスピーカーを着けて流すような形になると思います。

ここから察するに、ミキサーを介した音量調節、イヤモニを装着してのクリックとの同期演奏はおそらくできないでしょう。クリックがない状態で演奏するには電子音響自体にクリック的な要素を入れる必要があります。普通に困ったので、いろいろリファレンスを探しました。最近の現代音楽は電子音響との同期演奏が多いので結構助かります。


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まあこいつらイヤモニしてるんですがね。

クリック音(ぽいもの)が楽音として機能するという点でBen Nobutoの曲は大いに参考になりました。

 

4.出版されることを悪用すること

これまでの話とは別で「せっかく出版されるんだから、絶対にこの機会を悪用した~い」と思いました。ということで、こどものために~とはまた別でテーマを設定しました。ということで呪いをテーマに書いています*2

当時の私は人を呪い殺してみたかったので人を呪い殺す方法を調べていました。中二病だからそういうことをしたくなってしまいます。

曲紹介についた引用

調べた結果、この世には多種多様な呪殺方法が存在し、時代によっても変遷するため、ステレオタイプ的な呪殺にこだわるのはナンセンスだということがわかりました。つまり大事なのは「人を呪う心」そのものであり、儀式はその心によって成立しているわけです。心は十分にあるので、そのための儀式として曲を作り上げてみましょう。

そして今回はオンライン出版なので、ネットを介していくらでも伝播することが可能です。黒沢清の「回路」みたいだったので、その内容も儀式に取り込みました。非常にポップに虚飾されているせいで演奏と聴取、頒布が儀式であることに気づくことは困難ですが、私の(デルタ像の)人を呪う心は確かに増幅され伝播していくはずです。そのためにも買ってください。

 

5.締め切り

なんかいろいろ書きましたが、これが一番大事です。相手がだいぶ上手ければちょっと慢心できますが(しませんが)、子供相手に何か月も遅れると普通にまずい。どの面下げて子供のための曲と言ってるのかわけわかんなくなってしまう。なので今回に関しては特に締め切りを守ることはマストでした。いつもマストです。

今回、1月18日に依頼を受け10月締め切りなので、大体9か月くらいは時間をいただきました。実験や書類に忙殺されているので締め切りが長いのは助かります。が同時にちゃんと書けと暗に示されているわけなので、気が引き締まります。

こんなに時間があることも珍しいのでコンセプトしっかり練るぞ~と張り切った私ですが、就活やら学会やらでなんか時間が無くなり、実際にコンセプト練り始めたのは6月ごろだった気がします。そして作曲に取り掛かったのが9月なので普通にお馬鹿さん。

ただ、忙しいことを理由に書けないのはダサいし、何らかを犠牲にしながら何とかすればいいんじゃないでしょうか。

 

というようなことを考えながら書き、

 

2023/9/30

できました。

 

 

テンポ240で遠隔調転調しまくる変拍子の曲がな!!!!!!!

 

(佐々木)

ピアノだとなんとか頑張って《エリーゼのために》が弾けるレベルです。
あと、片手で掴める音域は7度が限界です。

 

(ピアノは8分音符までしか登場せず、かつ七度は厳守しました)

②頑張って練習してもらう・頑張って校正する

エリーゼのためにとは程遠いものができたので、「弾けるかな?」と大変心配していました。なんすいや冨田にも聞かせたんですが、同じことを口にしていたので相当大変なんだと思います。

(佐々木)

息子にも聴かせてみましたが、マシンガンみたいな音がする、ロボットが壊れてるみたい、などのイメージをもって受け入れられそうです。

マシンガンかもしれねえ。

 

(佐々木)

ちなみに、バイエルレベルなら比較的苦もなく譜読みできる息子が、本作には大苦戦しておりましたw

予想通り大苦戦されてしまい、終わった......と思いました。

 

この時点で不安はマックスだったのですが、なんだかんだ好ましく受容され、転調に対応するための全調音階練習をすることになり結果的にピアノが上手くなるというミラクルも発生しました。要するに私は子供の可塑性をなめていたアホです。今までさんざん子供のために書いたことをアピールしてきましたが、正直だいぶおこがましいと書きながら思っています。

 

これと並行して校正を行いました。今回の曲では、五線譜で作曲したものを一回DAWに取り込んで編曲して編曲した結果できたものを五線譜に落とし込む、みたいな回りくどい作業を延々としていたので、結構記譜に揺れがあったりなかったりしました。今はないはずです。あったら教えてください。本当はそこまで含めて10月までにできればよかったのですが、10月は学会みたいなもの(若手の会)で出張しなければならず、ないよりはましだろうということで提出してしまいました。よくないですね。

なのでミスが色々......

 

③初演される

2024/4/7

いよいよ初演されるということで香川に行きました。

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だいぶ無茶な楽譜でしたが、ちゃんと形にしてくださり、奏者のお二人には頭が上がりません。

練習風景

この曲は電子音響を使うということもあり、相当がDTM的発想によって作られています。なので、中間部を除く全編にわたってグルーブ感を殺すよう指示しました。奏者にとってはあまりない発想だそうです。たしかにそうかも。

 

そんな感じで初演されました。

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これもまた意外なことに、そこまで会場はお通夜みたいな雰囲気になりませんでした。好ましく受容されたのか、佐々木親子またやってるよと思われたのかはわかりませんが、どちらにしてもあの空間には意味不明な新曲を受容できる何かがあったということなので、希望のある話だと思います。

という感じで初演までこぎつけたのでした。この後すぐに微妙な校正を経て......。

 

④出版される

出版されました。

bridge-score.com

委嘱から初演、出版まで、佐々木さんには大変お世話になりました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。

そしてすでに誰かが買ってくれたそうです!
誰かも、ありがとう。

そしてこれから買う誰かも、ありがとう。

 

 

そして本筋とは一切関係ありませんが、名作会の新作アルバムもでてますんで、よかったらぜひ。

songwhip.com

おわり

*1:自分のこういった演奏者優位な姿勢はどこから来ているんだろうと考えたのですが、自分が大学時代にコンボジャズなどの即興性の高いポップスを通過したことに由来している気がします。あの辺はプレイヤーがコンポーザーなわけですが、クラシック畑の人間にも同じような心持で演奏してほしいのかもしれません。

*2:ということを生放送で言ったら「軽率に呪うね~(意訳)」と言われてしまったのですが、人を呪う心それ自体はだいぶカジュアルなんじゃないかと思うし、大仰な儀式ではないだけで実は毎日のように行われているのではないか?そして創作の世界ではモキュメンタリーを介した呪いの拡散をテーマにしたメタフィクションが流行しており~と思いましたが、そう答える前に話題が進んでしまいました。会話って難しいですね。それはそれとして私のテーマ設定は割と軽率(と客観的には見える)なんですが、本人的には軽率なつもりもなく、なんで軽率(と捉えられてしまう)んだろう?と思っています。思った結果、科学実験と同じノリでやっているからそう見えるのだろうと一応結論付けています。私は普段植物を使って実験していて、目的遂行のために葉っぱや茎を切り刻み、遺伝子を破壊するんですが、それはあまりにも当然のこと過ぎて何も思うことがありません。それと全く同じ心持で人の心に踏み込むので、人文系の素養がある人々には軽率に見えるのかもしれません。ある意味で、神の視点に立とうとしていると言えます。でもサイエンスに神は不在なので、恐れがなく驕りがあるのかもしれませんね。

こどものための音楽における芸術性と大衆性

ピアノ教室の風景

 最近もっぱら私の研究題材は「こどものための音楽」である。しかも私はこのブログで同じ題材で一つ記事を書いている。

 

 

nu-composers.hateblo.jp

 今回はそれをさらに深く研究し、体系化を試みてみたというわけである。
 このジャンルの音楽は教育場面で用いられる楽曲なので軽く見られがちなジャンルではあるが、これが研究してみると実に深いのだ。様々な作曲スタイルが混在しており、芸術なのか単なる教育用の教材なのか、はたまた大衆音楽なのかもわからないほどに玉石混交でありながら、ちゃんと一つのジャンルを築き上げている。
 こういった指向のジャンルには吹奏楽も挙げられるだろうが、あのジャンルは本邦においては「芸術のフリをした大衆音楽」という形に乗っ取られ、多様性を拒絶し閉じた世界に真っ直ぐに爆進してしまった結果、自ら滅びの道を歩んでいるので、このジャンルとの比較は意味がない。最近は吹奏楽本が新たにいくつも刊行されているが、その背景には滅びゆく世界に人を再度惹きつけないと生活に困る関係者が多いことを示唆しているだけで、自ら滅びの呪文を唱えたことにすら気がついていない有り様にはほとほと呆れるだけである。
 一方こどものためのピアノ曲という世界は、そのような一つの誤った形に収斂される前の、ある意味自由な多様性を受け止めるだけの器と、人口があると言っていいと思う。それだけに、これがいい、あれはダメという単純な世界構造にはならず、様々な志向の応えられるだけの楽曲も多く存在しているとも言えよう。

 さて、そういった様々なスタイルの混ざった「こどものためのピアノ曲」の世界を、まず全貌から論じようとするとあまりも膨大になりすぎてしまう。そこで本邦の作曲家における特性と限定したうえで、ややその歴史背景と流行り廃りなども織り交ぜつつ少し書いてみたい。冒頭様々なスタイルが玉石混交と述べたが、これの意味を少し解説したい。
 多かれ少なかれ、このジャンルはピアノを習うこどもたちを主人公に、その教材として書かれているという背景がある。このため、教育的な目線というものが常についてくるのだが、この教育的音楽についても多くの作曲家で以下のような捉え方の違いがあるように思う。

・ピアノをうまくなるための技術的基礎を与える
・プロになることを前提とせず、少しでも楽しくピアノに触れ合って欲しい
・上記の両立を図ることはできないだろうか

 大まかにこのような目線の分類ができるわけだが、ここにすでに落とし穴がある。
それは二番目の例に潜んでいるのだが、これは書く側、教える側が大人である以上ある程度致し方ない問題でもある。

・こどもたちが喜びそうな大人が考えた世界を描く
・こどもの目線に立ってみたつもりになった曲

 実はこの2つの誤謬といおうか、これがあまりにも多いのは事実である。このため、こどもに楽しんでもらおうと書いたのに、簡単にこどもに「面白くない!」と言われてしまうのだ。まずこの書き方を選ぶためには童心を持ち続けている、あるいは親として本当にこどもたちのことに目配せしていないと行けないという背景が浮かんでくる。
更にいうと以下のような傲慢な態度を感じる楽曲も少なくない。

・どうせこんなもんでいいだろう
・これより深くしても弾けないだろう
・こどもには芸術性はいらないよね

 このジャンルにおける最も最低の勘違いである。そしてこれの行き着く先は今の吹奏楽界と同じものになるだろう。こどもの感性の幅を勝手に規定し、こどもの能力を低く見積もり、そして受けそうな曲だけを書く。そうすればこどもは喜ぶかもしれない。反面ほかのものに目を向け、感性を豊かにしようとしなくなるだろう。結果、同じような曲だけが支持を集める形で世界は閉じ始め、最終的にはその世界に参加することをしなくなる人を大量に生み出し、崩壊の道を歩むことになる。
 「音楽を書く」という行為はどんなシーンでもどのようなジャンルでも、そしてどのような目的であっても、その筆には責任がのしかかってくるのである。その責任を果たさないという姿勢は、必ず自己崩壊の道を生み出してしまい、結局は作曲家の働ける世界すら失っていくことにつながるのだ。

 吹奏楽とできの悪いこども向けの曲との一つの共通点が、調性音楽であることがほとんどという点であるのも面白い。まあそれ自体は悪いこととは一概に言えないが、こどもの頃いたずらが嫌いだったなんて人は相当居ないと思うのは私だけだろうか。ピアノがあれば猫踏んじゃったを弾き始める子と、めちゃくちゃにぶっ叩き始める子が同じくらい居たと思う。こどもの感性でみれば、数千万しようが何しようが、ピアノはおもちゃでしかないのだ。

 調性音楽?意味わからないよ。でもこのケージとかいう人の曲、なんか普通と違う!というような感じだろうか。しかしむちゃくちゃをやらせるだけでは技術は育たないのも一方正しい。本来はこの2つの難しい問題をどうするかで作曲家は懊悩しなければおかしいのだ。

 さてそういった懊悩があったかなかったか、あるいはこどものためのという概念をそもそも考えたか考えないか、いろいろな尺度はあるだろうが、これらのバランスを図るうえでもう一つ重要なテーマがある。それは作者の作風をどうするかという問題だ。
 このジャンル専門という作曲家も居ないわけではないが、多くは普段は芸術音楽の作曲者として活躍するケースが多く、殆どの場合作風確立を成し遂げた優秀な作家が書いていることが多い。そこで作者の普段の作風とこどものための作品との関係に焦点を当ててみようと思う。

そうすると以下のようなパターンが見えてくる。

・普段の作風とは全く違う書き方で書く
・普段の作風を変形させるだけでどちらにも対応できる
・普段の作風以外書く気がない

 多くの人は1番目の在り方はしょうがないと思うのではないだろうか。こどもに現代曲を弾かせるわけにもいかないしと。それが大きな間違いなのだ。さっきも言ったが、ピアノはこどもにとってはまずおもちゃなのだ。その視点を正したいなら、別に今までにたくさん書かれた教則本から始めれば良い。トンプソン、ハノン、バスティン、ツェルニー、ブルグミュラーギロック、ミヨシメソード、アサダメソードと数多あるのだから。
 そういった従来からある教育方針が正しい音楽家を育てたかどうかは難しい議論になるのでここでは避けるが、まあピアノを楽器として見るにはそれで良い。ではその後、あるいはその前の段階に的を絞って、併用曲集として書くなら、おもちゃと思っているこどもにも寄り添わねばならないだろう。その時に奏でられる、大人の常識ではむちゃくちゃな世界というのは、まさしく現代音楽の得意とする世界ではないだろうか。だからこそ、こどものための曲に現代的手法を用いるのは、こどもの目線に寄り添う観点からも極めて効果的と言えるのである。もし作曲家がその事に気がついていても、出版社がその常識を欠き、ストップをかけてしまったら元も子もない。度々の比較で恐縮だが、吹奏楽界の失敗の最も大きな要因は出版社が力を持ったことと指導者がプロではなかったことに尽きるのだ。要はここで言う「誤解」が生じやすい背景が揃ってしまっていたということだ。だからこそ、こどものためのピアノ曲というジャンルで同じ失敗に向かってはいけないのだ。言い換えればこどもの世界を大人が勝手に定義してはいけないのだ。

 これを前提条件にして上記に掲げた3つの作曲家の態度を、実際に検証してみたいと思う。


1.普段の作風とは違う書き方で書く
 このスタイルの狙いは簡単で、現代曲は難しいからやめて、理解しやすい(と勝手に思っている)平易な曲で書こうをいうものだ。非常に多くの曲がこのスタイルで書かれており、ある意味最も支持され、もっとも売れる路線でもあると揶揄できる。またもともと普段の作風が穏健でいわゆるシリアス作品を書いていない作曲家も多くいる。そういった意味で普段の作風のままに平易な曲を書くことが成立してしまっている人もこのスタイルに含むことに留意されたい。ここではまだ教育と芸術が未文化の時代のものも一つ紹介しておきたい。

子供の為のピアノ曲集/安倍盛

子供の為のピアノ曲集(安倍盛編著)

 これは昭和11年全音から出版された安倍盛編著の「子供の為のピアノ曲集」の表紙である。作者の安倍盛は1905年に宮城県に生まれた作曲家で、永田晴に師事し松竹歌劇部の嘱託でピアノ塾等をしていた。また1940年皇紀2600年奉祝曲においては吹奏楽曲と管弦楽曲両方の部門で入選をしたという経歴からも優秀な作曲家であったことがわかる。映画音楽、オペラなども残しているが、教育用ピアノ曲にピアノ塾をしていたことから早くから取り組んだことでも知られている。
 といってもこの時代、教育作品と普段の作風はまだ乖離が起こるような段階ではなく、難易度や長さの差しかなかった。ここではいちおうこども向けではないピアノ曲として安倍盛が書いた「輝光」という曲を紹介しようと思う。

 

輝光/安倍盛

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 ドイツ・ロマン派的色合いに包まれた美しい作品だが、作風の差を語る段階にはないことがよくお分かりいただけるのではないだろうか。なお安倍盛の肖像については、筆者も色々探したがいまだ見つかっておらず、ご存じの方がいらしたらご教授いただけたら幸いである。なお安倍盛は1955年に49歳で亡くなっている。

 では本稿の主たる部分、普段と全く違う作風で書く作家を紹介してみようと思う。

 


篠原眞(1931-2014)

篠原眞

Facebookより引用

 

 先日飛び込んできた訃報に驚かれた方も多いと思うが、篠原眞は典型的に普段の作風とこどものための作品の作風が異なるタイプの作曲家である。
 1931年に大阪に生まれ、青山学院に進むも中退、東京藝術大学に入り、作曲は池内友次郎に師事している。しかしその芸大も中退しフランスに渡り、トニー・オーバンについて学び、ついにはオリヴィエ・メシアンにも師事することとになる。そのメシアンのすすめでドイツに渡ってベルント・アロイス・ツィンマーマンに、さらに電子音楽をケーニヒに称賛され、シュトックハウゼンのアシスタントを務めるに至った。
 その後オランダに居を移して活躍していたが、日本では全く知られず、原田力男の力で作品展を開いたことで、やっと認知されるという状態であった。ヨーロッパの最新前衛を身につけたその作風はたしかにこども向けには難解なものであるのは間違いなく、このあたりがその2つのジャンルにおける乖離を生んだと言って間違いない。
早速普段の作風の音楽を聴いてみよう。

 

Brevities for piano/篠原眞

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 どうだろう。最晩年作のピアノ曲集で24の断片的な音楽からなっている。非常にパラメータ演算的音楽であり、その音楽自体の美しさよりも、制作される過程にこそ音楽の本義をおいたと言える作風であると言えるだろう。
さてこどものための作品ではどんな姿を見せているだろうか。

 

連弾のための組曲「五つの風景」より第1曲/篠原眞

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 美しさと、日本、フランス、ドイツの全てで学んだ作者の語彙の豊富さが感じられるなんとも優雅な曲ではないだろうか。このように平易な曲では日本情緒を漂わせた中に、実に美しい和音選択をするタイプの作風を採用していることがわかる。まったく普段のシリアスさとは対極といってもよいが、どちらの楽曲も音楽の楽しみを違った面から眺めているともいえ、平易な曲だからといって安易に書かれては居ないことがわかる。基礎力の充実というのはこういったことを可能にするのかと唸らされるのである。


このタイプの曲は多いのでもう一例紹介してみたい。


森山智宏(1977-)

森山智宏

桐朋学園大学より引用


 少し若い世代における例として、こどものためのピアノ曲NHKコンクールなどでも人気を獲得している森山智宏の例を紹介したい。
 森山智宏は1977年生まれで桐朋学園大学に入学、北爪道夫、飯沼信義、鈴木輝昭、間宮芳生に師事している。PTNAとも近い間柄であったことも影響してか、こどものためのピアノ曲は人気で出版も多い。現在は母校にて後進の指導にもあたっており、実はわたしは在学時代の森山さんをよく見かけていたし、その作品の試演にも立ち会ったことがある。当時は打楽器への関心が深く、マルチパーカッション3人のためのアンサンブルは鍵盤楽器を息で吹くなどの奏法が印象的ですごい才能だと思っていた。
 そして時は流れすっかりこどものための作品でその名を知られた森山さんの作品を聴いて、人気の理由と出版社の危険な考えが透けて見えて、警鐘を鳴らさなければと思ったのが、なにをいおうこの研究のスタートに至った動機なのだ。これは作曲家自身も「食べるため」とは言っても注意深く委嘱の条件を考えるべきであることを強く示唆している。なにはともあれ、まず森山さんの作風を知らねばならないのだが、あまりシリアス方面の録音が多くはない。そこで今回はジャンル違いだが、先述の問題も含めて音源の公開されている吹奏楽作品「Flash」を聴いてみよう。

 

吹奏楽のための「Flash」/森山智宏

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 非常に多言語な作曲家であることが一聴にしてわかる。また昔の想い出通り打楽器をかなり使いこなしている作曲家であることもはっきり伝わる。一方でPopの言語も多用されるという一面も垣間見られ、シリアスでも平易でもない独特の作風を打ち出しているように感じる。吹奏楽作品としてのかかれ方も面白く、この方面で変に出版社の言いなりになってこの世界観を壊してほしくないと切に願ってしまう。

さてこどものための作品を続けて聴いてみよう。大人気曲を選んだ。

 

雨の日のダンス/森山智宏

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 1分に満たない作品だが、素朴さと懐かしさが雨というタイトルの中に感傷的なムードを醸し出している。しかしこれは弾きやすく、小さな子でも聴き映えのする演奏が可能という意味以外に、何かしらの大きな示唆はあるのだろうか。良い曲ではあるが普段の作風とは全く違うし、教育的な面から見たときに一定の価値は理解できるものの、もう少し攻めても良かったようにも思う。もしかすると出版社から委嘱にあたっての条件が付けられたのかもしれない。委嘱に応えるのは作曲家の責務の一つであるのは間違いがない。しかしそれと作風との接点をよく考えることは作曲家としての義務だと私は考える。この曲には将来このジャンルがいまの吹奏楽界のように出版社の言いなりになることで、すっかり文化的価値を失うという像が見え隠れしてならない。

 

 

2.普段の作風を変形させるだけでどちらにも対応できる
 これはやってみると実に難しい。つまり芸術音楽とこどものための音楽を単純な音楽的難易度の差だけで同じ視点で描いているということなのだから、それに適した凄まじい作曲の力量が求められるということでもあるからだ。したがってこのタイプには一家をなした大作曲家の名前が多く見られる。そしてこのタイプの作曲家は大抵の場合、教える側、つまり教室の先生のレベルについても楽曲の中で強く指摘している例が多いのも特徴だろう。芸術を教えるということの重さを感じるにはこのタイプの作曲者の曲が最も良いと思うし、この在り方が唯一解なのかもしれないと思うほどである。
それでは少し例を見てみよう。

 

湯山昭(1932-)

湯山昭

JASRACより引用

 

 こどものためのピアノ曲のジャンルで本邦の最巨人の一人といえば、湯山昭の名前が上がるだろう。
 1932年に平塚に生まれ東京藝術大学に進んで池内友次郎に師事した。その後は早くから児童音楽分野に積極的に参加、また童謡や合唱作品もとても多い。しかし一方でピアノ・ソナタマリンバとアルト・サクソフォーンのためのディヴェルティメントでは一転、揺らめくフランス和声とエロティシズムをもつ作風を展開している。このため湯山についても普段の作風と芸術作品で作風を分けているという印象があったが、よく読み込んでみるとそんなことはなく一つ作風に混ぜるエリクチュールを変化させ多様性を持たせているだけで、本質的な部分は何一つ変わっていないということが分かる。あまり多く聴くことはないかもしれないが、まずは芸術作品の代表作といえるピアノ・ソナタを聴いてみよう。

 

ピアノ・ソナタ/湯山昭

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 フランス近代和声と転移音を多く含む実に豊かで感傷的な作風だ。日本的要素を大切にしていることも聴き取れるので、幽玄な雰囲気とでも言おうか。そして影響されやすいムードの根幹はやはりフランス和声によってなされるラヴェル的響きの世界であり、これはエロスに直結していると言える。なんと素晴らしいピアノソナタだろうか。本邦のソナタのなかでも極めて傑作といえるだろう。
では児童音楽の方も聴いてみよう。

 

ピアノ曲集「お菓子の世界」/湯山昭

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 御本人のチャンネルで全曲聴けるこどもに大人気の「お菓子の世界」だ。聴き比べると難易度の平易さと多彩な言語と折衷させてはいても、湯山の作風は何も変化していないことがメロディとハーモニーから分かると思う。このような芸当を当たり前のように出来ることは作曲家としては驚異的なことで、児童音楽にもちゃんと芸術性と解釈の幅をもたせることに成功している。こうすることで、子供が「感じる」ことを通じて、習い覚えるだけの音楽から開放され、本人の感性の「芽生え」を育みたいという作者の意図がありありと伝わってくる。これは先の芸術音楽でもそうだが、音楽は「感じ取るもの」という姿勢に一貫性がある。つまり楽しみながら芸術の本質に誘われるとも言えるもので、このジャンルにおける巨人として知られるのも当然のことであると言えよう。
世界観の設定もユーモアが効いていて、間奏曲「むしば」など、良い歳くった私ですらニヤッとしてしまう。まさに天才の仕事である。

 


三善晃(1933-2013)

三善晃

全音楽譜出版社より引用

 

 このジャンルにおける本邦の巨人のもう一人はこのブログでも頻出の作曲家、三善晃である。好き嫌いは別にしてこのことに異論のある人は居ないだろう。
 三善晃の経歴は今更紹介する必要もないが、1933年に東京に生まれ自由学園にて英才教育を受け、平井康三郎、池内友次郎に作曲を師事する。その後東京大学仏文科に入学し、在学中にフランスに留学し、パリ国立高等音楽院でアンリ・シャラン等に師事するも中退。帰国後東大を卒業すると、一気に音楽界で活躍していくことになる。あらゆるジャンルに作品を書き、特にピアノにおいてはミヨシメソードを確立し、これに基づくピアノ教育の根幹を築き上げた。更に合唱の分野ではそれまでの書き方を根本から変える驚異的な難易度の音楽と、自身の詩の読解力の高さを背景として名曲を生み出し続けた。また反戦平和の思想から、オーケストラ曲も多くの重要な作品を残しており、我が国を代表する作曲のレジェンドとなった。惜しまれつつ2013年にこの世を去るが、その功績は未だに色褪せるどころか、この人を超えるような作曲家はその後殆ど出ていないと言っても過言ではない。
 三善先生の作品は難曲も多く、とても難しいという印象を持つ人も多いが、よく研究してみると全くの無調ということはなく、常にフランス和声と日本的伝統を結びつける中に和声中心を設けていて、調性の枠の中でその拡張を行っていたことが分かる。
さっそくその代表的ピアノ作品「ピアノ・ソナタ」を聴いてみよう。

 

ピアノ・ソナタ/三善晃

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 アンリ・デュティユーに私淑していたことが有名だが、このピアノ曲はまるでデュティユーのピアノソナタと双子なのかというほどに強く影響を受けている。響きの指向は同じなのだが、作曲法には大きな違いがある。おそらく独自に研究してデュティユー自身の作曲法ではない方法論でその世界に迫る技術にたどり着いたのだろうと思う。
 このソナタは日本のソナタの大傑作として再演例も多くよく知られた作品であるが、曲の終わり方を聴けば調性音楽の拡張によるものと分かるだろう。三善晃という存在は実験時代の技術を採用はするものの、自らの音楽の根幹はフランス的和声の世界にあると拘っていた事は明らかだろうと思う。また戦争経験者としての死生観はとても重く、曲との距離のとり方を誤ると人間の匂いが強くなり、曲に跳ね返されてしまうこともしばしばである。それ故にその解釈と演奏には常に極めて高い知性を要求され、まさにそのハードルを超えることが芸術であると言ってくるようでもある。残念ながらとくにこどものための音楽ではその点の指導ができる先生が多くないため、最も重要な解釈論に踏み込めている例はあまり聴けないのが残念なところだ。ミヨシメソードはこういった指導者のレベルの底上げを狙ったものだったのかもしれないとすら思ってしまう。
さて児童音楽の方も聴いてみよう。

 

こどものピアノ小品集「海の日記帳」から「波のアラベスク」/三善晃

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 なんと美しいハーモニーと感傷的なメロディラインだろうか。和声はフランス近代和声の特徴であるズレ和音が多用され、メロディも多くの転位音を含んでいる。このことから実際にこの曲を解釈するときには高度な和声法の知識が必要だし、また標題音楽として海のどのような状況をアラベスクとしたのかという問いかけに答えを出す必要がある。街のピアノ教室の先生によく見られるのだが、ただ楽譜を弾くことばかり教え、解釈は「自分の思い込みの押し付け」に終止してしまうことの危険性を教えてくれる傑作である。
 アラベスクとはなにか?和声分析は出来ているか?その和声はどうして選ばれたのか?なぜ海を題材にしたのか?さあすべての問に確固たる答えを出して見て欲しい。それが出来なければ作品に命が与えられない恐れすらある。
 もうずっと大人気作品で、これを取り扱う人は多いが、それだけに三善晃という人物の眼差しの先になにがあったかを考えもしない人が多いのは嘆かわしい。技術はメソードで。その併用曲集では解釈をという明確な指針にすら気が付かないのではあまりにも悲しいではないか。そしてここでも湯山昭と同じく、自身の作風が一歩も揺らがず、言語のレベルを変えるだけでどちらの世界にも対応していることが分かる。巨匠というのは理由なく巨匠になることはないのだ。

もう一つこのスタイルでの金字塔を上げたい。

 

田中カレン(1961-)

田中カレン

Wikipediaより引用

 田中カレンは1961年に東京都に生まれ、なんと湯山昭に師事している。そのご青山学院大学に進んだが、これを中退し桐朋学園大学に入って三善晃に師事している。なるほど経歴を見たら上記両巨匠のハイブリッドではないか。その後パリに留学しIRCAMでスペクトル音楽の研究を行うようになり、トリスタン・ミュライユに師事、さらにイタリアに渡ってルチアーノ・ベリオにも師事した。すごい経歴であるが、ちゃんとハイブリッドの系譜を引き継いでおり、こどものためのピアノ作品にも力を入れている。芸術作品における彼女の作風は時代とともに大きな変遷を遂げているが、倍音操作への美しさは比類のないものであり、このことが教育、劇伴ジャンルでの成功の基礎ともなっているのではないかと思う。
早速芸術作品から聴いてみよう。

 

Crystalline II/田中カレン

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 冒頭に提示されるBbに対してスペクトル的な音型が乗せられると、きらめきの強い倍音が立ち上がる。様々な変容をしながらこの響きが変容していくさまは、いわゆる現代曲が嫌いな層も美しさを感じるに十分であろう。
 スペクトル音楽は誰がやっても似たようなものになりがちと言われた事もあったが、この作品はそういう中にあって全く違う表情を作り上げており、日本の現代ピアノ曲の傑作と言っていいだろう。
 しかし作風を少し変化させるだけで児童音楽にも対応できるとは思えない音楽に聴こえるという意見が出ても、それは最もであると言える。新しい現代的感覚というものが以下に多面的、多様性をもった言語なのか、現代曲というだけで忌避する人はこの例を聴いて気が付かねばならない。
早速こどものためのピアノ曲における新たな傑作を聴いてみよう。

 

こどものためのピアノ曲集「星のどうぶつたち」より/田中カレン

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 私は特に冒頭曲の「星のうたI」に殊の外感動させられた。この曲はソ・ドという二音だけの伴奏によって出来ているのにもかかわらず核も芳醇な響きになぜなるのだろうか。この曲集では他の楽章でもこの現象が多く見られる。これ実はスペクトルの技術を習得していたからの発想であり、倍音の美しさを中心に構成され、旋法と倍音の中に揺らぐ光を「星」と捉えているのだ。通常の調性音楽も多く含む曲集だが、田中カレンは劇伴でも素晴らしい仕事を多く書いていることから、作風変遷と児童曲のあいだに乖離はないと考えて差し支えないだろう。
 美しい響きは単一の言語で紡がれるものではないことをこの曲集は強く我々に教えてくれる。そしてそれはときに現代的な作曲法でも同じであるということすらだ。こんなに素晴らしい曲集をあまり多くの強制を伴ってこどもたちに教えるべきではない。もっとこどもたちの感性を信じ、それを育むようにすべきであり、それを可能にする素晴らしい曲集ではないだろうか。

 

 

3.普段の作風以外書く気がない
 このスタイルは徹頭徹尾表現者であり続けるという強いこだわりと思想を持っている作曲家に見られるものである。それが故に作品における芸術性は非常に高いのだが、難易度設定などおかまいなしという物もあって、内容も難解で現場を困らせることも多いだろう。しかし先程の光でも再三再四申し上げているとおり、子供の能力や子供の世界を大人が限定してはいけないのだ。枠を与えるという行為が必要なこともあるが、こと感性についてははじめから先生を凌駕している子供も多くいるし、それを陳腐な単一言語の世界に叩き込むことなど許されてはいけない。技術指導と感性、解釈の指導は待った似て非なるものであり、それを同じ平面でしか語れないようでは、本来は指導の資格などないのだ。とはいえ、ちょっと驚くほどに厳しいスタイルを打ち出している作曲家もおり、子供がその作品に挑むリスクというものも生じさせている点は否めない。

 

八村義夫(1938-1985)

八村義夫

Facebookより引用

 八村義夫は極めて寡作で、自身の狂気と美学に強いこだわりを持った作曲家である。
 1938年に東京に生まれ、9歳よりヴァイオリンに触れて育つ。桐朋学園大学音楽教室に入って柴田南雄、入野義朗らから英才教育を施され、中学になると松本民之助にも師事するようになる。そして東京藝術大学に進み島岡譲に師事、在学中から傑作を発表するもあとで本人が破棄するなどして、自作品に対する強いこだわりを見せ始める。
 本人曰く、歌いたいメロディも、響かせたいハーモニーもないが、それでも作曲をしようと思うという言葉からも、彼の感性が非常に危ういものであったことが分かる。そのため酒にのめり込んで体を壊してしまい、ますます作品制作の速度は落ちていってしまう。結果的に1985年に46歳という若さでこの世を去ってしまった。
 イタリアのセンセーショナルな作曲家シルヴァーノ。ブソッティや殺人をきっかけとして大きく心を病んだと言われるカルロ・ジェズアルドの音楽からの影響を隠さず、自身の作品への直截な引用もじさなかったことからも、彼のの危うさがはっきりと見て取れる。それだけにおそらく少年時代から他のことは違う感性を持っていたことは明白であり、後のこどものための大難曲の作曲につながったと考えるのは自然なことではないだろうか。まずは自身の美学を追求しきり、完成作とした大傑作「錯乱の論理」を聴いてみよう。

 

錯乱の論理/八村義夫

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 ピアノ協奏曲のスタイルで書かれた作品で、8分ほどの短さだが、恐ろしく凝縮した内容を持っており、論理と名がついて入るもののむしろ本人の感性の追求に力点をおいた作品である。
 一般的には「出た!現代曲!」というところだろうが、注意深く聴いていくと本人の美学の追求を個人言語で行い、これだけ緻密でありながら狂人的な世界を構築したのは驚くべきことである。しかも所々にメロディ断片のようなものがあり、これらは揃って衝動性、表現性のつよい全体像のなかで、鬱々とした暗い歌になっている。このような内面の衝動性と美学をさらけ出すのは実は並大抵のことではない。例えて言うなら、あなたには誰にも言えない性癖はないか?自分だけしか知らない恥ずかしい曲はないか?そういったものを万座で叫びあげるようなものなのだ。恐ろしい音の力を持っているが、そこで作風を変えないで児童音楽を書くということがどういうことか察したあなたは素晴らしい。続けて本邦における児童向け作品の最難曲を紹介しよう。

 

彼岸花の幻想/八村義夫

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 えっ!という声が聞こえるのは仕方ない。これを弾きこなせる子供がいるのか私にはいささか疑問である。ちょっとどうなっているか楽譜の一部をお目にかけよう。

彼岸花の幻想よ一部(春秋社刊)

 うーむおよそこども向けなどということは頭の片隅にも置かれていなそうである。そして自作についてあまり多くを語らない作者であったが、この曲については「少年のときに感じた不安のようなもの」を表現したと言っている。少年のときに感じる不安など、明日のテストのことから、虫歯が痛いとか、好きな子ができたけど恥ずかしいとかそんなものであろう。しかし八村のそれは全く違い、明らかにタイトルからして「死」を意識していることが分かる。幼くして英才教育の中で育ちながら、常に「死」の恐怖に苛まされるという心の不安定さは、彼がその後酒に救いを求めたことと関係がないわけがない。
 しかし考えてみて欲しい、感性の鋭い子というのは一定の割合で確かに存在するし、今の若者を巡る状況はどんどん悪くなっている。大人に搾取され傷ついた子供は、もしかしたら八村のような精神状態に置かれるかもしれない。そんなときこの曲は強くその心に刺さるだろう。そしてもしかしたら救済にすらなるかもしれない。「こどもには無理だ」「これは意味がわからない」等と言わずに、人の心を預かる仕事をしているものは、子どもの感傷性についてこの曲を通じて考えてみてはどうだろうか。
 ちなみに八村は極めて平易な言語で書かれた「こどものための音楽」も書いている。しかしそちらの曲には曲の説明すらつけず、自らの作品表にも載せていないことから、曲としてみなしていなかったと言っても過言ではないだろう。
 作曲家の複雑な眼差しが、自分のような子どものために向けられたとき、このような美学が貫かれた曲が誕生するのだろうと思う。

 さすがにこんなストロングスタイルは他に居ないだろうと思ったあなた、まだ2人紹介しますよ。


田中聰(1956-)

田中聰

音楽之友社刊行物より引用

 

 ここまでの作曲家の中では少し馴染みが薄いかもしれないが、田中聰もまたこどものための作品に於いても独自の作風を貫いている。
 1956年に北海道の音楽教師の家に生まれ、ギターなどに触れ合ううちに作曲に興味を持ち、大塚夏生に師事、東京に出て助川敏弥、永冨正之に師事し、東京音楽大学に進学。進学後は浦田健次郎、湯浅譲二池辺晋一郎に師事した。作風は湯浅譲二の影響を最も感じるもので、数学的な処理、音列演算などを基礎としたものながら、音楽性は静謐なもので、派手な音響を好まないように感じる。そして代表作である管弦楽曲の「沈黙の時」でみられる手法をピアノ曲でも貫いており、これが児童作品にもそのまま使われている。
まずは芸術音楽として書かれたピアノ曲を聴いてみよう。

 

The Afterworld/田中聰

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 非常に静謐で、音階要素をオクターブクラスに散りばめたような上下動の大きい楽曲である。一聴ではあまりその構造に耳が行きにくいが、細かい音かの違いなど極めて構造的にもしっかりとした数学性を感じるものであり、その理路整然とした姿勢が楽曲の崩壊を起こさない理由となっているように思う。他の曲も一貫した姿勢が見られ、沈黙の作曲家と呼ぶにふさわしい独特の世界観を持っている。たしかに激しく動き回る作風ではないからこどもにも弾ける作風かもしれないが、難解な内容に聴こえる作品をそのままこどもの世界に持ち込むのは相当に主張のある行為だと思う。
つづいてこどものための作品を聴いてみよう。

 

ユークリッドの散歩道/田中聰

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 無限音階による単純な処理との説明がなされているが、先程の曲と何ら変わらない作者の作風そのものの曲である。ユークリッドという言葉をタイトルに入れている点においても数学への造詣を感じるわけだが、この散発的で静謐な空間美をこどもが演奏するとなると大変そうだ。こどもはやはり禁欲的な作品に挑むほうが難しく感じるだろうし、これも先程の八村の例のように、沢山いる普通の子よりも、ちょっと変わった感性をもった子に刺さるかもしれない。数理的という意味で、その才能のある子に研究を進めてみる題材としても面白いかもしれないが、やはりこれにも音楽教育上のリスクは伴いそうである。

さて若い作曲家による例をもう一つ紹介しようと思う。

 

山根明季子(1982-)

山根明季子

※作曲者公式ページより引用

 

 山根明季子は全く独自で、非常に個人的な言語を持ってポストモダンの作曲界に現れた天才である。
 1982年大阪生まれ、京都芸術大学に学び、ドイツに渡り、ブレーメン芸術大学にてヨンギー・パクパーンに師事している。国内においては澤田博、松本日之春、前田守一、中村典子、川島素晴に師事、一時川島とは婚姻関係にあった。
 これまで芥川賞を含む多くの受賞歴があるが、連作となった「水玉コレクションNo.1」で日本音楽コンクール1位および増沢賞を受賞したときには、一大センセーションと言っていい衝撃を巻き起こした。
 作風は極端な四分音符等の単純な連続、突然の全休止が指摘されることが多く、本人はこれらは音による「空間デザイン」をしているのだと語っている。語彙は個人的で初期の川島の影響を除くと加速度的に現代の女子的感覚を取り入れ、サイケでkawaiiをいう感覚を芸術の領域で展開し、全くオリジナルな音楽を作り出した。その後も同門の梅本佑利らと活動をともにするなどして、ゲームセンターの環境音を構成した作品なども発表さらに独自性に磨きをかけている。
 そんな山根もわずかながらこどものための作品を書いているのだが、まずは芸術音楽の方から聴いてみよう。

 

イルミネイテッド・ベイビー/山根明季子

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 ショット社から出版されたこの作品は、塊となって響く無作為な和音的なもと、変移しながら続く音階で構成されている。そこには単一リズムの連続、突然の休止という彼女を形作る要素がしっかり現れて来る。ごく普通の三和音も沢山出現するが、そこには機能和声的意味は求められておらず、本人の感性のままに配置されている。更にいびつになりながら加速する音階による要素はタイトルから察するに、自身が母になったことによって、こどもを見る眼差しとそこから得られたインスピレーションによるものと思われる。子どもの動き回る軌跡、物にぶつかる様、衝動性などが音から聴こえてくる気がする。実に「可愛い」曲だと感じる。
なるほどこれならこどもの作品を同一の作風で書けるのは想像しやすい。

 

ロボットライド/山根明季子

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 こちらはこどものために書かれた短いピアノ曲「ロボットライド」である。全く変わらない作風が逆に大人の作った子供の世界ではなく、そのままこどもの世界を映し出しているようにすら感じる。これは本人の作風の原点はすでに少女時代には確立していたのだろうことを想像させられる。
 ここで紹介した音源はあまりよくない打ち込み音源であるので、近くRMCでもう少しまともな打ち込み音源として紹介しようと思う。非常にユニークな音選びでこれを弾くこどもは自分の普段の世界との共感を強く感じることが出来ると思う。素晴らしい作品だ。

 


 と、ここまで3タイプの作曲家の姿勢によって曲を眺めてきたが、いかがだろうか。皆様それぞれに「こども」という存在に対して思いがあるのと同じくして、音楽にも同じだけタイプが存在するのだろう。それを大まかに区分してみてみると、このジャンルの多様性がまだ原初の光を失っていないことが分かるのである。それだけに吹奏楽界の様になってしまう危惧も強く、このジャンルにおける迎合を作曲家に押し付け始めていると感じる風潮には強く抗議しておきたい。
 最後に、このジャンルには結構流行り廃りがあって、今結構人気と言われている作曲家は女性が多い。例えば、春畑セロリ、三浦真理、轟千尋などといった名前が挙がってくるのだが、その中の代表ということで春畑セロリさんの作品を紹介したい。


春畑セロリ(1955-)

春畑セロリ

全音楽譜出版社より引用

 

 春畑セロリはもちろんペンネームで、ピアノ奏者として活動するときは本名を用いているようだ。しかし作曲家として作品を書く際にそのことを隠しているわけではないが、積極的に言っていないという意思を考え、ここでは本名については伏せておこうと思う。
 1955年に鎌倉に生まれ、横浜に育ったという浜っ子である。東京藝術大学に進んで学んでいる。あまり多くのプロフィールを公開しておらず、それに倣う形でここも簡単な内容にとどめておこうと思う。普段の作風については、シリアス作品を発表していないのでわからないが、おそらくそういった音楽も書けるのだろうが、あえてこどものためのピアノ曲やそれに準ずる音楽に特化しているのだろう。そして大人が決めた子供の世界ではなく、本当に子供の側に立った姿勢でこのジャンルに音楽を書きまくっている。
 その取組の一つが、ワークショップを通じて、こどもたちに虫などの鳴き声を模倣させたフレーズを作らせ、これをもとに曲集を書くなどというものがあり、これまでのそれとは一線を画している。母の目線のようでもあるし、おもしろい人のようでもあり、またこどもそのものといっていいような側面も垣間見える。ベテランではあるがニュータイプで、音楽はPopsの言語を自由に取り入れつつ、楽しみに重点を置いた作風をとっている。

 

ポポリラ・ポポトリンカの約束(ダイジェスト)/春畑セロリ

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 言語豊富、そしてピアノに楽しもうという姿勢が本当に全面に出ているような気がする。確かにやや軽いかもしれない。しかしこれが現代だと言われればそうかも知れない。ちゃんとハーモニーも凝ってる曲もあって解釈の余地がまったくないような曲ではないし、むしろめちゃくちゃに弾いても作者は喜んでくれそうだ。なるほどこういう目線があったか。これは本当にこどもを知らないと生み出せなかったかもしれない。もう少し攻めた曲も欲しいという部分はあるかもしれないが、今受け入れられている曲を真正面から考えられるだけこのジャンルはまだ腐っていないと分かるのではないだろうか。

 


 こどものためのピアノ作品と一言で言っても色々なタイプが有ることがお分かりいただけただろうか。このブログの内容を基本に同じ話題で来る2024年4月19日に、名作会初代会長で私の弟子でもあるトイドラ(冨田悠暉)くんのyoutubeチャンネル「音楽ガチ分析チャンネル」に出演して色々話す予定である。

 

音楽ガチ分析チャンネル

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 そしてそこでは冨田くんの書いた全く新しい姿勢のピアノ小曲集「海の窓辺にて」が合同会社Bridge Score社さんから出版されることが発表される予定である。

 

合同会社Bridge Score

bridge-score.com

 

 せっかくなのでここで彼の書いたピアノ小品集と彼の略歴についても触れておこうと思う。

 

冨田悠暉(1998-)

冨田悠暉

※作曲者公式ページより引用

 

 1998年愛知県生まれ。その後吹奏楽部を経験すると同時に独学で作曲の研究を始め自作品を発表し始めるが、独学の行き詰まりから筆者(榊山大亮)に師事するようになる。専門的な技術の習得をするとジャンルを超えた活動を展開、また独自にロクリア旋法を研究し掘り下げ開発したTLT理論を武器に、様々なジャンルの作品を発表し、名古屋作曲の会初代会長として発表の場作りも行い、近年はYoutuberとしても成功を収めている。彼の芸術的眼差しは音楽にとどまることなく、小節や詩歌にも及び、その才能の広さは在野出身のレッテルはねのけるに十分なものである。

 

ピアノ小品集「夜の浜辺にて」より第28番「夜の窓辺で 見たものは」/冨田悠暉

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 これが今回出版される運びとなった冨田くんのピアノ小品集の一曲である。
 独自研究で生み出されたTLT理論を全編にわたり用いた楽曲は、影響されやすく感傷的な世界観をたたえた独自の音世界である。旋法性といっても従来の解釈とは全く違うアプローとがなされており、これにより水彩画の色彩のような淡さを特徴とする彼の作風に実に鋭い感性を思わせるサブタイトルがぴったりである。勢い難易度は従来の機能和声をベースとしないことから、慣れに頼れず不釣り合いに上がってしまうといううらみがあるものの、その世界観は多くの世代の感性を刺激するに違いない。
 こういった側面からこのこどものためのピアノ曲というジャンルを書いた彼も、分類すると2番の「普段の作風を変形させるだけでどちらにも対応できる」タイプと言っていいだろう。この若さでその境地に達していることからも、彼の才能の高さが分かると言えるだろう。

 

 そんなわけで彼のチャンネルにお邪魔することになったが、私は今回は音楽研究家、そしてRMCチャンネルの管理人としての出演である。ちなみにRMCチャンネルはRere Music Collectionsの略で、日の目を見ない名曲や演奏歴の少ない作品を打ち込みを用いて音源化し、少しでも世の中に紹介しようと立ち上げた弱小チャンネルである。
 本当に価値の高い邦人作品を中心に紹介しているが、まだまだ全く認知されてはいないので、この際チャンネル登録をお願いしたいと思うことしきりである。
ちなみに更新頻度は基本隔週である。

 

RMCチャンネル

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 当日の生放送内ではYoutubeの制約、著作権法上の問題でブログのように簡単に楽曲を紹介できないが、当日弾いてみるなどして色々また違った例も紹介したいと思っているので、ぜひぜひご覧いただきたく思います。私自身もこのジャンルの研究成果を活かして、一作こどものためのピアノ曲集を書いてみたい。生放送では皆様の意見も読ませていただきながら、楽しくトークしていきたいと思っているので、下のリンクから通知を入れてお待ちいただければ幸いである。

 

【たまには音楽談義】子ども向けピアノ作品に見るアート性(音楽ガチ分析チャンネル)

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排泄を想いながら歌が歌えるか

【※注意】今回紹介する作品のMV動画にはグロテスクな描写がいくつも見られます。苦手な方は動画は見ないで下さい(歌のみのバージョンもセットでリンクを貼っておきます)。

 

 

 

こんにちは。なんすいです。

今回は、ボカロに代わって私の思春期を支えてくれた「内田温」の作品たちを紹介します。

彼女は、私が最も影響を受けたアーティストとしても指折りの存在と言って差し支えありません。

今まで全然言ってなかったけどね。

 

 

 

内田温 プロフィール

内田温は、横浜市在住のクリエイター。既婚女性。

音楽、動画、イラスト、漫画など活動範囲は多岐にのぼり、自身のサイトにおいて「ぶりっこテクノ」というシリーズで音楽作品を発表している。

「ぶりっこテクノ」では、作曲にMV制作、歌唱も全部1人で手がけている。

2年前くらいに「コックカワサキマイクロビキニ部」という界隈で頭角を現し、「コックカワサキマイクロビキニかるた」を販売して公式に怒られていた。

 

彼女の作品との出会いは、私が中一の頃にまで遡ります。

当時はボカロ全盛期、カゲプロのオタクで溢れていました。そんな環境の中、幼きなんすいは一体どんな感じで過ごしていたのか。


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それはもう完全に、中二病真っ盛りでした。

 

輪切りのハニー

ただし当時の私の中二病は、いわゆるそれよりももう少しひねくれたもので、

「右手が疼く…」

みたいなかっこいい台詞を吐く一般的な中二病の人達のことはむしろバカにしていました。

あからさまに痛い格好はしないけど、内に秘める心は燃えている。サイコパス診断で事前にサイコパスの想定解を暗記しておいたりはする。そういうタイプの中二病でした。

あと、流行のネットサブカルとかも避けていたので、ボカロは全然詳しくありませんでした。

 

さて、そんな中学時代の私には、重要な日々のタスクがありました。

それは「検索してはいけない言葉」リストに載っている言葉を五十音順に全て検索していくこと。

ネットのアングラな世界を自ずから見に行っちゃうなんてまぁサイコパスね、と、自分の狂気性に手軽に溺れて気持ちよくなるには最適の趣味だったのでした。

そしてここで、私は内田温の「輪切りのハニー」という作品に出会います。


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この作品に衝撃を受け、私はたちまち内田温のファンになってしまったのです。

 

youtu.be

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恋人の何が欲しいのか、何をもって「きみ」であるのか…というテーマ。

その答えを探すため、MVでは少年が恋人をバラバラに分解しています。

 

この作品をパッと視聴してみた感じ、どうでしょうか。

 

グロい!!!!!!

 

確かに

「検索してはいけない言葉」リストでは危険度2とされていますが、ポップアニメとはいえ全然ちゃんとグロいと思います。

そしてそれに加えて、

 

なんかキモい!!!!!!

 

という感想を持ってくれた人は、グレートです。

そう、作品の全部がキモいのです。

テーマ、歌詞、曲、MVの表現、その全てに直裁さとポップさがあり、それが非常に鼻に付く。端的に不愉快と感じる人も少なくないでしょう。

しかし、このバランス感こそ内田温の魅力だと思うのです…

 

 

内田温の正直さにドン引き

内田温の作品をいくつか見ていきましょう。

まずは「ぼくらは肉でできている」という曲。

youtu.be

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私たちは愛や夢で出来たロマンチックなものではなくて、肉で出来てるし交尾によって増える生物なんだよ、という曲。

内田温の作品には少なからず、私たちが動物であり物質であることの汚さ・残酷さを中心に据えたテーマのものがあります。「ぼくらは肉でできている」もその代表と言えるでしょう。

ロマンチックラブから当たり前の流れで食とか死とかに連想されていくために、グロテスクな描写はむしろ違和感無く受け入れられます。

 

 

次はこちらの、「中村さん」という曲です。

youtu.be

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この人もごはんを食べたり排泄したりしてるんだな、と見えない部分の現実に思いを馳せるタイプの「好き」を持つ人の曲。

MVはトイレにいる中村さんの肛門を突き抜けるシーンで終わります。最高だ。

 

内田温の作品はどれもテーマ自体は単純で、一聴するだけでだいたい何が言いたいのか分かります。評価したいのはむしろ主張の表現力の高さで、目をふさぎたくなるような直截な表現を拒まない強さも魅力です。

例えばボカロ界隈の中で「中村さん」的な曲が生まれていたとしたら、もっと婉曲した陶酔的な表現でカッコつけていただろうな、と思います。

 

 

「先生、質問があります」

youtu.be

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この曲は「中村さん」と似て正反対の内容になっています。

つまり、好きな人の肉体・実在性について想像することは同じですが、「中村さん」ではそれこそを愛していたのに対し、本曲では「実在しないで」と拒んでいます。

この曲のMVは内田温の作品の中でも屈指の表現力だと思います。

 

 

ところで、内田温の曲の作風は前期→後期で若干変化しています。

先程紹介した「中村さん」「先生、質問があります」はともに後期作品で、結構起伏激しい歌謡めいてきています。

一方、最初の頃はかなりテクノポップっぽい作風で、淡々と気持ち悪さがある感じの曲が多いです。「輪切りのハニー」もそうだし、次に紹介する「さなぎホイップス」も、前期作品です。*1

 

youtu.be

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好きな人(蛹状態)をパンチしまくって羽化阻止する曲です。

蛹になっていつか蝶になる…自分だけが見ていた人が広い世界で活躍しそうになった時のモヤモヤ感とか、欠点を抱えた人がそれを克服するのを拒む気持ちとか、異質なMVに対してそのテーマには共感出来るものがあります。

ちょっと特殊で共感出来る感覚を表現するのも、内田温の得意とするところです。やはり容赦無い描写方法と気持ち悪さはどの作品でも光っています。

 

 

まとめ

以上、作風を象徴する作品を5曲選んで紹介しましたが、どの作品にも共通したポップで退廃的で気持ち悪い、そして正直なまなざしがありました。

そんな内田温作品を聴いて育った結果……私は自覚的に人間の実在性から目を逸らし続ける大人になってしまいました。

あらゆる身近な感覚や営みに対して気持ち悪さや狂気をいちいち自覚させられてきたわけなので、まあそうなりますよね。何をするにも常に罪の心が付き纏う感じになってます。悲しい。

内田温自身も、若い頃はまさに曲にしてきたようなテーマに思い悩んでいたようなので、これからもコツコツ生きていくうちに全てを受け入れて(観念して)いくものなのかもしれません。

一応作品を書く時だけは、私も手近な気持ち悪さに目配せを凝らすようにしています。リスペクトを込めて。

 

最後に、名古屋との縁ということで、彼女の作品「金の鯱」をご紹介して〆にします。

この曲は彼女がまだ名古屋に行ったことない時に書いたそうです。まあ名古屋だし。

www.britec.seesaa.net

 

この音源に違う歌詞を付けた「ごっくんおつきさま」もあります。なにこれ?

britec.seesaa.net

*1:本当は前期後期で分けるなら結婚前(石川温)と結婚後で分けるべきなんでしょうが、結婚前の作品は内容の面でまた全然変わってくるので、恣意的な分け方をしてしまいました

夢をめがけて音楽系YouTuberの日々

どうも、作曲家のトイドラです。

 

……と脳死で文字を打ち込んでしまいました。名作会の冨田です。

僕はかれこれ1年以上YouTube音楽ガチ分析チャンネルを運営しているわけですが、動画のたびに

「どうも、作曲家のトイドラです。」

からスタートするわけです。

そんな動画も100本を超え、もはや口に染みついてしまった文句がブログまで侵食しようとしている……。

最近YouTubeメンバーシップも始めた

 

さて、僕はちょうど1年前にこんな記事を書きました。

要約すると、

「作曲家として食っていくために会長を降りる」

という内容です。

それで、この1年僕が何をしたか。

とりあえず結果だけ言うと、YouTubeがいい感じに成長しました

正直、想像以上にうまくいっています。

1年ちょっとで登録者が3万人を超え、動画は100本程度上がっています。

もちろん、「作曲家として食っていく」という最終目標のためにも、単なるYouTuberに甘んじて満足する気はありませんが、駆け出しとしては順調もいいところだと思います。

ひとえに皆さまの応援が胸にしみわたる今日この頃です。

 

そして、この好機を逃さないために今の仕事を辞める決意をしました。

いやそもそも何で就職してんの???って感じだとは思いますが、ちょっと待ってください。

僕も気づけば色めき華やぐ25歳、ついに来た Around Thirteen ということで、人並みに人生について考えるお年頃。

それでいったん就職し*1、みんなもすなる社会人というものを俺もしてみむとてしたわけです。

した結果、まず「サラリーマンというのはすごいなあ」という幼稚園児みたいな気付きを得ました。

逆に言えば今までの僕は幼稚園児以下だったということなので、それだけでもいったん就職したのは人生経験として(結果的に)良かったと思います。

そしてさらに、「サラリーマンというのは楽だなあ」というこれまたアホみたいな気付きも得ました。

今まで音楽をお金にしようと頑張ってきた経験と比べると、何も考えなくても自動的にお金がもらえるシステムはあまりに楽チンでびっくりしました。

 

ただ、あまりに何も考えなくても物事が進むし、なにより何も考える気になれません

本当に微塵も興味がないので。会社に。

会社のことを「半自動金くれマシーン」と思えば、正直サラリーマンの暮らしも全く悪くないものだと思います。

ただ、一日8時間+αのこの膨大な時間を音楽に使えたら、という野望が死にかけた僕の脳みそを駆け巡り、ついに脱サラを決意してしまいました。

もう動画で決意表明もしました

 

そういうわけで、今はYouTubeに対する思考が日々の半分以上を占めています。

何しろ、YouTuberの中でも音楽系というのはなかなか厳しい

おバカ動画をバカスカ上げていれば何回も再生してもらえるネタ系YouTuberと違い*2、こちらは内容のある長大な動画をコツコツ制作しなければいけません。

時給換算したらバイトの方がマシという状況は、まだしばらく続きそうです。

 

とはいえ、「音楽ガチ分析チャンネル」は今後僕の活動の中心に常にありつづけることになるでしょう。

図らずも、音楽系YouTuberとして僕は今人生でいちばん影響力を持てるようになりつつあります

YouTubeでの活動は、全て今後の僕の布石になります。

まさしく最近は、僕が独自に行った研究の成果自分で作った曲についての動画を上げて、それなりの人に見てもらえているわけですから。

 

それに、仕事を辞めた暁には、金銭的な面でいったんYouTubeが軸になることは確実です。

そういう意味でも、先日から始めたメンバーシップは本当に成功してほしい……。

そして、そんな「音楽ガチ分析チャンネル」を主軸に、まだまだチャンネルを育てつつ、次第にほかの活動にも手を伸ばしていく、というのが来年度の目標です。

ひとまずは、チャンネル登録者10万人を達成したいと強く思っています。

だって、YouTubeの銀の盾、欲しいじゃないですか。

盾をゲットして、叩いた時の音をスペクトル解析するのが今の目標です。

 

そんなわけで、頼まれてもいないのに近況報告をつらつら書いてしまいました。

ところで、「音楽ガチ分析チャンネル」にはしばしば名作会のメンバーも出演しています

副会長の榊原や会長のなんすいが話したり、

特別顧問の榊山先生が研究成果を披露してくれたり。

というわけで、名作会の会員にもチャンネルは支えていただいています。

本当にありがたいことです。

その代わりに、僕の方も面白い活動機会を名作会に提供できればと思っています。

 

僕が会長の座をなんすいに引き継いでから、もうじきちょうど1年が経ちます。

今後も僕たちの名作会、そして僕の「音楽ガチ分析チャンネル」をどうぞごひいきに。

皆さんの応援が一番の栄養です。

*1:ちなみに就活はアホほど適当にしたので、アホほど適当な仕事に一瞬で就くことができました。詳しい経緯は近いうちに「音楽ガチ分析チャンネル」の生放送で語ると思います。とにかくチャンネル登録して! ついでにメンバーにもなって!!! 頼むよ!!!

*2:こうは言いましたが、実際Youtuberをやってみて彼らもすごいということに気づきました。結局のところ、バカにできるヤツなんて地上には全然いないのかも知れません。

Brainfeederのイカれた面子を紹介する

皆さんは楽しみにしていますか?

BEATINK.COM / KNOWER JAPAN TOUR 2024

KNOWERのライブを。私は楽しみです。

 

ということで今日は復習がてらKNOWERのメンバー2人も所属している音楽レーベルBrainfeederに所属する(していた)ミュージシャンを片っ端から聞いていきます。

どうでもいいですが、私はいつも何気なく音楽を聴いたり聞いていなかったりするのですが、現代海外ミュージシャンで私が好きな人は大体Brainfeederに属している(いた)ことがわかり、もうじゃあBrainfeederでよくね、みたいな感じに、なりつつあります。よくないね。

 

Brainfeederとは

Brainfeeder | MoodboardFlying Lotusが主宰するLAのインディー・レコードレーベルがBrainfeederです。インディーとは言いつつも、LAの音楽シーンをけん引するくらいには絶大な影響力を持っています。というか、グラミー賞候補者がゴロゴロいるので影響力がないわけがないのでした。

というわけでBrainfeederに所属する(していた)いかれたメンツを紹介していきます。

 

Flying Lotus


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主催のアニオタのおじさん。現代ジャズとヒップホップ、エレクトロニカなどが混然一体に混ざり合った音楽が現在のLAを中心に席巻していますが、主催ということもありお手本のようなLAサウンドです。この人がBrainfeederに人を入れたり入れなかったりをしています。

アニオタだからなのかは知らないですが、日本のアングラ漫画家・駕籠真太郎にジャケ写を依頼したり、日本に実在した黒人武士を主題にしたトンデモSFアニメYASUKEのサントラを書いたりと、音楽以外のジャンルとのクロスオーバーも盛んに行っています。というか、映画監督もしています。


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ちなみにJohn Coltraneの親戚です。

 

Thundercat


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アニオタのおじさん2。来日公演の時はサン・ラみたいなアクセサリに身を包み、ニンテンドーのTシャツを着、エヴァンゲリオンのアスカがでかでかとプリントされた真っ赤な多弦ベース(ラメ加工)を手に登場*1して私の度肝を抜きました。

配信されている曲は2~3分と短いですが、元々ゴリゴリのメタラーかつジャズマンでもあるのでライブではすさまじいインプロが追加され、元の曲が何なのかわからなくなります。なおThunder Catはベーシストですが、ソロの時はオクターバーを乱用するのでベースが何なのかもわからなくなります。


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して肝心の曲ですが、非常にイカしたリバイバルR&Bという感じ。ただリバイバルするだけでなく、ヒップホップを経由したグルーヴ感を感じさせたり、ストリーミングで聴取されることを前提とした作曲など現代的な側面も強いですね。

 

Louis Cole


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この記事で十分語られているのでもう特に書くことはないですが、しいて言えばこのMVしかりエンターテインメントへの視座が強烈です。また、感覚的な和声進行が多く「感覚で作ってそ~」とは思っていましたが、長谷川白紙との対談で思った以上に本当に感覚で作曲していることが判明*2し、私の度肝を抜きました。

演奏面でいえば非常にメカニカルなフレーズが特徴です。さらに言えば叩き方がやや特殊で、普通8ビートを叩くときに両手がクロスしますが、Louis Coleはしません。あと足がやばく、並みのドラマーならスティックで演奏するようなハイハットのフレーズをすべて足で演奏します。彼の手数の多さはこれが理由だと思われますが、目の当たりにしてもなお信じがたいです。

音作りも特殊で、特にスネアドラムの録り方が異常ですね。昔はそうでもありませんでしたが、最近作ではスネアドラムとバスドラムの音色の違いがほぼないところまで来てしまいました。これからどこへむかうというのでしょうか。

 

Geneviave Artadi


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Louis Coleといつもつるんでる人、という印象が強いですが、そんなことがどうでもよくなるくらい曲が変化球です。正直な話、際物ぞろいのBrainfeederの中でもかなりオリジナリティがあると思います。というか常にふわっふわしていてどうノったらいいのかよくわからない(この曲(Visionary)はかなりノリが良いが)です。Louis Coleの来日公演では前座を務めていましたが、あまりの浮遊感に最初ノろうとしていた客もあきらめて最終的に棒立ちになっていました。

普通に貶めているような書き方になってしまいましたが、そこが魅力なのです。

 

Hiatus Kaiyote


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オーストラリアのバンド。オーストラリアは影が薄いようでいて、GotyeとかHiatus Kaiyoteとか、何かしら存在感のある人を輩出しますね。

こちらもR&Bを基調として様々なジャンルをミックスしていることはLAシーンと違いはないのですが、出自の違いからかその結果出力されるものが全然違うのが興味深いです。

スタジオアルバムも素晴らしい出来だと強く思いますが、Hiatus Kaiyoteはやはりライブが素晴らしいと思います。ということで、ここで一旦Tiny Desk Concertの模様をぜひ見てみましょう。


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絵面が意味不明なインパクトで我々に襲い掛かってくるのは仕方ないとして、ライブバンドとしての完成度の高さをぜひ感じてほしいと思います。

 

長谷川白紙


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日本人で唯一の所属ミュージシャンは長谷川白紙です。所属が発表されたときはさすがに驚きましたね。Flying Lotusが主催するTHEHITというライブに出たのがきっかけだったらしいですが、何があるかわからんもんです。

そもそも日本の音楽シーンをちゃんと注視しているFlying Lotusは本当に何者なんでしょうか。英語圏から長谷川白紙までたどり着こうと思うと相当な労力が必要だと思うのですが.......。


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(↑THE HITの映像)

長谷川白紙も徐々に音楽性が変わってきたというか、コアとなる部分は多分あんまり変わっていませんが、表層として現れるカオスの制御の仕方がだいぶ変わってきたなあという印象を受けます。

 

Dorian Concept


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オーストリアのミュージシャン。ジャンルでいうとエレクトロニカになってしまうのでしょうが、エレクトロニカという枠にカテゴライズしてしまうには惜しいくらい色んなジャンルの影が見え隠れしています。

音作りに関しては偏執狂の域で、古いアナログシンセサイザーなどで一回音を作ったうえで演奏したフレーズをセルフサンプリングしてさらにデジタル加工したものを断片化して再配置しているそうです。昔の小山田圭吾みたいだぜ。

ちなみに芸名のDorian Conceptは本当にドリア旋法に由来しているそうです。ドリア旋法はみんな大好きですからね。

 

Iglooghost


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ロンドンを拠点に活動するイギリス人ミュージシャンです。なんというか(私が意図的にそういう人間を選出しているというのもありますが)、Flying Lotusの趣味はだいぶわかりやすいですね。

最近だとそうでもないのですが、このころ(6年前くらい)はFuture bassっぽいIDMをやっていました。今はこんな感じ。


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とまあこんなもんです。

全然趣味じゃないのでここではほぼ紹介しませんでしたが、ラッパーとかゴリゴリのヒップホッパーもたくさん所属しています。Flying Lotusはヒップホッパーですからね!

*1:ポーズとかではなく本当に日本のアニメが大好き。家にはクソでかいアスカのタペストリーが飾ってある

*2:

ルイス・コール×長谷川白紙 フジロックで実現した夢のブレインフィーダー対談 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

一緒に聴いてよ、マイナー交響曲

オーケストラ

 花粉がつらい。なんで杉の乱交パーティーに巻き込まれなければならないのかという根本的な疑問が解けぬまま、毎年巻き込まれ続けている。なんだが、吹奏楽界のくだらない「批評するな騒動」に巻き込まれたのと同じ気分である。

 こういうときは、シンフォニーに身を委ねて、外出も控えるに限る。

 ということで、あれこれ書きましたが、また交響曲聴きたい症候群を発症したので、皆さんと分かち合いたいというだけの回です。5曲ほどご紹介しますので、一緒にあれこれ妄想していただけたら幸いです。あまりコメントが付くこともないのですが、ともに「批評」しあえたら良いので、思い切ってコメントしてくださったらなお嬉しいです。

 

1.Levko Kolodub/Symphony No.9"Sensilis Moderno"

 まず初めにご紹介するのは何かと最近話題のウクライナ出身の作曲家コロドゥーブの書いた第九番のシンフォニーです。書かれたのは2004年と新しく、非常に慎重にではあるもののモダニズムが入ってきます。モダン度合いはドイツ本流と比べれば1世紀ほど時代が異なっているかとは思いますが、深刻さと静謐さのコントラストが見事。途中から少しPopな要素、調性と民族性が現れるのもこの地域のモダニズムの受け取り方として納得です。タイトルは「敏感な現代」とでも言えましょうか。現代に対して感覚を尖らせているという意味と考えて良さそうかなと思います。

Levko Kolodub

 作者のレフ・ミコワヨビッチ・コロドゥーブは1930年ウクライナのキーフに生まれ、キーフ音楽院で学び、ウクライナ作曲家協会の理事長を務めるまでに出世します。
 日本では殆ど知られておらず、一部こどものためのピアノ曲集にその名を見ることがある程度ですが、実に4つのオペラ、2つのバレエ、交響曲は12曲残したという、立派なシンフォニスト。その作風は時代と共に変わりますが、シンフォニーをもっと体系的に聴くことができればもっと彼の変遷が理解できるのではないかと思います。

 さて説明が長くなりましたが曲を聞いてみましょう。サムネに使われているダリの絵画が強烈ですが、まあ気にせず音に集中してみてください。独特の折衷様式に立脚した独特との世界が聴けるはずです。

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2.Merab Gagnidze/Symphony No.65

 二曲目はジョージア出身のメラブ・ガニーゼの書いた第65番の交響曲です。交響曲をたくさん書いた作曲家というのはハイドンを除いて案外マイナーだったりするのですが、それにしてもすごい数です。
 ジョージアの作曲家の音楽は、旧スターリン体制下の影響が遅くまで残り、民謡性と社会主義リアリズム路線が残り続けることが多いのですが、ガニーゼの音楽はそこから脱却しています。65番の交響曲は終始、抽象的で静かな印象の曲ですが、ポツポツと散発的に置かれる和音が独特な効果を与えているように思います。不思議な雰囲気ですが、飽きることもなく聴けてしまうのは音に対する感性の強さと構成力にあるのかもしれません。かなりオーケストラも扱い慣れている印象で、静謐ながら極めて立体的な音楽構成が図られているように感じます。

Merab Gagnidze

 作者のメラブ・ガニーゼは1944年ジョージアトビリシに生まれ、トビリシ音楽院を卒業・作曲はダヴィッド・オレクサンドロビッチ・トラーゼに師事、その後モスクワに渡って活動します。
 モスクワでは児童劇場の責任者として働き、自身もそのジャンルに音楽を書いていたそうです。手元の資料には交響曲は54曲発表とありますが、存命の作曲家なのでその後も書き進みこの65番は割に近作なのだろうと思います。
 その他にもピアノ曲などがyoutubeで散見され、基本的には民族性の強い作風を貫いているようでした。さて聴いてみましょう。本人の公式チャンネルの音源です。

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3.王婕/Symphony No.1

 三曲目は中国生まれの作曲家王婕(Wang Jie)の交響曲第1番です。記念すべき第一番の交響曲は2017年に書かれた新しい作品ですが、内容は中国的な民謡性と現代的なPop性も感じるものとなっています。調性がはっきりと感じられるので微妙という方もいるでしょうが、譚盾の作ったラインにある作曲家と考えると、モダニズムもしっかり入り折衷的であるところなど、今の世代的な音楽と言えるかもしれません。
 中国的なポルタメントの多様と、アメリカで吸収したと考えられる金管楽器の大胆なら仕方がありそうでない雰囲気で、どちらの文化もしっかり吸収したということがわかります。また交響曲としては小ぶりで聴きやすく、疲れないのも良いところかなと思います。
 文革以降の中国の作曲家の動静は注目しなければならないものでもあり、若い世代の作曲姿勢を垣間見られるこの曲は重要な存在と言えると思います。なんとなく日本でやっても人気が出そうな気がしますね。コープランドアメリカっぽさをしっかり取り入れられているのが素晴らしいなと感じます。

王婕

 王婕は1980年に中国の上海生まれ。5歳でピアノの天才として知られる才能の持ち主で、2000年からマンハッタン音楽学校に渡り、リチャード・ダニエルプールなどに作曲を師事、学生時代に発表したオペラですぐに話題となりました。重鎮であるジョン・コリリアーノにも激賞されるなど、アメリカでの活躍は凄まじいものがあり、世界的にも紹介される作曲家になっていきました。
 様々な音楽の折衷様式を確立していますが、コリリアーノの言葉によれば、それらは単純なモチーフから紡ぎ出されており、今の音楽シーンでは珍しいとのことです。
 第1番の交響曲「目覚め」と題されていて、これは非常に広い意味をもった、主張のある作品になっていることを暗示しているように感じます。
早速聴いてみましょう。

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4.Julian Anderson/Symphony No.2"Prague Panoramas"

 四曲目はイギリスの作曲家ジュリアン・アンダーソンの近作、交響曲第二番「プラハの風景」です。作曲年は2021年でごく最近の作品ということがわかりますが、古典的楽章構成、サブタイトルも古典的と今の時代に書かれるべき作品なのかと疑問になりますが、聴いてみるとその疑問はたちどころになくなります。
 美しい交響曲としての美と、現代的折衷様式が非常に高度な書法で結実しており、現代から交響曲というものを見直そうという気概をはっきりと感じ取れる名作だと思います。日本にはこういう仕事のできる人がほとんど居なくなってしまいました。交響曲というハイドン以降はスタイルではなく美学そのものになってゆくものであり、哲学体系的にそれを理解せず、形だけ取ったJ-POPシンガーの駄作などを生み出してしまったのは国際的汚点と言わざるを得ませんね。またそれをゴーストライティングした人間も、まったく畑違いでありましたし、交響曲などファッションのようなものだとでも思っているのでしょうか。この曲を聴いてその理解度の違いと気概に気が付き、今すぐ馬鹿な行為はやめてもらいたいものです。圧倒的美しさと、構成力、さらに深い伝統愛に最新語法への研究とこの曲が示した現代の交響曲像は、もう無視できるものではないはずです。

Julian Anderson

 ジュリアン・アンダーソンは1967年にイギリスのロンドンで生まれました。英国王立音楽院で、ジョン・ランバートケンブリッジ大学でアレクサンダー・ゲーアに、加えて個人的にトリスタン・ミュライユにも師事しており、またメシアン、ノアゴー。リゲティのコースでも学んだというキャリアを持ちます。その後母校の英国王立音楽に奉職し、ハーバード大学を経て、ギルドホール音楽演劇学校で教鞭をとっているそうです。
 このあたりでピンとくる人は少ないと思いますが、バーミンガム交響楽団クリーブランド管弦楽団付きの作曲家を努めていたことから、吹奏楽作品も書いています。なんだか某日本のつまらない交響曲とも被ってきますが、全く土台が違うことがわかります。
 モダニズム・スペクトル・電子音楽を柔軟に使い分け、極めて感度の高い美しい音響を構築する作風で知られています。ときにはPopsの語法さえも取り上げ、とにかくその響きの世界は官能的にすら聞こえます。多くの師からの影響がはっきりわかり、充実した作風を形成し世界で高い評価を得ています。
さて聴いてみましょう。これぞ現代のシンフォニーといえるでしょう。

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5.Willhelm Killmayer/Symphony No.3

 さて本日最後に紹介するのは、最近で最も感動した一曲で、ドイツの作曲家ウィルヘルム・キルマイヤーの書いた第3番の交響曲です。聴いてみると同音の連打と突然の三和音、民謡的メロディの断片と、混沌とした和声などに満ちており、構成も何だ支離滅裂なようですが、これでいて極めて純粋な保守主義の作曲家なんです。ただメロディの作り方、全体の構成法が馴染みがないだけで、古典音楽とストラヴィンスキー的な音楽エッセンスをミックスして得られた真にオリジナルなものなため、我々は保守性を認識するのに時間がかかるのです。
 この作曲家は原始主義的な作風を持っていることから、オルフの系統を純粋に引き継でいると知ると、今度はなるほど曲が理解できてくると思います。三和音が躊躇なく現れ、無論旋法性、調性を持つ音楽です。ただトゥッティーよりも独立的に楽器を使う事が多く、巨大な編成の割にダイナミクスは抑えめにできています。
 本当に個性的で似た作風を採る人に心当たりがありません。キルマイヤーは3曲のシンフォニーを書いていますが、この3番はもっとも長大で20分、その他のものはごく短く、2番などはなんと8分ほどです。内容も充実しているので今回は3番を選びましたが、この独特の世界は他では味わえません。おすすめです。

Willhelm Killmayer

 ヴィルヘルム・キルマイヤーは1927年ドイツのミュンヘンに生まれ、基礎を学んだ後合唱指揮者となり、声楽作品を書くようになります。この作品がカール・オルフの目に止まり激賞され、彼に師事した後、アマチュアへの作品提供を主戦場とする独自の道を歩みました。
 一方でミュンヘン音楽大学で長年指導に当たり、先程来述べている古典と原始主義に立脚する作風を確立、保守作曲家の代表として独自の作風を構築しました。惜しまれつつ2017年に亡くなりましたが、徐々に作品の録音もなされてきているようで、もっと多くの曲が自由に聴けるようになると良いとの希望を持ってしまいます。
さあ聴いてみましょう。交響曲への先入観が吹っ飛びます。

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 さて今回も5曲ユニークだなと思った交響曲を紹介しました。いずれも劣らぬ傑作揃いだと思いますし、私もこういう次元で音楽をかければと思うばかりです。それと同時に優れた音楽は、現代日本のまずさも強く教えてくれるもので、狭くみっともない世界でだけスターになれることを、プライドと思ってやっている音楽の多さに辟易します。今後も力強く音楽の大海を紹介し、日本の狭さを打倒していきたいと思うばかりです。